食文化圏 / 南アジア

ヒマラヤ料理の成立史

南アジアの食文化圏「ヒマラヤ」に属する料理 15 品の成立史。 いつ・どこで成立したかを、3ゲート(食材入手/調理技術/場)・確度2軸・検証ログで根拠まで辿れます。

この食文化圏の指紋 DB由来のデータ集計(装飾でなく事実)

この圏に特徴的な食材全圏平均より偏って多く現れる律速食材(=この圏に特徴的な素材)。汎用食材は突出しないので外れます。

  • 全圏平均の約 115.27 倍・2 品で律速(=この圏で偏って多く使われる食材)。

成立年代の分布成立年代の分布(最古 前3000 年〜最新 1800 年)。

  • 先史・古代 2
  • 中世 3
  • 近世 4
  • 近代 1

食材は在来か外来か律速食材が在来(もとから現地にあった)か、外来(交易・開国・植民地交易などで届いた)かの比率。

在来 2 外来 3

所属する料理 15

  • クワティ ネパール ?–? 時D説C

    クワティは「必ず9種類の豆で作る」もので、その数は九曜やネパール暦の第9月に由来する――近年フーディーの間で広まったこの説明は、後付けの解釈である。ネワールの古老や研究者は、豆はただ「あるものを混ぜただけ」だったと語る。

  • セクワ ネパール ?–? 時C説C

    セクワは、東ネパールのキラト系(リンブー・ライ)に伝わる炭火の串焼き肉である。「狩人が森の焚火で仕留めた獲物を焼いたのが始まり」という起源話がよく語られるが、これは独立した裏づけを欠く言い伝えにとどまる。

  • ヨマリ ネパール ?–1440 時C説C

    ヨマリはネワール社会に伝わる涙滴形の米粉蒸し菓子で、ネパールの年代記は王の時代にまで遡る由緒を語る。だが文献に確実な姿を現すのは15世紀の石碑からで、起源そのものはインドの菓子モダカとのつながりが最有力視されるにとどまる、いくつもの言い伝えが並び立つ食べ物である。

  • グンドゥル ネパール -3000–? 時C説C

    **グンドゥル(グンドゥルク)**が18世紀のゴルカ戦争の籠城で偶然生まれたという逸話は、この発酵保存がそれ以前から続くヒマラヤ在来の技術だという事実の前では成り立たない。

  • ダル・バート ネパール 1000–1600 時C説B

    ネパールの国民食ダル・バート。誰が発明したのかと問いたくなるが、答えは「誰でもない」。米と豆という土地に根づいた古い主食が、栄養的に理にかなった定食として自然に広がったものだ。

  • ジュジュダウ ネパール 1200–1769 時C説C

    バクタプルの濃厚な水牛乳ヨーグルト「ジュジュダウ(ヨーグルトの王)」の名は、王が品評会で最上と認めたという命名伝説で語られる。だがその逸話を支える同時代の記録はなく、名前の由来を説明するために後から生まれた言い伝えである。

  • モモ チベット・ネパール 1300–1700 時C説C

    ヒマラヤの食堂を満たす蒸し餃子モモ。7世紀の王女が運んだという甘い伝説も、ネパールの王女が中国や日本まで広めたという話も、どちらも史料の裏づけを欠く。実際の来歴はもっと遅く、商人の足に近い。

  • セルロティ ネパール 1500–1900 時C説C

    米粉の発酵生地を輪の形に絞り、油で揚げるネパールの祝祭菓子。『八百年以上前から作られてきた』と語られることがあるが、その古さを示す史料は見つかっておらず、確かにたどれるのは在来の発酵米食という素性のほうである。

  • テントゥク チベット・ネパール 1650–1750 時B説B

    練り小麦の生地を指で薄くちぎってスープへ放つ、チベット高地の手延べ麺。汁麺トゥクパの仲間でありながら、その「手でちぎる」一手が独自の食感と名前を生んだ一皿である。

  • トゥクパ チベット・ネパール 1650–1700 時B説B

    チベットの温かい麺スープ「トゥクパ」。だがその名のもとになった「トゥク」は、もともと麺ではなく粥状の料理だった。

  • エマ・ダツィ ブータン 1700–1900 時C説C

    エマ・ダツィは、生の青唐辛子をヤクや牛のチーズでとろりと煮込んだブータンの国民食である。一六世紀から続く古い料理という言い伝えは、主役の唐辛子が新大陸原産だという一点で史実と合わない。

  • アルータマ ネパール 1800–? 時C説B

    ネパール・カトマンズ盆地のネワール料理を代表する、酸味の強い発酵タケノコの汁アルータマ。郷土食の風格をまといながら、その名を担うジャガイモは新大陸生まれで、いまの一皿は思いのほか新しい。

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