食材から辿る / その他・調査中
レンズ豆 素材 時期 B検証済
レンズ豆が、いつ・どこで食べ物として成立し、各地へどう伝わったかをまとめています。 原産地での成立を3ゲート(食材入手・調理技術・場)で示し、その後の各地への到来を記録でたどります。
3ゲート
- 食材入手ゲート
- 栽培化(レンズ豆 Lens culinaris/肥沃な三日月地帯・近東で約-8000〜-7000年。遺伝(GBS)・考古植物学で裏付け)
- 調理技術ゲート
- 脱穀・煮炊き=食材入手と同年(在来穀菜は栽培化と同時に食用成立)
- 場ゲート
- 家庭(新石器農耕村落)=食材入手と同年
レンズ豆はどこから広がったか
レンズ豆(Lens culinaris)は、人が最初に育てた作物の一群に属している。小麦や大麦とならんで、西アジアの肥沃な三日月地帯の新石器時代の村で畑に入った豆である。栽培化はおよそ紀元前8000年から紀元前7000年ごろ。栽培品種と各地の在来系統のゲノムを網羅的に読んだ研究(サナドらの2021年の報告)と、遺跡から出る炭化した種子とが、近東という一つの故郷を指している。
この豆は平たく小さい。皮が薄いので、水に浸さずにそのまま煮ても短い時間で崩れる。乾かせば軽く、袋に詰めて運べる。脱穀して煮る、それだけで食べられる豆だった。
ナイルへ
レンズ豆は近東の農耕とともに周りへ広がった。エジプトのナイル流域に入るのは紀元前8000年から紀元前6000年ごろのあいだで、以後この豆はナイルの畑で育てられるようになる。
アフリカの角へ
さらに南、紅海を越えたアフリカの角へ達するのは、紀元前1000年から紀元前400年ごろのことである。アクスム王国以前のエチオピア高原の農牧の暮らしを調べた研究(ハロワーらの2022年の報告)は、この時期の集落から小麦・大麦・亜麻といった西アジア由来の作物と家畜がそろって出ることを示しており、レンズ豆もその一つだった。近東の村で選ばれた小さな豆は、農耕の広がりに乗って、紅海の向こうの高原にまで畑を得たのである。
各地への伝来 2
各地で食べ物として定着した時期の記録です。地域によっては、それに先立つ物理的な到来(観賞用など、食用より前の前史)が含まれることがあります。
- 前8000〜前6000頃 エジプト 在来在地栽培
- 前1000〜前400頃 エチオピア高原 交易路在地栽培
レンズ豆の到来が成立を縛った料理 1
レンズ豆が届く前には成り立たなかった料理です。到来年が、その料理の物理的な下限になります。
成立年不明 1
成立の下限(いつ以降か)が史料から決まらない料理。年代順には置けないのでここへ分けた ── いちばん古いという意味ではない。この食材の到来が下限を与えることは変わらないが、料理の側の成立年はまだ決まっていない。 「遅くとも◯年までに」はその年までに存在したことが押さえられているという意味で、その年に成立したという意味ではない。
- アジファ エチオピア高原 遅くとも 1987 年までに
レンズ豆を使う料理 10
- アーシュ・レシュテ イラン1000年ごろ
- パリップ(ダル・カレー) スリランカ1000年ごろ
- ムジャダラ レバント1200年ごろ
- チョルバ(トルコ) トルコ1300年ごろ
- アダス・ポロ イラン1501年ごろ
- ハリーム ハイデラバード1600年ごろ
- フーゼレーク ハンガリー1600年ごろ
- ハリラ モロッコ1800年ごろ
- コシャリ エジプト1850年ごろ
成立年不明 1
成立の下限(いつ以降か)が史料から決まらない料理。年代順には置けないのでここへ分けた ── いちばん古いという意味ではない。 「遅くとも◯年までに」はその年までに存在したことが押さえられているという意味で、その年に成立したという意味ではない。
- ルフィッサ モロッコ 遅くとも 1999 年までに