一覧 / 西欧 / フランス料理

折込以前のクロワッサン(ウィーン風・卵入りパン生地) 時期 B起源説 B検証済

確度は2軸: 時期=成立時期の固さ/起源説=発祥譚(説)の固さ(A〜Dの4段階・別々に持つ)。確度とは?→

フランス(パリ) ・ 1838-39年に August Zang がパリ・リシュリュー通り92番地へ Boulangerie Viennoise を開き、ウィーン式のパン(kipferl/croissant)を売り出したのが起点。遅くとも1853年には Payen がパリの高級パン屋の定番商品「croissants」として配合ごと活字に記す。生地はバターを折り込まない卵入りのパン生地で、この形が1890年代に折込生地の現行クロワッサンへ置き換わるまで続いた ・ 成立年代 1838–1853 ・ 律速要因 キプフェル生地技法(調理技術)

記章(DB由来の作図・装飾/監修・認証ではない)|起源説確度B・検証済B記章(DB由来の作図・装飾)

これはクロワッサン前史(古層)です。現行型を成立させた律速食材「折込生地(pâte feuilletée levée)」を欠く時代の祖型で、現行型とは別の時計で測ります。

現行型「クロワッサン」を見る →

3ゲート

食材入手ゲート
小麦粉・卵はいずれも19世紀パリで在来=律速しない。現行クロワッサンの主役である折込用バターはこの層の生地に入らない(Payen 1853・Larousse 1869 とも配合は一級小麦粉+溶き卵を混ぜた水のみで、バターの記載が無い)=外来の律速食材を持たない前史
調理技術ゲート
律速=ウィーン式キプフェル生地技法(卵入りのパン生地を三日月形に成形する製法)のパリへの移入。1838-39年 August Zang の Boulangerie Viennoise(リシュリュー通り92)に始まり、遅くとも1853年にはパリの高級パン屋で稼働(Payen)。折込(pâte feuilletée levée)はこの層の技術ゲートに含まれない=折込は1890年代の子(現行のクロワッサン)の律速
場ゲート
19世紀パリの高級パン屋(boulangerie de luxe)とその常連である都市の富裕・中産層。Payen 1853 は croissants を「dans les boulangeries de luxe」の商品と明記し、同書は gruau のパンを「personnes riches」の食卓のパンと位置づける。Zang の店は入口に警備を置くほど混んだと1896年の業界書が回想する

成立年代と成立ゲート

食材入手と調理技術の各ゲートを同じ時間軸に並べた(流通は独立ゲートでなく食材入手の経路として内包し、場ゲートは年に乗らない構造ゲートなので図には出さない)。最も遅い調理技術ゲート(1838年・キプフェル生地技法)が律速=成立の物理的な下限で、太線で示す。それより早い要因はその時点で既に充足していた(細線)。成立年代の帯は律速以降にある。

成立年代と成立ゲート成立 1838–1853食材入手 -5500(在地/到来/小麦粉)調理技術・律速 1838(キプフェル生地技法)-62352588
  • 調理技術
  • 食材入手(流通/在地/加工の経路を内包)
  • 太線=律速(最も遅い=成立を縛る)
  • 細線=既に充足
  • 場ゲートは年に乗らない構造ゲート(図外)

起源説

定説

★主 1838-39年 August Zang のパリ紹介説(Boulangerie Viennoise, リシュリュー通り92) B

オーストリア人 August Zang (1807-1888) が1838-39年にパリ・リシュリュー通り92番地へ Boulangerie Viennoise を開き、ウィーン式の三日月形パン(kipferl)を含む pain viennois を売り出した…続きを読む

オーストリア人 August Zang (1807-1888) が1838-39年にパリ・リシュリュー通り92番地へ Boulangerie Viennoise を開き、ウィーン式の三日月形パン(kipferl)を含む pain viennois を売り出した。これがフランスで croissant と呼ばれる系統の起点であり、この行はその「折込以前」の層にあたる。食物史の学術(Chevallier 2009 のモノグラフ/Hopkin 2016 Digest 誌)に加え、食物史研究から独立した業界内部の記述——1896年パリ刊の Scheibenbogen『Cuisine et pâtisserie austro-hongroises』第8部が「C'est vers 1840 que le vrai pain viennois fut fabriqué à Paris … Ce fut un nommé Zang … qui commença à faire le pain viennois, 92, rue Richelieu, à Paris」「tout Paris voulut avoir ses croissants et son pain de gruau」と記し、他のパン屋も追随してウィーン人職人を招いたと述べる——が交差する。さらに Payen 1853 が15年後のパリで croissants を高級パン屋の定番として配合ごと記述し、系統がこの間に定着したことを裏づける。1838年か1839年かを特定する同時代文書(パリの商業年鑑等)には当環境から未到達(Gallica 遮断中)で、確実な活字の下限は1853年であるためAでなくBに置く。

19世紀のクロワッサンは折込でない卵入りパン生地だった(現行形との生地の断絶) A

一次史料の配合が一致する。Anselme Payen『Des substances alimentaires』(パリ, 1853) は「Dans les boulangeries de luxe on prépare encore … des petits p…続きを読む

一次史料の配合が一致する。Anselme Payen『Des substances alimentaires』(パリ, 1853) は「Dans les boulangeries de luxe on prépare encore … des petits pains appelés croissants. Le liquide employé pour former la pâte avec un kilogramme de farine se compose d'un ou de deux œufs battus et mêlés avec environ cinq cents grammes d'eau」と記し、バターも折込も現れない。Pierre Larousse『Grand dictionnaire universel du XIXe siècle』t.5 (1869) も「Les croissants se font avec de la farine de première qualité travaillée avec une eau qui contient des œufs battus」と同じ配合を書く。Littré『Dictionnaire de la langue française』t.1(初版分冊1863)の語義は「Petit pain ou petit gâteau qui a la forme d'un croissant」=形の定義のみで折込に触れない。語の側からも、Gallicagram の新聞コーパスでは「croissants viennois」が1880-1892年、「croissants et brioches」が1890年以降に現れる一方、「croissants feuilletés」は1800-1900年に用例0件で1901年10月以降に立ち上がる(不在の証拠)。よって19世紀パリのクロワッサンは、小麦粉を溶き卵入りの水で捏ねた三日月形の高級パンであり、バターを折り込む現行形とは生地が断絶している。なお二次文献が通称する「ブリオッシュ生地」は概括的な言い方で、一次史料の配合はバターを含まない点でブリオッシュそのものではない(卵で軽くリッチにしたパン生地)。

反証

1683年ウィーン包囲記念・三日月形起源説(創られた伝統) D

オスマン軍の敗退を祝してウィーンのパン職人が三日月形のパンを焼いた、という逸話。1683年当時の一次史料は皆無で、包囲そのものを語る同時代文献にこのパンは現れない。従来この起源譚の活字初出を1938年 Larousse Gastronomique(Gottsc…続きを読む

オスマン軍の敗退を祝してウィーンのパン職人が三日月形のパンを焼いた、という逸話。1683年当時の一次史料は皆無で、包囲そのものを語る同時代文献にこのパンは現れない。従来この起源譚の活字初出を1938年 Larousse Gastronomique(Gottschalk 項)としてきたが、dish#3009 の研磨で少なくとも42年早い活字化を確認した——1896年パリ刊の Scheibenbogen『Cuisine et pâtisserie austro-hongroises』p.117-119「Croissants」の項が、1529年と1683年の包囲、夜業のパン職人がトルコ軍の坑道の音を聞きつけて警報を出した挿話、その功でパン職人組合が帯剣権などの特権を得た話、そして三日月形パンの考案までを一続きに語っている。ただし初出年が早まっても事件から213年後の業界書であることに変わりはなく、同時代の裏づけを欠く点は不変=創られた伝統との判定は動かない(kipferl 自体は1227年の献上詩に既出で包囲以前から存在する)。むしろ、この譚が19世紀末のウィーン系製パン業界の内部で既に自家伝承として流通していたことが分かる点に史料価値がある。

1780年リュ・ドーフィヌ説(マリー・アントワネットが持ち込んだとする俗説) D

Scheibenbogen 1896 は Zang の記述の直後に括弧書きで「(Les croissants se fabriquaient rue Dauphine depuis 1780, ils avaient suivi Marie-Antoinett…続きを読む

Scheibenbogen 1896 は Zang の記述の直後に括弧書きで「(Les croissants se fabriquaient rue Dauphine depuis 1780, ils avaient suivi Marie-Antoinette)」と、クロワッサンは1780年からパリのリュ・ドーフィヌで作られており、マリー・アントワネット(1770年にウィーンから輿入れ)に随いてフランスへ渡ったと記す。これを裏づける18世紀の一次史料は確認できない。パンとしての croissant の語の活字初出は1853年(Payen)、辞書への収載は1863年(Littré)、パリの紙面での「croissants viennois」の用例は1880年以降であり、18世紀パリの文献にパンとしての croissant は現れない。1683年包囲譚と同型の「ウィーンからフランスへ」の系譜づくりであり反証とする。ただし本行の起点である Zang 説と競合する主張が19世紀末の業界書に既に載っていた事実自体は、俗説の古さの記録として保持する。

検証ログ 追記専用の監査証跡

日付結果確度主張 / 出典更新者
2026-08-06 None —→— adder-1
2026-08-06 支持 未入力→A
19世紀パリのクロワッサンの生地は、バターを折り込まない卵入りのパン生地だった
polisher-1
2026-08-06 支持 A→A
1869年の大辞典もクロワッサンの配合を『一級小麦粉+溶き卵入りの水』と記し、Payen 1853 と一致する(独立した史料での交差)
polisher-1
2026-08-06 支持 A→A
クロワッサンの辞書収載(1863年 Littré)でも語義は『三日月形の小型パンまたは菓子』にとどまり、折込への言及はない
polisher-1
2026-08-06 支持 未入力→B
パリのウィーン風パン(croissants を含む)の起点は August Zang がリシュリュー通り92番地に開いたウィーン風パン屋である
polisher-1
2026-08-06 反証 D→D
1683年ウィーン包囲の戦勝記念にパン職人が三日月形パンを考案したとする起源譚の活字初出は1938年 Larousse Gastronomique である
polisher-1
2026-08-06 反証 D→D
クロワッサンは1780年からパリのリュ・ドーフィヌで作られており、マリー・アントワネットに随いてウィーンから伝わった(Scheibenbogen 1896 の括弧書き)
polisher-1
2026-08-06 支持 A→A
折込以前の層は1890年代に終わる=1896年にはウィーン系の職業書のクロワッサンが既にバターを折り込んでいる
polisher-1

このページの誤り・修正を報告

関連する料理

系統 家族・前史・変種

近い料理 食材・年代・地域の重なり