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千枚漬 時期 C起源説 B検証済

確度は2軸: 時期=成立時期の固さ/起源説=発祥譚(説)の固さ(A〜Dの4段階・別々に持つ)。確度とは?→

日本 ・ 1881年刊の本に、京都の名産として「千枚漬」の名が見える。いつ始まったかは分からない ・ 成立年代 〜1881 ・ 主役食材 カブ ・ この地域の料理を見る

記章(DB由来の作図・装飾/監修・認証ではない)|起源説確度B・検証済B記章(DB由来の作図・装飾)

千枚漬は、京都の聖護院かぶを薄く切り、昆布とともに漬ける漬物である。幕末に御所の料理方だった大黒屋藤三郎が考え出したと伝えられるが、その考案を当時書きとめた記録は見つかっておらず、京都の名産として千枚漬の名が記録に現れるのは明治14年(1881年)の植物の教科書である。

3ゲート

食材入手ゲート
カブと昆布と塩。日本で得られる
調理技術ゲート
カブを薄く切り、昆布と塩で漬ける
場ゲート
家庭・店・製造元で今も作られ、売られている

成立年代と成立ゲート

主役食材(カブ)の到来データが未登録(不明)のため、到来による下限(縦線)は表示していない。帯は成立年代を示す。

成立年代と成立ゲート成立 〜188118651889

検証メモ: 京都の聖護院かぶを紙のように薄く削り、昆布とともに漬けた漬物。いまは酢やみりんで味をととのえて漬け、日持ちは短い。11月頃から漬け込みが始まり、京都の冬の名物とされる。1881年刊の植物の教科書『植物小学』に、西京(京都)には直径七八寸もある蕪があり、これを薄く切って漬けたものを千枚漬と呼んで同地の名産とする、とある。御所の料理方だった大黒屋藤三郎が幕末に御所を下がってから考え出したと伝えられるが、当時の記録では確かめられていない。なお1836年の江戸の漬物の本に出る「千枚漬」は紫蘇の葉を重ねて味噌に漬けるもので、名前が同じだけの別の品である。

起源説

未確定

★主 京都で大きな蕪を薄切りにして漬ける品が明治初めまでに名産になった説 B

聖護院かぶのような大きな蕪を薄く切って漬ける千枚漬が、幕末から明治の初めにかけて京都の名産として知られるようになった。1881年の植物の教科書が、西京の大きな蕪を薄く切って漬けたものを千枚漬と呼び同地の名産とすると書いている。誰が始めたかはこの記録からは分からない。

御所の料理方だった大黒屋藤三郎が幕末に考案した説 C

京都御所で料理方を務めた大黒屋藤三郎が聖護院かぶを薄く切って漬ける漬物を考え、慶応元年(1865)に御所を下がって屋号を「大藤」と定め、この漬物を売り出したのが始まりとする説。創業の店が自店の商品の紹介でそう伝え、農林水産省の図鑑も、御所の料理方だった藤三郎が退任後に聖護院カブを薄切りにして漬けたのが始まりと書く。考案をその時代に書き留めた記録は見つかっていない。

解説

千枚漬は、蕪を薄く切り、昆布と塩で漬ける京都の漬物である。使われるのは聖護院かぶのような大きな蕪で、材料の蕪と昆布と塩は、どれも日本で手に入る。いまは聖護院かぶを昆布とともに食酢に漬けて仕込み、家庭のほか店や製造元でも作られて売られている。

京都では、千枚漬はすぐき漬とともに11月頃から作られ始める。その漬け込みの様子は、京都の冬の風物詩になっている。

検証ストーリー

千枚漬の始まりとして、創業の店と農林水産省の図鑑が伝えるのが、大黒屋藤三郎の話である。御所の料理方を務めた藤三郎が、聖護院かぶを薄く切って漬ける漬物を考え出したという。店の伝えでは、藤三郎は慶応元年(1865年)に御所を下がって屋号を「大藤」と定め、自らこの漬物を売り出した。ただ、この考案をその時代に書きとめた記録は見つかっていない。

千枚漬が京都の名産として書きとめられるのは、明治14年(1881年)に出た植物の教科書『植物小学』である。その蕪菁(かぶ)の項は、西京、つまり京都には根の直径が七八寸にもなる蕪があり、これを薄く切って漬けたものを千枚漬と称して同地の名産とする、と書く。国立国会図書館がデジタル化した資料を全文検索できる範囲では、京都の蕪の千枚漬を名指す記録としてはこれが最も古い。この本は名産であることを伝えるだけで、誰が考え出したのかには触れていない。

千枚漬という名前そのものは、これより古い本にも出てくる。天保7年(1836年)に江戸で出た漬物の本『四季漬物塩嘉言』にも千枚漬の条があるが、こちらは紫蘇の葉を一枚ずつよく洗い、百枚二百枚と重ねて味噌桶に漬けるものである。京都の蕪の千枚漬とは、名前が同じだけの別の品である。

明治の初めには、蕪を薄く切って漬けた千枚漬が京都の名産として知られていた。それを誰が始めたのかは、まだ記録からは分からない。

検証ログ 追記専用の監査証跡 5 件・押すと開く

日付結果確度主張 / 出典更新者
2026-11-04 支持 C→C
1881年の植物の教科書に、西京(京都)の直径七八寸の大きな蕪を薄く切って漬けたものを千枚漬と称し、同地の名産とするとある
研磨係
2026-11-04 不明 C→C
1836年の江戸の漬物の本に載る「千枚漬」は、紫蘇の葉を百枚二百枚と重ねて味噌桶に漬けるもので、京都の蕪の千枚漬とは名前が同じだけの別の品である
研磨係
2026-11-04 不明 C→C
大黒屋藤三郎が御所を退いたのち聖護院かぶを薄切りにして漬けたのが始まりという説明は、農林水産省の図鑑と創業の店が伝えるが、幕末当時の記録では確かめられない。1881年の記録は京都の名産であることを示すだけで、考案者には触れていない
研磨係
2026-11-04 支持 B→B
いま食べられていることの確認: 農林水産省の「にっぽん伝統食図鑑 京漬物」が、千枚漬はすぐき漬とともに11月頃から生産が始まり、その漬け込みが京都の冬の風物詩になっていると書き、いまは聖護院カブを昆布とともに食酢に漬けて作ると説明している(2026-11-04に確かめた)
研磨係
2026-11-04 不明 C→C
創業の店は、京都御所で料理方を務めた初代が聖護院かぶらの浅漬を考え、慶応元年に御所を下がって大黒屋藤三郎の名から一字を取り「大藤」と屋号を定め、自らこの漬物を売り出したと伝える。店自身の伝えであり、幕末当時の記録で確かめられたものではない。孝明天皇の名はこの紹介文にも農林水産省の図鑑にも出てこない
研磨係

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構成素材

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  • 素材昆布成立史は準備中

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