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べったら漬 時期 C起源説 B検証済

確度は2軸: 時期=成立時期の固さ/起源説=発祥譚(説)の固さ(A〜Dの4段階・別々に持つ)。確度とは?→

日本 ・ 明治26年(1893)刊の年中行事の本に、日本橋のべったら市で売る朝漬の大根が見える。いつ始まったかは分からない ・ 成立年代 〜1893 ・ 主役食材 大根 ・ この地域の料理を見る

記章(DB由来の作図・装飾/監修・認証ではない)|起源説確度B・検証済B記章(DB由来の作図・装飾)

べったら漬は、塩で下漬けした大根を麹と砂糖の甘い床に漬けた東京の漬物で、日本橋のべったら市の名物である。市の名は、浅漬の大根を買った者が人に麹や糠をつけるいたずらから起こったと言い伝えられるが、この話を書いた本は、国立国会図書館がデジタル化した資料を全文検索できる範囲では、大正14年(1925年)の百科事典と昭和2年(1927年)の歳時記が最も古い。

3ゲート

食材入手ゲート
大根と麹と砂糖。日本で得られる
調理技術ゲート
塩漬けした大根を麹と砂糖の床に漬ける
場ゲート
家庭・店・製造元で今も作られ、売られている

成立年代と食材入手ゲート

食材入手(756年・在地/到来)が最後に揃った条件で、成り立ちうる最も早い年はその条件が揃った年になる。成立年代の帯は、その年以降にある。場ゲート(料理が成立し広まった場)は年で表せないので、図には出さない。

成立年代と成立ゲート成立 〜1893食材入手・最後に揃った 756(砂糖)5282007
  • 食材入手(流通/在地/加工の経路を内包)
  • 太線=最後に揃った条件(最も遅い=成立を縛る)
  • 細線=既に充足
  • 場ゲート(年で表せないので図には出さない)

検証メモ: 塩で下漬けした大根を、麹と砂糖の甘い床に浅く漬けた東京の漬物。表に麹がべったりと付いている。毎年10月19日・20日に日本橋の宝田恵比寿神社の周りで開かれる「べったら市」の名物で、いまも露店が並ぶ。明治26年刊の年中行事の本が、夷講の前夜に大伝馬町・通旅籠町の往来で朝漬の沢庵を売る市が立ち、それを「べったら市」と呼ぶと記しており、遅くともこの頃には市の名物だった。同じ本も大正2年の読本も、名の由来は詳らかでないとしている。明治34年の事典と大正2年の読本は、麹のついた大根を買って振り回し「べったら」と大声で呼ぶ人々と、その麹でのいたずらを記している。これを市の名の由来とする説明は大正14年の百科事典と昭和2年の歳時記に見えるが、名が付いたころの記録は見つかっていない。

起源説

未確定

★主 日本橋大伝馬町の夷講の前夜市で売られた浅漬大根 B

十月の夷講の前夜、江戸・東京の日本橋大伝馬町から通旅籠町にかけて立つ市で、朝漬(浅漬)の大根が売られ、市そのものが『べったら市』と呼ばれた。明治26年刊の年中行事の本がこの市と朝漬の沢庵をはっきり記しており、遅くともこの頃にはこの漬物が市の名物だった。

麹のついた大根を振り回すいたずらが『べったら市』の名の由来とする説 C

日本橋の市で麹のついた浅漬の大根を買った者が、人混みで振り回し、『べったら』と呼びながら人の着物に麹や糠をつけるいたずらをしたことから、市が『べったら市』と呼ばれるようになったとする言い伝え。この振る舞いは明治34年の事典や大正2年の読本にも記されるが、どちらも名の起こりとは結びつけておらず、明治26年の年中行事の本と大正2年の読本は名の起こりを詳らかでないとしている。振る舞いを名の由来として書いたものは、大正14年の百科事典(いたずら好きの者が着飾った女に麹をなすりつけたことから俗にそう呼んだのだろう、と推量の形)と昭和2年の歳時記(それで名が起こったと言い切る)が、見つかったうちで最も古い。由来とされるのは市の名で、漬物の名ではない。市の名が付いたころの記録は見つかっていない。

解説

べったら漬は、塩で漬けた大根を、麹と砂糖の床に漬けて作る漬物である。材料の大根と麹と砂糖は、どれも日本で手に入る。家庭でも漬けられ、店や製造元でも作られて売られている。

べったら漬は、東京・日本橋で秋に開かれるべったら市の名物として知られる。2026年には10月19日と20日に日本橋でべったら市が開かれ、大根を甘く漬けたべったら漬けを売る露店が並んだ。

この市とこの漬物を結びつけて書いた記録は、明治26年(1893年)に出た年中行事の本『江戸年中行事図絵』である。十月の蛭子講(夷講)の条に、その前夜、大伝馬町から通旅籠町にかけての往来に、蛭子講に使う道具と「朝漬の澤庵」を売る市が立ち、これを「べツタラ市」という、とある。国立国会図書館がデジタル化した資料を全文検索できる範囲では、べったら市の名が見える本としてはこれが最も古い。遅くともこの頃には、蛭子講の前夜に日本橋の市で売られる浅漬の大根が、市の名物になっていた。

大伝馬町の夷講の市そのものは、もっと前の記録にも見える。天保9年(1838年)の『東都歳事記』は、十月十九日に大伝馬町で開かれる夷講の市を記している。ただ、全文検索で見える範囲では、そこに浅漬の名は出てこない。漬物を「ベツタラ漬」の名で呼んだ例は、明治44年(1911年)に出た本に見える。

検証ストーリー

べったら市という市の名には、市の賑わいにまつわる言い伝えがある。大正14年(1925年)の百科事典『新百科大辞典』は、いたずら好きの者が浅漬の大根を買い、着飾った女を見かけては麹をなすりつけるので、俗にそう呼んだのだろうと言われる、と書く。昭和2年(1927年)の歳時記『大成歳時記 昭和新修』は、浅漬を買った者が縄で提げて人混みを「べったら」と呼びながら歩き、連れのある人の着物に糠をつけるなどのいたずらをし、それで市の名が起こった、と書いている。どちらの本も、由来として語っているのは市の名で、漬物の名ではない。

その振る舞いは、それより前の本にも書きとめられている。大正2年(1913年)に出た読本『日曜読本』は、べったら市の項で、市はひどく混み合い、麹のついたままの沢庵漬を買った者が、それを振り回して「べつたら、べつたら」と大声で呼びながら帰る、と書いている。

けれども同じ項は、その名の起こりは詳らかでないとも書いている。20年前の明治26年(1893年)の『江戸年中行事図絵』も、なぜこの市で朝漬の沢庵を売るのか、その名がどこから来たのかは詳らかでない、と書いている。大正の読本が記したのは、べったら市で人々がどう振る舞っていたかであって、それが名の起こりだという話ではない。

遅くとも明治26年には、蛭子講の前夜に日本橋の往来で朝漬の大根が売られ、その市がべったら市と呼ばれていた。いたずらから市の名が起こったという言い伝えは、大正14年の百科事典と昭和2年の歳時記に書かれている。けれども市の名が付いたころの記録は見つかっておらず、べったらの名がどこから来たのかは定かでない。

検証ログ 追記専用の監査証跡 6 件・押すと開く

日付結果確度主張 / 出典更新者
2026-11-04 支持 C→B
明治26年刊の年中行事の本が、十月の夷講の前夜に日本橋大伝馬町・通旅籠町で朝漬の沢庵を売る市が立ち、それを『べったら市』と呼ぶと記す。いま見つかったなかで、この漬物と市を結びつけた最も早い記録。
研磨係
2026-11-04 不明 C→C
大正2年の読本は、麹のついた沢庵を買って振り回し『べったら、べったら』と叫びながら帰る者がいたと記すが、市の名の由来は詳らかでないとしている。振る舞いの記録はあるが、それが名の起こりだと示す記録ではない。
研磨係
2026-11-04 支持 B→B
いま食べられていることの確認: 東京観光財団の観光公式サイトが、2026年10月19日〜20日の日本橋べったら市で、大根を甘く漬けたべったら漬けを売る露店が並ぶと案内している(2026-11-04確認)。
研磨係
2026-11-04 支持 C→C
麹のついた浅漬の大根でのいたずらを『べったら市』の名の由来とする言い伝えは、大正14年(1925)の百科事典に、いたずら好きの者が着飾った女に麹をなすりつけることから俗に呼んだのだろうと言われる、という推量と伝聞の形で載る。名の由来とされているのは市の名で、漬物の名ではない。明治26年・大正2年の本は名の起こりを詳らかでないとしており、この説明はそれより後の記録である
研磨係
2026-11-04 支持 C→C
昭和2年(1927)の歳時記は、浅漬を買った者が縄で提げて人混みを『べったら』と呼びながら、連れのある人の衣に糠をつけるいたずらをし、それで『べったら市』の名が起こったと言い切る。由来とされるのは市の名で、いたずらをするのは買った者(若者とは書かない)
研磨係
2026-11-04 不明 C→C
麹のついた沢庵漬を買って人込みで振り回し、大声で呼んで婦人などにいたずらをする者が多いという振る舞いは、明治34年(1901)の訂正増補版の事典に記される。この事典は市の起こりを未詳とし、振る舞いを名の起こりとは結びつけていない。いたずらをする者を若者とする記述は、この事典にも、大正2年の読本(買った者・昔その麹でいたずらをした者)にも、大正14年の百科事典(いたずら好きの者)にも、昭和2年の歳時記(買った者)にも無い
研磨係

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構成素材

この料理を構成する素材の成立史へ。「成立史は準備中」の素材はまだページがありません。

  • 素材大根成立史は準備中
  • 素材砂糖
  • 素材麹成立史は準備中

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