食材から辿る / 旧大陸
オリーブ 素材 時期 C検証済
オリーブが、いつ・どこで食べ物として成立し、各地へどう伝わったかをまとめています。 原産地での成立を3ゲート(食材入手・調理技術・場)で示し、その後の各地への到来を記録でたどります。
東地中海/南レバント(現イスラエル周辺)原産の野生オリーブ Olea europaea を在地で採取し、のち栽培化。カルメル海岸沖の水没遺跡クファル・サミル(現イスラエル北部ハイファ沖)の砕けたオリーブ核の集積が最古の搾油痕で、約7600–7000 BP=暦年で前5650〜前5050年ごろ。栽培化は約7000 BP(およそ前5000年)までに明瞭化(バラザニ・ダグ・ダンセスの2023年の報告)。より古い前4千年紀のChalcolithic Ghassul栽培説や単一 vs 複数起源地の論争があり年代・中心地に幅。原産地では採取・搾油=食用が自明で同時成立
3ゲート
- 食材入手ゲート
- 採取・栽培化(東地中海/南レバント原産の野生オリーブ Olea europaea を在地で採取、のち栽培化)。クファル・サミル遺跡の搾油痕が約7600–7000 BP=前5650〜前5050年ごろ、栽培化は約7000 BP(およそ前5000年)までに明瞭
- 調理技術ゲート
- 生果は苦く不可。搾油(果実を砕き圧搾しオリーブ油を採る)と塩蔵・水漬けによる渋抜き。原産地レバントで在来の加工知(クファル・サミルの搾油痕が入手とほぼ同時。近隣のヒシュレイ・カルメル遺跡=約6600 BPでは海水を使った食用オリーブの塩蔵が確認され、食べる加工は搾油に数世紀遅れる)
- 場ゲート
- 食材入手と同年(原産地レバントでの食用=搾油・渋抜きは入手=採取/栽培化と同時に成立。場ゲートは退化)
オリーブはどこから広がったか
オリーブ(Olea europaea)は東地中海の木である。とりわけ南レバント——いまのイスラエルからパレスチナにかけての丘陵地には野生のオリーブが自生し、人はまずその実を採って利用し、のちに畑の木として育てるようになった。この一帯で栽培化がはっきりした姿をとるのは、およそ7000年前——紀元前5000年ごろまでのことである。
木が生えていたことと、実を食べられることは別である。オリーブの実は生のままでは苦みが強く、木からもいで口に入れることができない。この苦い実を食べものに変える道は二つあった。ひとつは砕いて搾り、油を採ること。もうひとつは塩に漬け、あるいは水に晒して苦みを抜くことである。原産地のレバントでは、実を手に入れることと、この加工を施すことが、ほとんど時を置かずに揃っていた。
海に沈んだ搾り場
その最も古い痕跡は、いま海の底にある。イスラエル北部、ハイファ沖のカルメル海岸に沈んだクファル・サミル遺跡からは、砕かれたオリーブの核が大量に積もった層が見つかっている。搾油の作業でついた残りかすである。年代はおよそ7600年前から7000年前——紀元前5650年から紀元前5050年ごろ——にあたり、オリーブを加工していた証拠としては世界でも最も古い部類に入る(バラザニ、ダグ、ダンセットらの2023年の研究)。搾って得られる油は、そこから実そのものとは別の商品として、地中海の交易路を渡っていくことになる。
年代と場所に残る幅
もっとも、栽培化の年代と中心地が一点に定まっているわけではない。それより古い紀元前4千年紀の銅石器時代、ヨルダン渓谷のガッスール文化のもとですでに栽培が始まっていたとする見方があり、また、東地中海の一か所で栽培化されたのか、地中海の複数の場所で別々に始まったのかという議論も決着していない。原産地が東地中海にあることは動かないが、その内側でどこが最初だったかについては、いまも幅がある。
カスピ海の南へ
原産地の外へ出た木は、地中海の岸辺を西へ広がる一方、東の山地へも入った。イラン北部のギーラーン地方——カスピ海に注ぐ川沿いのルードバールでは、紀元前後から5世紀ごろまでのあいだにオリーブ栽培が根づき、以後この地方はイランのオリーブの産地であり続けている。苦い実を油と漬けものに変える手つきとともに、この木は地中海の景色そのものになっていった。
各地への伝来 2
各地で食べ物として定着した時期の記録です。地域によっては、それに先立つ物理的な到来(観賞用など、食用より前の前史)が含まれることがあります。
- 前5600〜前4000頃 レバント 在来在地栽培
- 前1〜500頃 イラン 在来在地栽培
オリーブの到来が成立を縛った料理 1
オリーブが届く前には成り立たなかった料理です。到来年が、その料理の物理的な下限になります。
- ゼイトゥーン・パルヴァルデ イラン前1年ごろ