食文化圏 / 東南アジア
ラオス料理の成立史
東南アジアの食文化圏「ラオス」に属する料理 3 品の成立史。 いつ・どこで成立したかを、3ゲート(食材入手/調理技術/場)・確度2軸・検証ログで根拠まで辿れます。
この食文化圏の指紋 DB由来のデータ集計(装飾でなく事実)
律速になりがちな食材成立を決めた律速食材として現れた回数(料理数)。
食材が届いた経路律速食材の到来経路(channel)の傾向。在来=もとから現地にあった食材。
成立年代の分布成立年代の分布(最古 1511 年〜最新 1850 年)。
起源説の確度起源説の固さ(A=構造的必然〜D=要検証)の内訳。C/D は諸説・反証ありの料理。
所属する料理 3
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定番 ラープ
ラオス・イサーン地方 1511–1900
時C説C
挽き肉を香草で和えるラープは、ラオスとイサーンの古い料理である。ただし、舌を刺すあの辛さは、見た目ほど古くはない。
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カオソーイ(ラオス・ルアンパバーン)
1650–1900
時B説B
ラオス・ルアンパバーンの米麺料理。手切りの米麺に、トマトと豚挽肉のソースをからめる。このトマトは新大陸の作物で、東南アジアへ渡ってきて以降でなければ生まれえなかった。雲南系の人々がもたらしたとされるが、彼らが持ち込んだのか、土地で育ったのかは、なお定まらない。同名の北タイ版(卵麺カレー)とは別系統である。
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カオピアックセン
ラオス(ビエンチャン) 1850–1950
時B説C
ラオスの首都ビエンチャンで親しまれる、米粉にタピオカを混ぜたもちもちの生麺を鶏ガラのスープで煮た朝食の麺料理。この独特の歯ごたえは、南米生まれのキャッサバがアジアへ渡ってはじめて手に入ったもので、料理が今の姿になったのは新大陸の作物が広まったあとの近代だと考えられる。