食文化圏 / 東南アジア

カンボジア料理の成立史

東南アジアの食文化圏「カンボジア」に属する料理 14 品の成立史。 いつ・どこで成立したかを、3ゲート(食材入手/調理技術/場)・確度2軸・検証ログで根拠まで辿れます。

この食文化圏の指紋 DB由来のデータ集計(装飾でなく事実)

この圏に特徴的な食材全圏平均より偏って多く現れる律速食材(=この圏に特徴的な素材)。汎用食材は突出しないので外れます。

  • 全圏平均の約 61.75 倍・2 品で律速(=この圏で偏って多く使われる食材)。

成立年代の分布成立年代の分布(最古 前2000 年〜最新 1970 年)。

  • 先史・古代 1
  • 近世 1
  • 近代 5
  • 現代 1

食材は在来か外来か律速食材が在来(もとから現地にあった)か、外来(交易・開国・植民地交易などで届いた)かの比率。

在来 2 外来 2

所属する料理 14

  • サムラー・カコー カンボジア ?–? 時C説D

    カンボジアの国民食ともいわれる濃厚な野菜煮込みサムラー・カコーには、王子が名づけたという民話や、アンコール朝の宮廷で生まれたという通説が語られる。だがどちらも史実の裏づけを欠き、この料理がいつ生まれたのかは今なお分かっていない。

  • チャクルアン カンボジア ?–? 時C説B

    レモングラスやガランガルを搗いた黄金色の香草ペースト「クルアン」を、高温の鉄鍋で炒めるカンボジアの日常食。土地に根づいた古い香りの束と、名前ごと中国から借りてきた炒めの技が、一皿の上で出会っている。

  • ヌンアンソム カンボジア ?–? 時C説B

    バナナや甘く煮た緑豆、あるいは塩気のある豚を芯に詰めたもち米を、バナナ葉で細長い円筒に堅く包んで長い時間をかけて蒸し上げる——カンボジアの正月や祖先を迎える祭りに欠かせないちまきである。その円筒形をヒンドゥーの聖なるかたちになぞらえ、アンコールの時代にさかのぼる由緒を語る声もあるが、それは形にまつわる後世の見立てにすぎず、その古さを示す記録は残っていない。

  • プラホック カンボジア -2000–1200 時B説B

    プラホックはカンボジア料理の味の土台をなす発酵魚ペーストである。国を代表する調味料だけに宮廷仕込みの由緒を思い描きたくなるが、その正体は、トンレサップ湖の漁労民が乾季の大漁を塩に漬けて越年させた生業の保存食だった。

  • ノムバンチョック カンボジア 1500–1800 時C説C

    メコン流域の朝、人々が屋台で椀をすするノムバンチョックは、カンボジアを代表する生米麺料理である。アンコール期に生まれたとも、中国に麺を伝えた伝説の学者が考案したとも語られるが、確かな史料に支えられているのは「東南アジア大陸部に広がる押し出し生米麺の在地伝統」のほうである。

  • アモック カンボジア 1800–1950 時C説C

    バナナの葉に包んで蒸し上げる、カンボジアを代表する魚のカスタード。クメール王朝の宮廷で生まれたと語られてきたが、その宮廷起源を史料でたどることはできず、名の由来も伝来の向きもなお説が交わる。

  • フィッシュ・アモック カンボジア 1800–1960 時C説C

    カンボジアの国民料理フィッシュ・アモックが、九〜十五世紀のクメール帝国の王室料理に遡るという有名な話は、アンコール期の碑文にも一次史料にも裏づけがなく、観光の場で広まった後世の物語である。

  • クイティウ(カンボジア) プノンペン 1860–1950 時B説B

    プノンペンの朝を支える米麺スープ、クイティウ。一見「カンボジア固有の料理」に見えるが、その正体は潮州系の華僑が運んだ麺食文化が現地の食材と嗜好に溶け込んで生まれた、国境をまたぐ麺の物語である。

  • ヌンパン カンボジア 1863–1950 時B説B

    カンボジアの街頭で親しまれるバゲットサンド、ヌンパン。その名の後半「パン」はフランス語のpainがそのまま音になったもので、料理の名前自体が、海を渡ってきたパンの歴史を語っている。

  • ロックラック カンボジア(プノンペン) 1880–1953 時B説C

    角切りの牛肉を強火で手早く炒め、ライムと胡椒のタレで味わうカンボジアの代表的な肉料理。牛が古くからいた土地で、その肉が日々の食卓にのぼるようになったのは、案外新しい出来事だった。

  • 揚げクモ(アーピン) カンボジア(スクオン) 1970–1990 時C説C

    スクオンの名物『揚げクモ(アーピン)』は、クメール・ルージュ期の飢餓で人々が食用タランチュラを食べ始めた、という物語で知られる。だがその起源は推測の域を出ず、確かなのは1990年代以降に街道の屋台で観光名物として広まったことだけである。

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