食材から辿る / 在来

クローブ 素材 時期 C検証済

成立年代 前200〜

クローブが、いつ・どこで食べ物として成立し、各地へどう伝わったかをまとめています。 原産地での成立を3ゲート(食材入手・調理技術・場)で示し、その後の各地への到来を記録でたどります。

3ゲート

食材入手ゲート
自生・栽培のチョウジノキ(Syzygium aromaticum)花蕾の採取@モルッカ諸島(テルナテ等5島固有・先史)
調理技術ゲート
花蕾の天日乾燥による香辛料化
場ゲート
在地の香辛料利用(採取=食用と概ね同年)。のちアジア〜地中海交易の高級香辛料

クローブはどこから広がったか

クローブは、チョウジノキ(Syzygium aromaticum)の花のつぼみを、開く前に摘んで乾かしたものである。この木が自生していたのは、インドネシア東部モルッカ諸島の五つの小さな島——テルナテ、ティドレとその近隣だけだった。世界じゅうで求められた香辛料が、地図の上ではほんの数点の島にしか生えていなかったのである。

摘み取ったつぼみは天日で干す。乾くにつれて赤みを帯びた蕾は褐色に変わり、硬く締まって、あの強い香りが立つ。乾いたクローブは軽く、何年も香りを失わない。島から遠くへ運ばれる条件は、この一手間で整った。

原産地での利用は先史にさかのぼる。ただし、いつからかを年で示すことはできず、紀元前2000年ごろから紀元前200年ごろまでという広い幅のなかにとどまる。

産地を握るということ

島の外の記録に現れて以来、クローブはつねに高価な品だった。産地が数島に限られている以上、値は運ぶ距離と、島を押さえる者の意向で決まる。17世紀に入ると、オランダ東インド会社がモルッカ諸島のクローブとナツメグの取引を独占した。1600年から1650年ごろにかけて、アムステルダムの競売場には島から運ばれた香辛料が積み上がり、そこからヨーロッパ各地へ売り分けられていく。産地を握ることが、そのまま値を握ることだった。

島の外に木が根づく

モルッカ諸島の外でチョウジノキが育てられるようになるのは19世紀である。インド洋の西の端、東アフリカのザンジバルには1812年ごろに苗が持ち込まれた。1828年からは君主サイイド・サイードのもとで大規模な栽培地が開かれ、以後この島々はクローブの主要な産地になる。五つの島にしか生えないという条件は、こうして消えた。

各地への伝来 3

各地で食べ物として定着した時期の記録です。地域によっては、それに先立つ物理的な到来(観賞用など、食用より前の前史)が含まれることがあります。

  • 前2000〜前200頃 モルッカ諸島 在来在地栽培
  • 1600〜1650頃 オランダ 交易路流通
  • 1812〜1828頃 東アフリカ 植民地交易在地栽培

クローブを使う料理 11

成立年不明 2

成立の下限(いつ以降か)が史料から決まらない料理。年代順には置けないのでここへ分けた ── いちばん古いという意味ではない。 「遅くとも◯年までに」はその年までに存在したことが押さえられているという意味で、その年に成立したという意味ではない。

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