魚と野菜の支那風煮は、魚と人参・玉ねぎ・さやいんげんを油で炒めてから煮て甘酸っぱく味を付け、水溶きの小麦粉でとろみを付ける煮物である。昭和18年(1943)、静岡県の農村で農繁期に食事をまとめて炊く共同炊事の献立に「支那風煮」の名で載っているが、誰がいつ考えたのかは分かっていない。
3ゲート
- 食材入手ゲート
- 魚・人参・玉ねぎ・さやいんげん。縛るのは玉ねぎで、日本での栽培は明治4年(1871)の開拓使の札幌官園での試作から
- 調理技術ゲート
- 油で炒めてから水を差して煮、砂糖・醤油・塩・少量の酢で味を付け、水溶きの小麦粉でとろみを付ける
- 場ゲート
- 戦時の農繁期に、農村の共同炊事で出す献立として載った
成立年代と食材入手ゲート
食材入手(1871年・在地/到来)が最後に揃った条件で、成り立ちうる最も早い年はその条件が揃った年になる。成立年代の帯は、その年以降にある(場ゲートは年に乗らない構造ゲート)。
- 食材入手(流通/在地/加工の経路を内包)
- 太線=最後に揃った条件(最も遅い=成立を縛る)
- 細線=既に充足
- 場ゲートは年に乗らない構造ゲート(図外)
検証メモ: 昭和18年(1943)5月、静岡県の農繁期の共同炊事の献立に「支那風煮」として載る煮物。魚と人参・玉ねぎ・さやいんげんを油で炒めてから煮て、砂糖・醤油・塩に少量の酢で甘酸っぱく味を付け、水溶きの小麦粉でとろみを付ける。
起源説
未確定
★主 昭和の戦時期の家庭・農村の献立が、支那風煮の一品として載せた B
知られている確かな記録は、昭和18年(1943)5月に静岡県の産業組合の連合会が出した農繁期の共同炊事の献立。魚・人参・玉ねぎ・さやいんげんを油で炒めて煮、砂糖・醤油・塩・少量の酢で味を付け、水溶きの小麦粉でとろみを付ける「支那風煮」が載る。昭和15年(1940)の主婦之友社の料理書にも「揚魚と野菜の支那風煮込み」の見出しがあるが、揚げた魚の煮込みで、使う野菜は読めていない。誰がいつ考えたかを語る史料は見つかっておらず、発祥の言い伝えも無い
解説
炒め煮にとろみを付ける
昭和18年(1943)5月、静岡県の産業組合の連合会である静岡県信用販売購買利用組合聯合会が、『戦時農繁期栄養食共同炊事献立』という献立集を出した。農作業の忙しい時期に、村の人々の食事をまとめて炊くための献立である。その9頁に「南瓜の煮付と支那風煮」という見出しがあり、支那風煮の作り方は次のように書かれている。
「魚、人參、玉葱、さやいんげんを適宜に切り油で炒め水をさして煮、砂糖、醤油、鹽、少量の酢を入れ味付、最後にメリケン粉の水どきを入れ、どろりとさせる。」
魚の種類は決めていない。切った魚と野菜をまず油で炒め、水を差して煮る。味付けは砂糖と醤油と塩に少しの酢を加えた甘酸っぱいもので、最後にメリケン粉(小麦粉)を水で溶いて入れ、汁をどろりとさせる。名にある「支那風」は、当時の日本語で中国風を指した言い方である。
鍋に入る玉ねぎ
鍋に入る野菜のうち玉ねぎは、明治4年(1871)に開拓使が札幌の官園で試しに作ったところから、日本での栽培が始まった野菜である。それから七十年あまり後の静岡県の農村では、その玉ねぎが人参やさやいんげんと一緒に、魚とともに共同炊事の鍋で炒め煮にされていた。
検証ストーリー
「支那風煮」という呼び名は、昭和10年(1935)の雑誌『糧友』にすでに見えるらしい。ただ、そこで何をどう煮ていたのかは分かっていない。
昭和15年(1940)に主婦之友社が出した料理書『健康料理』には、「支那風煮」の名が付いた品が二つある。一つは「肉と野菜の支那風煮」で、肉を主にした品である。もう一つは「揚魚と野菜の支那風煮込み」で、本文には鯵や鯖など、どんな魚を使ってもよいとあるらしい。名前からすると、揚げた魚を野菜と煮込む品のようだ。ただ、この品にどんな野菜を合わせるのかは分かっておらず、魚を揚げてから煮込むらしいところも、炒めてから煮る昭和18年の煮物とは違う。同じ料理と言えるかどうかは決めきれない。
魚と人参・玉ねぎ・さやいんげんを油で炒めて煮、砂糖と醤油と酢で甘酸っぱく味を付けて、水溶きの小麦粉でとろみを付ける。この組み立てが作り方とともに記録に現れるのは、いま知られているなかでは昭和18年(1943)の静岡県の共同炊事の献立が最初である。そこでの名は「支那風煮」だけで、魚と野菜を使うことは作り方の文から分かる。
誰がいつ、魚と野菜をこのように煮始めたのかを語る記録はなく、発祥の言い伝えも残っていない。分かっているのは、戦時中の静岡県の農村で、農繁期の共同炊事の一品としてこの煮物が作られていたことである。
検証ログ 追記専用の監査証跡
| 日付 | 結果 | 確度 | 主張 / 出典 | 更新者 |
|---|---|---|---|---|
| 2026-10-09 | 支持 | —→— |
「魚と野菜の支那風煮」が1943年の史料に現れる
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研磨係 |
| 2026-10-10 | 支持 | —→— |
研磨係の照合: 1943年5月の献立の頁を画像で引き直し、魚・人参・玉葱・さやいんげんを切って油で炒め、水をさして煮て、砂糖・醤油・塩・少量の酢で味をつけ、最後に水どきのメリケン粉でとろみを付ける煮物であることを確かめた。主な素材と作り方の骨子は史料と合う
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研磨係 |
| 2026-10-10 | 不明 | —→— |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) OCRのみ: 1940年の主婦之友社編『健康料理』に「魚と野菜の支那風煮」の語が出るが、前後が「揚」「込み」と続き、見出しは揚げた魚の煮込みらしく読める。使う野菜と作り方は抜粋から読めず、1943年の例と同じ骨子かは決められない。年の幅には入れない
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研磨係 |
| 2026-10-10 | 不明 | —→— |
OCRのみ: 1940年の主婦之友社編『健康料理』に「魚と野菜の支那風煮」の語が出るが、前後が「揚」「込み」と続き、見出しは揚げた魚の煮込みらしく読める。使う野菜と作り方は抜粋から読めず、1943年の例と同じ骨子かは決められない。年の幅には入れない
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研磨係 |
| 2026-10-21 | None | —→— |
「魚と野菜の支那風煮」を料理として扱うことにした(読者に見せるページを切り替え) |
研磨係 |
| 2026-10-21 | 支持 | —→B |
昭和18年(1943)5月の静岡県の農繁期共同炊事の献立に、魚・人参・玉ねぎ・さやいんげんを炒めて煮、甘酢醤油で味を付けて水溶きの小麦粉でとろみを付ける「支那風煮」が載る。遅くともこの年には作られていた。支那風煮に素材が加わった品なので、支那風煮のバリエーションと読む。誰がいつ考えたかを語る史料は無い
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研磨係 |
| 2026-10-21 | 不明 | —→— |
昭和15年(1940)の主婦之友社『健康料理』の「揚魚と野菜の支那風煮込み」の本文に、人参・玉ねぎが現れるかを本文検索で確かめたが、見出しの後には当たらなかった。同じ品と数えるかは決められないまま
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研磨係 |
| 2026-10-31 | 不明 | —→— |
地域の確認: 日本のまま。生きている説は主説(昭和の戦時期の家庭・農村の献立が支那風煮の一品として載せたとする説)だけで、説の説明では、知られている確かな記録は静岡県の産業組合の連合会が出した農繁期の共同炊事の献立で、誰がいつ考えたかを語る史料は見つかっておらず、発祥の言い伝えも無いとする。静岡県は献立に載せた本が出された土地で、料理が生まれた土地として立てられてはいない。2026-10-31 に全文OCRで開き直した静岡県信用販売購買利用組合聯合会『戦時農繁期栄養食共同炊事献立』(1943、NDL PID 1096314)のコマ7 は、南瓜の煮付と支那風煮の項で、魚・人参・玉葱・さやいんげんを適宜に切って油で炒め、水をさして煮て、砂糖・醤油・塩・少量の酢で味付けし、最後にメリケン粉の水どきでどろりとさせる作り方を書く(OCRは段組みが崩れているので、語の並びは前の検証ログの頁の画像による照合に頼った)が、どの土地の料理かは書かない。同じ本のコマ1 の表題頁のOCRには、題名とともに靜岡縣信用販賣購買利用組合聯合會の名がある。コマ26・27 の奥付のOCRは、發行所と印刷所の欄に静岡市江川町と静岡市土太夫町の住所、昭和十八年五月五日發行の字を出す。これは本が出された土地を示すもので、料理が作られ始めた土地を示さない。 同日にデジタルコレクションの書物内全文検索で開き直した主婦之友社編『健康料理』(1940、PID 1055051)の支那風煮の4か所の抜粋は、献立一覧の料理名と、コマ71の揚魚と野菜の支那風煮込みの見出しなどで、土地を言わない。デジタルコレクションの書誌は、この本の出版者を主婦之友社、出版地を東京とするが、これは本が出された土地である。狭い地域名の手がかり: 静岡県(1943年の本の表題頁にある組合の聯合会の名と、奥付の静岡市の住所)・東京(1940年の本の書誌上の出版地)
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研磨係 |
構成素材
この料理を構成する素材の成立史へ。「成立史は準備中」の素材はまだページがありません。