食材から辿る / 旧大陸
魚醤 素材 時期 C検証済
魚醤が、いつ・どこで食べ物として成立し、各地へどう伝わったかをまとめています。 原産地での成立を3ゲート(食材入手・調理技術・場)で示し、その後の各地への到来を記録でたどります。
3ゲート
- 食材入手ゲート
- 原料は魚(メコン流域の水田・河川でとれる淡水小魚、沿岸部では小型の海水魚)と塩のみで、いずれも在来。律速は入手の経路=加工、すなわち魚を高濃度の塩で分解させて液体調味料を取り出す技術が成立した時期と、大量の小魚を安定して得る水田漁撈・沿岸漁撈が内陸の製塩と結びつく条件である。食材ゲート台帳では 魚醤@東南アジア=100年(幅-300–544・技術発明・加工)、魚醤@中国=100年(幅100–544)、魚醤@英国=1690年(交易路=東インド交易でkê-tsiapの概念が伝来)
- 調理技術ゲート
- 小魚を丸のまま(または魚の内臓のみ)、重量比でおよそ2〜3割の塩とともに甕・壺・木桶に仕込み、数か月から1年以上おいて魚自身の消化酵素と好塩性微生物にタンパク質を分解させ、上澄みや濾液を採る。中国では『齊民要術』(544)の作魚醬法のように麹(黃衣)を加えて発酵を促す型もある。米を加えて乳酸発酵させるナレズシ、固形分を残す塩辛・魚醤ペースト(プラホック/パデーク)とは同じ塩蔵発酵の連続体をなし、液を採るか固形を残すかで分岐する
- 場ゲート
- venue=水田漁撈・河川漁撈をおこなう内陸村落の家庭と、沿岸漁村の加工場(近代以降は工場) / stratum=大衆(自給の保存食・のち商品) / access=自家製造と地域内流通(近代以降は工場生産と広域流通・輸出) / community=モンスーンアジアの稲作漁撈民(メコン流域のラオ人・イサーンの人々、のちベトナム・タイ・フィリピン等の沿岸漁民)
各地への伝来 3
各地で食べ物として定着した時期の記録です。地域によっては、それに先立つ物理的な到来(観賞用など、食用より前の前史)が含まれることがあります。
- 前300〜544頃 東南アジア 技術発明加工
- 100〜544頃 中国 技術発明加工
- 1690頃 英国 交易路
魚醤を使う料理 1
- ソムタム タイ1700年ごろ