食文化圏 / 西欧
ポルトガル料理の成立史
西欧の食文化圏「ポルトガル」に属する料理 17 品の成立史。 いつ・どこで成立したかを、3ゲート(食材入手/調理技術/場)・確度2軸・検証ログで根拠まで辿れます。
この食文化圏は拡充中です。掲載はまだ一部で、これから料理を追加していきます。
この食文化圏の指紋 DB由来のデータ集計(装飾でなく事実)
この圏に特徴的な食材全圏平均より偏って多く現れる律速食材(=この圏に特徴的な素材)。汎用食材は突出しないので外れます。
成立年代の分布成立年代の分布(最古 1500 年〜最新 1950 年)。
食材は在来か外来か律速食材が在来(もとから現地にあった)か、外来(交易・開国・植民地交易などで届いた)かの比率。
在来 0 外来 10
所属する料理 17
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定番 パステル・デ・ナタ
ポルトガル・リスボン 1700–1837
時B説B
焦げ目の浮いた卵黄カスタードを、層になったパイ生地に流し込んで高温で焼いたポルトガルの菓子。修道院で生まれたという出自はよく語られるが、ベレンのジェロニモス修道院という特定の場所への帰属だけは、ブランドの創業譚にしか出てこない。
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タコのロースト
ポルトガル ?–?
時C説B
ポルトガルのタコのロースト(ポルボ・ア・ラガレイロ)は、搾油職人「ラガレイロ」の名を冠した焼きタコの郷土料理である。古くからの伝統だという点では諸説が一致するのに、どの地方でいつ生まれたのかは、いまも定まっていない。
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アリェイラ
ポルトガル 1500–1600
時C説C
豚肉を使わないポルトガルの燻製ソーセージ、アリェイラ。異端審問の目をあざむくため改宗ユダヤ人が肉の代わりにパンと鶏肉を詰め、豚ソーセージに似せて作った——という名高い物語は、同時代の史料に裏づけを欠き、のちに膨らんだ作り話の疑いがある。
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オヴォシュ・モーレシュ・デ・アヴェイロ
ポルトガル・アヴェイロ 1500–1850
時C説C
卵白を清澄や糊付けに使い、余った卵黄からこの菓子が生まれた——アヴェイロの修道女をめぐる心温まる由来話は、この菓子だけに固有の史料の裏づけを欠く。ポルトガルの卵黄菓子に広く貼られてきた言い伝えである。確かなのは、大西洋の砂糖を得たアヴェイロの女子修道院の菓子文化そのものだ。
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ペイシーニョス・ダ・オルタ
ポルトガル 1500–1600
時B説B
ペイシーニョス・ダ・オルタは、肉を断つカトリックの斎日に、野菜を小麦粉の衣で揚げたポルトガルの精進料理である。この衣揚げの技法が16世紀の南蛮交易にのって長崎へ渡り、日本の天ぷらの祖型になったとされる。
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バイラーダ風仔豚のロースト
ポルトガル・アヴェイロ 1600–1743
時B説B
皮はカリカリに焼き締められ、身はやわらかい。ポルトガル中部バイラーダ地方の仔豚丸焼きは、街道沿いの専門店で観光客も列をなす名物料理だが、その様式はすでに18世紀の修道院の記録に姿を現している。
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コジード
ポルトガル 1680–?
時C説C
ポルトガルの国民的な一皿として知られる**コジード・ア・ポルトゲーザ**は、実はイベリアから欧州へ広がる「肉と野菜を一緒に煮る」料理の大家族の一員であり、「ポルトガル風」という呼び名も料理そのものより新しい。
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カルド・ヴェルデ
ポルトガル・ミーニョ 1780–1850
時B説C
ポルトガルを代表するこの緑のスープを『15世紀から続く味』と語る声があるが、今のなめらかなとろみは、新大陸のジャガイモが北部に根づくまで生まれようがなかった。
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カルデイラーダ
ポルトガル 1800–1900
時C説B
「カルデイラーダは大航海時代の15世紀に、ペニシェの漁師が生み出した」——旅の読み物でくり返されるこの一文には、それを支える記録がない。魚の煮物という語義がポルトガル語の辞書に現れるのは1789年、いまの鍋の骨格をなすジャガイモが海辺の日常に行き渡るのは、さらに後の19世紀である。
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バカリャウ・ア・ブラース
ポルトガル・リスボン 1800–1900
時B説C
リスボンの食堂で生まれたこの料理は、創作者『ブラース』の名を冠する。だが、彼が一人で生み出したという話より古い記録が、別の素性を語りはじめている。
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バカリャウのコロッケ
ポルトガル 1850–1904
時B説B
塩鱈とじゃがいもを練り上げて揚げた、ポルトガルの食堂に欠かせないおつまみ。いかにも古めかしい国民食だが、じゃがいもが人々の畑と食卓に根づいた十九世紀に、庶民の惣菜として姿を現した比較的新しい一皿である。
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ビファナ
ポルトガル・ポルト 1850–1960
時C説C
薄切りの豚肉をニンニクと白ワインで煮て、パンに挟むだけ。ポルトガルの居酒屋と屋台が育てたこのサンドイッチは、どの町で生まれたのかが今も定まらない。
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ブリャオン・パト風アサリ
ポルトガル・リスボン 1860–1876
時B説B
オリーブ油とニンニクでアサリを開き、コリアンダーとレモンで仕上げるリスボンの名物「アサリのブリャオン・パト風」。その名を冠する詩人ブリャオン・パトがこの料理を考案したという話が広く語られてきたが、貝を鍋に入れたのは詩人ではなく、彼へ一皿を捧げた料理人のほうである。
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カルネ・デ・ポルコ・ア・アレンテジャーナ
ポルトガル 1899–?
時B説C
宗教裁判で改宗者の忠誠を試すために豚肉とアサリを食べさせた——カルネ・デ・ポルコ・ア・アレンテジャーナをめぐるこの劇的な起源話は、料理の名が文献に現れるより約400年もさかのぼる時代に舞台を置く、後世の作り話である。
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アローシュ・デ・マリスコ
ポルトガル・アルガルヴェ 1900–1950
時C説C
大西洋の魚介を米で汁気多めに炊いた、ポルトガルを代表する海鮮米料理。「あの漁村が発祥だ」という誇りの物語がいくつも語られてきたが、どの町を真の発祥地と決める史料は今も見つかっていない。
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イワシの塩焼き
ポルトガル 1900–1932
時B説B
聖アントニオが海辺で魚に説教すると、イワシが水面まで集まって耳を傾けた——リスボンの聖アントニオ祭でイワシを焼いて食べる由来をこの奇跡譚に求める話は、料理習慣の本当の理由を覆い隠した後付けの物語である。街頭の炭火にイワシを並べたのは、奇跡ではなく季節と暮らしだった。
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フランセジーニャ
ポルトガル・ポルト 1950–1960
時C説D
ポルトの重厚なホットサンド、フランセジーニャ。「1953年、フランス帰りの移民ダニエル・ダ・シルヴァがカフェ〈ア・レガレイラ〉で一人考案した」という有名な誕生譚は、日付のある同時代の記録を欠き、細部も語るたびに食い違う——後年に整えられた作り話である。