食材から辿る / 旧大陸
オクラ 素材 時期 C検証済
オクラが、いつ・どこで食べ物として成立し、各地へどう伝わったかをまとめています。 原産地での成立を3ゲート(食材入手・調理技術・場)で示し、その後の各地への到来を記録でたどります。
北東アフリカ(エチオピア〜エジプト周辺)で栽培化 前12世紀までに。直接痕跡は乏しく後世推定。原産地には諸説(北東アフリカ vs 北インド)
3ゲート
- 食材入手ゲート
- 栽培化(アフリカ起源説)=北東アフリカ(エチオピア〜エジプト周辺) 前12世紀までに(直接痕跡は乏しく後世推定)
- 調理技術ゲート
- 若莢の加熱・煮込み(在来知)
- 場ゲート
- 栽培地での野菜利用。食材入手と同年
オクラはどこから広がったか
オクラ(Abelmoschus esculentus)は、アオイ科の一年草で、若い実をさやごと食べる野菜である。その原産地はアフリカにあると広く考えられているが、正確にどこで栽培作物になったのかは、じつははっきりと決着していない。
アフリカに始まった作物
オクラは、北東アフリカ——エチオピアからその周辺にかけての一帯——で栽培化されたアフリカ起源の作物とされる。栽培の始まりはかなり古く、およそ前12世紀までにはこの地で育てられていたと見られている。ただし、この年代を裏づける当時そのものの直接の痕跡は乏しく、後世の研究による推定に負うところが大きい。原産地についても議論があって、エチオピアや北エジプトを故郷とする説のほかに、近縁の野生種を手がかりに北インドなど南アジアに起源を求める説もあり、どちらとも決めきれる決定的な証拠はまだ得られていない。いずれにせよ、栽培オクラの古い歴史がアフリカと深く結びついていることは動かない。
旧世界への広がり
栽培化されたオクラは、まず古代エジプトをはじめとする北アフリカと中東の各地に広まった。前12世紀ごろには古代エジプトで育てられていたとされ、そこから中東や北アフリカの全域へと栽培が拡散して、やがてアラブの人々の手を経て地中海の世界にも伝わった。乾いた気候によく耐え、暑さのなかでも実をつけるこの野菜は、乾燥した土地の農業にうまく合い、旧大陸の温暖な地域に着実に根を下ろしていった。
奴隷交易とともに新大陸へ
オクラが大西洋を越えて新大陸に渡るのは、近世の大西洋奴隷交易とともにであった。アフリカから連れてこられた人々の食の記憶とともに種が運ばれ、アメリカ大陸の熱帯・亜熱帯にオクラの畑が生まれた。カリブ海のトリニダード・トバゴでは17世紀の半ば(1650年ごろ)にはオクラが在地で栽培されていた記録があり、北アメリカでは、フランス領だったルイジアナに18世紀の後半(1764年ごろ)その栽培が伝わっている。とりわけアメリカ南部では、オクラのとろみを生かした煮込みが土地の料理の柱となり、ガンボと呼ばれる名物料理を育てた。オクラは、旧大陸から奴隷交易という過酷な歴史を背負って運ばれ、新大陸南部の食文化の要のひとつになったのである。
アフリカに始まったこの野菜は、古代のうちに北アフリカと中東へ、近世には人の移動とともに大西洋を越えて、世界の暖かい地域へと広がっていった。原産地の詳しい在り処にはなお謎が残るが、オクラの歩みが、アフリカという一つの大陸から始まったことは確かである。
各地への伝来 9
各地で食べ物として定着した時期の記録です。地域によっては、それに先立つ物理的な到来(観賞用など、食用より前の前史)が含まれることがあります。
- 1000〜1250頃 イラク 交易路
- 1549〜1650頃 ブラジル 植民地交易
- 1600〜1700頃 トリニダード・トバゴ 植民地交易在地栽培
- 1627〜1700頃 バルバドス 植民地交易
- 1627〜1700頃 西インド諸島 植民地交易
- 1700〜1804頃 ルイジアナ 植民地交易在地栽培
- 時期不明 エジプト 交易路
- 時期不明 エチオピア 在来
- 時期不明 西アフリカ 在来
オクラの到来が成立を縛った料理 8
オクラが届く前には成り立たなかった料理です。到来年が、その料理の物理的な下限になります。
- スープ・カンジア セネガル前1000年ごろ
- バーミヤ エジプト1300年ごろ
- ククー・アンド・フライングフィッシュ バルバドス1650年ごろ
- クークーとトビウオ バルバドス1650年ごろ
- ファンジー アンティグア・バーブーダ1650年ごろ
- カラルー トリニダード・トバゴ1700年ごろ
- ペッパーポット(ジャマイカ) ジャマイカ1700年ごろ
- ダック・ガンボ 米国1900年ごろ