食材から辿る / 新大陸(コロンブス交換)

七面鳥 素材 時期 B検証済

原産地 メソアメリカ ・ 成立年代 前100〜

七面鳥が、いつ・どこで食べ物として成立し、各地へどう伝わったかをまとめています。 原産地での成立を3つの成立条件(食材・調理技術・場)で示し、その後の各地への到来を記録でたどります。

3つの成立条件

食材の条件
野生七面鳥の狩猟(北米に自生し、先史から接触期まで在地で得られた)+メソアメリカでの家畜化(前300〜後100年=マヤ地域出土の骨をThornton らが調べて示した年代)。★北米について台帳に入っている年の幅(前8000〜後1600)は在地で得られた期間の目安で、出土層の年代を測った窓ではない=年代測定つきの出土に裏づけられているのはメソアメリカの前300〜後100だけ
調理技術の条件
加工不要(加熱調理=食材入手と同年)
場の条件
メソアメリカの食用・儀礼(食材入手と同年)

七面鳥はどこから広がったか

七面鳥(Meleagris gallopavo)は北アメリカの鳥である。メキシコからカナダの南東部、アメリカの東部から南部にかけて野生の群れが棲み、東部の群れは先住民が狩りや罠で捕らえて食べてきた。先史のころから接触期まで、北米ではこの大きな鳥が在地で獲れる獲物だった。

人に飼われた七面鳥の古い跡は、その南のメソアメリカに残っている。マヤの地域の遺跡から出た七面鳥の骨を調べた研究(ソーントンらの報告)は、紀元前300年から紀元後100年ごろの層に、その土地には野生では棲まない種(Meleagris gallopavo)の骨が混じっていることを明らかにした。野生の分布の外側で出たこれらの骨は、鳥が人の手で運ばれ、飼われていたことを示す間接の証拠とされる。飼育にとどまっていたのか、すでに家畜化が進んでいたのかまではこの骨からは決まらないが、メソアメリカで七面鳥が飼われていたことを示すものとしては、いま見つかっているなかで最古の手がかりである。飼われた鳥は食用にとどまらず、儀礼の場でも用いられた。

大西洋を越えて、インド洋の宮廷まで

七面鳥が旧大陸へ渡るのは、スペインの征服のあとである。広まり方は速く、16世紀の後半にはすでに地中海の東側に達していた。オスマン帝国で16世紀に編まれた新大陸についての書物『西インド誌』は、この鳥に言及している。1612年にはムガル帝国の皇帝ジャハーンギールが、ゴアのポルトガル商人を通じて七面鳥を手に入れ、その経緯を自身の回想録に書きとめた。サファヴィー朝のイランへは、ヴェネツィアを経てジュルファのアルメニア商人が持ち込んだと、17世紀にこの地を旅した宝石商タヴェルニエが伝えている。新大陸の森の鳥は、ヨーロッパを通り抜けて、一世紀ほどのあいだにインド洋を望む宮廷にまで届いていた。

東アジアの島へ

さらに東の台湾へこの鳥が渡ったのは、19世紀末から20世紀初めにかけてのことと見られる。1871年の『淡水廳志』には「火雞」が載り、「狀如雞而頸長,能食火,自洋船購來」(形は鶏に似て首が長く、火を食べ、洋船から買い入れる)と記されている。ただ、この「火雞」が七面鳥だったかどうかは確かな証拠がない。清代には、火雞の名がヒクイドリを指すこともあった。台湾で七面鳥の飼育が確かめられる最初の記録は、1909年8月14日の『台灣日日新報』に載った養殖の写真で、農事試験場の画報から転載されたものである。日本統治期には農事試験場の計画で飼育が広がり、統治期のあいだに島に根づいた。狩りの獲物だった大きな鳥は、メソアメリカで飼われていた最古の痕跡から二千年ほどのあいだに、世界をひと回りする家禽になった。

各地への伝来 4

各地で食べ物として定着した時期の記録です。地域によっては、それに先立つ物理的な到来(観賞用など、食用より前の前史)が含まれることがあります。

  • 前8000〜1600年 北米 在来
  • 前300〜100年 中米 在来
  • 1580〜1700年 中東・北アフリカ 新大陸交換
  • 1871〜1909年 台湾 交易路流通

七面鳥の到来が成立を縛った料理 2

七面鳥が届く前には成り立たなかった料理です。到来年が、その料理の成り立ちうる最も早い年になります。

成立年不明 1

  • ペピアン グアテマラ 遅くとも 1600 年までに

七面鳥を使う料理 9

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