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しば漬 時期 C起源説 B検証済

確度は2軸: 時期=成立時期の固さ/起源説=発祥譚(説)の固さ(A〜Dの4段階・別々に持つ)。確度とは?→

日本 ・ 明治時代の1897年刊の本に、京都・大原の名高い「紫葉漬」が見える。いつ始まったかは分からない ・ 成立年代 〜1897 ・ 主役食材 ナス ・ この地域の料理を見る

記章(DB由来の作図・装飾/監修・認証ではない)|起源説確度B・検証済B記章(DB由来の作図・装飾)

しば漬は、刻んだ茄子を赤紫蘇と塩で漬けた京都・大原の漬物である。大原に隠れ住んだ建礼門院が名付けたという言い伝えがよく知られるが、平安時代の終わりの当時の記録は見つかっていない。大原の漬物として紫葉漬の名が記録に現れるのは明治30年(1897年)の紀行文で、そこでは建礼門院とは結びつけられず、かつてある帝の御意にかなってから毎年奉献されてきた品とされている。

3ゲート

食材入手ゲート
ナスと赤紫蘇と塩。日本で得られる
調理技術ゲート
刻んだ野菜を赤紫蘇と塩で漬ける
場ゲート
家庭・店・製造元で今も作られ、売られている

成立年代と成立ゲート

主役食材(ナス)は在来で、到来による制約がない。下限の縦線は無く、帯は成立年代を示す。

成立年代と成立ゲート成立 〜189718811905

検証メモ: 刻んだ茄子を赤紫蘇の葉と塩で漬け、乳酸発酵させた赤紫色の漬物。京都・大原の名産で、いまはきゅうりやみょうがを加えることが多く、塩だけで漬けたものは生しば漬と呼ばれる。1897年刊の本に収められた大原の紀行文に、三千院に泊まって名高い紫葉漬を食べた、かつてある帝の御意にかなってから毎年奉献してきたものという、とある。大原に隠れ住んだ建礼門院が名付けたという言い伝えもよく知られるが、その時代の記録では確かめられない。江戸時代の俳諧に多く出る「柴漬」は、柴を水に沈めて魚を捕る漁のことで、この漬物とは別のものである。

起源説

未確定

★主 京都・大原の里の茄子と赤紫蘇の漬物が明治中期までに名物になった説 B

京都の北、大原の里で茄子などを赤紫蘇と塩で漬ける紫葉漬が作られ、明治の中ごろには三千院でもてなしに出される名高い品として知られていた。1897年刊の本の大原の紀行文がそう書いている。いつ誰が始めたかを示す記録は無い。

大原に隠れ住んだ建礼門院が名付けたとする説 C

平家滅亡ののち大原の寂光院に隠れ住んだ建礼門院に、里人が紫蘇と漬けた夏野菜を差し入れたところ、建礼門院が紫葉漬と名付けたとする言い伝え。京都市の歴史散策マップと農林水産省の図鑑が「いわれる」として載せる。1897年の大原の紀行文は、紫葉漬をかつてある帝の御意にかなってから毎年奉献してきたものと書き、建礼門院の名は寂光院の由来には出すが、この漬物とは結びつけていない。平安末の当時の記録は見つかっていない。

解説

しば漬は、刻んだ茄子を赤紫蘇の葉と塩で漬けた漬物で、京都市大原の名産である。材料の茄子と赤紫蘇と塩は、どれも日本で手に入る。

いまはキュウリやミョウガを加えて漬けることが多い。茄子と赤紫蘇を塩だけで漬けて乳酸発酵させたものは生しば漬と呼ばれる。しば漬はいまも家庭で漬けられ、店や製造元でも作られて売られている。

検証ストーリー

しば漬の名の由来としてよく知られるのが、建礼門院の話である。平家が滅んだのち、建礼門院は大原の寂光院に入った。そこへ里人が紫蘇と漬けた夏野菜を差し入れたところ、建礼門院が紫葉漬と名付けた、ともいわれる。京都市や農林水産省がまとめた案内も、この話を言い伝えとして載せている。だが、平安時代の終わりの当時に、この名付けを書きとめた記録は見つかっていない。

大原の漬物として紫葉漬の名が記録に現れるのは、明治30年(1897年)に出た『法明上人御一代記』の附録「大原紀行」である。国立国会図書館がデジタル化した資料を全文検索できる範囲では、これが最も古い。紀行文は、三千院に一泊して手厚いもてなしを受けた夜に「名に高き紫葉漬」を食べたと記す。そしてこの漬物を、かつてある帝の御意にかなってから毎年奉献してきたものだと伝えている。同じ紀行文には寂光院も建礼門院の隠れ住んだ寺として出てくるが、紫葉漬と建礼門院を結びつける記述は無い。

江戸時代の俳諧には「柴漬」という語がたびたび出てくる。こちらは柴を水に沈めて魚を捕る漁のことで、大原の漬物とは別のものである。

明治の中ごろには、紫葉漬は三千院のもてなしに出される大原の名高い品になっていた。いつ誰が漬け始めたのかを示す記録は、まだ見つかっていない。

検証ログ 追記専用の監査証跡 4 件・押すと開く

日付結果確度主張 / 出典更新者
2026-11-04 支持 C→C
1897年刊の本の大原紀行に、三千院に一泊して名高い紫葉漬を食べた、これはかつてある帝の御意にかなってから毎年奉献してきたものという、とある
研磨係
2026-11-04 不明 C→C

🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ)

建礼門院が名付けたという話は農林水産省の図鑑が言い伝えとして載せるだけで、平安末の当時の記録は無い。1897年の紀行文は帝に奉献したという別の形の言い伝えを書いており、名付けの話はまだ一つに定まっていなかった
研磨係
2026-11-04 支持 B→B
いま食べられていることの確認: 農林水産省の「にっぽん伝統食図鑑 京漬物」が、しば漬を京都市大原の名産として載せ、いまはキュウリやミョウガを加えることが多いと書いている(2026-11-04に確かめた)
研磨係
2026-11-04 不明 C→C
1897年刊の大原紀行は、紫葉漬について、かつてある帝の御意にかなってから例になり毎年奉献してきたものと書く。同じ紀行文は寂光院を建礼門院の隠栖した寺として紹介するが、紫葉漬を建礼門院と結びつけてはいない。建礼門院が名付けたという話が1897年の時点で語られていたかは、この紀行文からは分からない。建礼門院の名付けの話は、京都市の歴史散策マップと農林水産省の図鑑が言い伝えとして載せるもので、平安末の当時の記録は無い
研磨係

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構成素材

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