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英国式ハッシュドビーフ(cold meat cookery) 時期 B起源説 B検証済

確度は2軸: 時期=成立時期の固さ/起源説=発祥譚(説)の固さ(A〜Dの4段階・別々に持つ)。確度とは?→

暴かれた通説あり出典で反証された通説を抱える料理です(真の起源は未確定のことが多い)。

英国 ・ 17世紀半ばに成立。仏語 hachis を借りた made-dish としてまず羊・仔羊・カポンで英語料理書に入り(1641年 Murrell が「on the French fashion」と明記、1653年 La Varenne 英訳、1654年 Cooper)、牛肉で、しかも焼いて冷めた肉を使う形は1660年 Robert May『The Accomplisht Cook』初版に現れる。1747年 Hannah Glasse 初版59頁に「Hash Beef the same Way.」、1861年 Isabella Beeton が印刷頁292 レシピ628「HASHED BEEF (Cold Meat Cookery)」として家政書の一項目に定型化した ・ 成立年代 1660–1861 ・ 主役食材 牛肉

記章(DB由来の作図・装飾/監修・認証ではない)|起源説確度B・検証済B記章(DB由来の作図・装飾)

焼いて冷めたローストビーフを薄く切り、その肉から取った煮汁で煮直す英国の一品。倹約のヴィクトリア朝が残り物のために編み出した料理として語られるが、最も古い姿は1660年の料理書にあり、赤葡萄酒とレモンとナツメグで仕立てる贅沢な一皿だった。

史料が示すこと 起源・発祥は?

俗説「英国のハッシュドビーフの最古の記述は1788年の英国料理書である、とする説。日本語版 Wikipedia「ハッシュドビーフ」が「1788年に発行…」は、史料の検証で退けられている。

英語の hash は仏語 hacher(刻む)/hachis(刻んだ肉の料理)の借用で、17世紀半ばの英語料理書がフランス風の made-dish として取り入れ、それが英国の大きなロースト肉を焼く食習慣と結びついて『焼いて冷めた肉を薄く切り、その肉から取ったグレービーで煮直す』家政技法として定着した。(1) 17世紀以前の英語のレシピ文献に hash の語が無い。EEBO-TCP に逐語翻刻があり、TCP.csv の件名に cookery の字面を大小問わず持つ1617年以前の9点(Partridge 1573/1588/1591、Dawson 1587/1597、A.W. 1591、Good Huswifes Handmaid 1597、Epulario 英訳1598、Murrell 1617)を、NFKD 正規化と小文字化(空白は保つ)+語頭側の語境界 \bha[sc]h で走査して9点とも0件。同じ物差しの対照語 mutton/beef/boyl は本ごと合計5〜215件=取得は成功しており本文は読めている。件名の字面の外にある1617年以前の食関連件名29点も同じ物差しで0件で、9点と合わせて38点すべてが0件。1641年 Murrell 以降は同じ物差しで非0に転じる(1641年7件・1653年28件・1654年8件・1660年95件・1661年53件)。射程は EEBO-TCP に翻刻のある範囲であって、写本・未翻刻の刊本の不在を示すものではない。なお29点を料理書と数えない=まぎれもない料理書は Hugh Plat『Delightes for Ladies』1602 の1点だけで、残りは医薬・秘伝の受方書、雑纂、食卓談義、食養書である。言えるのは『料理書が18点になった』ではなく『件名の字面の外にある英語のレシピ文献へ広げても hash は出ない』。(2) 英語料理書での最古級の用例は1641年 John Murrell『Murrels Two Books of Cookerie and Carving』の「To hash a Legge of Mutton on the French fashion」で、料理書自身が『フランス風』と断っている。(3) 1653年に La Varenne『Le Cuisinier françois』の英訳『The French Cook』がロンドンで出て、仏語 hachis が英語 hash と訳される。(4) 1654年 Joseph Cooper の段階では対象は羊・仔羊・カポンで、半茹で/半焼きの肉を薄切りにして煮る作りであり、牛肉の項も冷肉の項も無い。(5) 牛肉のハッシュ、しかも『焼いて冷めた肉』を使う法が現れるのは1660年 Robert May『The Accomplisht Cook』初版で、「Being rosted and cold cut it into very fine thin slices, then put some gravy to it, nutmeg, salt, a little thin slict onion, and claret wine, stew it in a pipkin」=冷えたローストビーフの極薄切りをグレービー・ナツメグ・塩・薄切り玉葱・クラレットで煮直し、sippets を添える。(6) 1747年 Hannah Glasse 初版59頁「To Hash Mutton like Venison」の末尾に「Hash Beef the same Way.」があり、同じ作りで牛肉にも当てる。同頁の「To Hash Cold Mutton」は薄いパンを焼いて三角に切り皿に並べてハッシュを注ぐ(sippets)。(7) 1861年 Isabella Beeton が印刷頁292 レシピ628「HASHED BEEF (Cold Meat Cookery)」として家政書の一項目に定型化する。材料は取っておいたグレービー、トマトソース・ハーヴェイソース・マッシュルームケチャップ各小さじ1、ポートまたは強いエール、とろみ用の小麦粉、みじん玉葱1個、冷えたローストビーフの薄切りで、焼いたパン(sippets)を添える。1660年・1747年・1861年を貫く骨格は『冷えたローストビーフの薄切り+玉葱+肉の煮汁(1660年と1861年はグレービー、1747年は骨で取った出汁)+パン』で一貫している。この形が1888年(明治21)『軽便西洋料理法指南』の「ハヤシビフ」として日本語に転写され、ハヤシライスになった。 なお「最古の記述は1788年の英国料理書とする説(日本語圏で流布)」という通説は一次史料・学術文献で退けられている。

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3ゲート

食材入手ゲート
牛肉は英国在来(前4000年頃の新石器期に家畜として到来)、玉ねぎは西欧で800年頃(カール大帝『御料地令』)から常用の菜園作物で、ともに17世紀の英国では入手容易=食材入手は律速にならない。クラレット(赤葡萄酒)・ナツメグ・メースも中世以来の輸入品で入手可
調理技術ゲート
(1)大きな塊肉を炉で焼き、滴るグレービーを取っておくロースト、(2)仏語 hachis=肉を刻んで出汁・葡萄酒で煮直す made-dish の技法、(3)小麦粉をまぶす/粉で丸めたバターでとろみを付ける手当て。このうち律速は(2)で、英語料理書に入った年は上限しか分からない=遅くとも1641年 Murrell には入っている。EEBO-TCP に逐語翻刻があり、TCP.csv の件名に cookery の字面を大小問わず持つ1617年以前の9点(Partridge 1573/1588/1591・Dawson 1587/1597・A.W. 1591・Good Huswifes Handmaid 1597・Epulario英訳1598・Murrell 1617)に hash の語は1件も無い。物差しは NFKD 正規化と小文字化(空白は保つ)+語頭側の語境界 \bha[sc]h で、同じ物差しの対照語 mutton/beef/boyl は本ごと合計5〜215件=本文は読めている。件名の字面の外にある1617年以前の食関連件名29点も0件で、9点と合わせて38点すべてが0件(29点の大半は医薬・秘伝の受方書や食養書で、まぎれもない料理書は Hugh Plat 1602 の1点)。通覧範囲は EEBO-TCP に翻刻のある刊本に限り、写本・未翻刻の刊本は見ていない。(1)(3)は中世英国に既にある
場ゲート
家庭の台所(1660年時点は貴顕の厨房、19世紀は中流家庭)/ 富裕層→都市中間層 / 家庭 / 一般家庭。条件は「大きなロースト肉の塊を焼いて余らせる家」であること。1861年 Beeton の献立表 PLAIN FAMILY DINNERS は日曜=ローストビーフ、月曜=冷えたローストビーフ、火曜=ハッシュドビーフ(第1919項・第2124項)と週の回し方を明示する

成立年代と成立ゲート

食材入手と調理技術の各ゲートを同じ時間軸に並べた(流通は独立ゲートでなく食材入手の経路として内包し、場ゲートは年に乗らない構造ゲートなので図には出さない)。最も遅い食材入手ゲート(800年・在地/到来・玉ねぎ)が律速=成立の物理的な下限で、太線で示す。それより早い要因はその時点で既に充足していた(細線)。成立年代の帯は律速以降にある。

成立年代と成立ゲート成立 1660–1861食材入手 前6500(在地/到来/牛肉)食材入手・律速 800(在地/到来/玉ねぎ)前73362697
  • 食材入手(流通/在地/加工の経路を内包)
  • 太線=律速(最も遅い=成立を縛る)
  • 細線=既に充足
  • 場ゲートは年に乗らない構造ゲート(図外)

検証メモ: 焼いて冷めたローストビーフを薄く切り、その肉から取っておいた煮汁(グレービー)と玉葱で煮直し、焼いたパン(sippets)を添える英国の家庭料理。英語 hash は仏語 hacher(刻む)/hachis の借用で、17世紀半ばにフランス風の made-dish として英語料理書に入った。1641年 John Murrell は「To hash a Legge of Mutton on the French fashion」と自ら「フランス風」と断り、1653年には La Varenne の英訳『The French Cook』がロンドンで出て hachis が hash と訳される。1654年 Joseph Cooper の段階では対象は羊・仔羊・カポンで、牛肉の項も冷肉の項も無い。牛肉で、しかも焼いて冷めた肉を使う形が現れるのは1660年 Robert May『The Accomplisht Cook』初版で、「焼いて冷めた肉を極薄に切り、グレービー・ナツメグ・塩・薄切り玉葱・クラレットを加えて小鍋で煮る」と書かれ、皿には sippets を飾る。1747年 Hannah Glasse は「To Hash Mutton like Venison」の末尾に「Hash Beef the same Way.」と付し、同頁の「To Hash Cold Mutton」では薄いパンを焼いて三角に切り皿に並べその上に注ぐ。1861年 Isabella Beeton はレシピ628「HASHED BEEF (Cold Meat Cookery)」として、取っておいたグレービー・トマトソース・ハーヴェイソース・マッシュルームケチャップ・ポートまたは強いエール・粉でとろみ・みじん玉葱・冷えたローストビーフの薄切り、という材料を並べ、沸かさずに温めて焼いたパンを添えよと指示した。1660年・1747年・1861年を貫く骨格は「冷えたローストビーフの薄切り+玉葱+肉の煮汁(1660年と1861年はグレービー、1747年は骨で取った出汁)+パン」で一貫している。この形が1888年(明治21)『軽便西洋料理法指南』の「ハヤシビフ」として日本語へ転写され、ハヤシライスになった=伝播。「Cold Meat Cookery(冷肉の料理)」という呼び名は Beeton の章分類であって料理の起源ではない。1660年の姿はクラレット・レモン・ナツメグを使い彫った sippets を添える貴顕の厨房の一皿で、節約食ではなかった。19世紀が与えたのは、日曜のローストを週の前半で回す中流家庭の家政という位置づけと、その分類名である。日本語圏で引かれる「1788年の英国料理書が最古の記述」という説明は、1660年と1747年の記述に先を越されており最古ではない。似た見た目のビーフストロガノフとは系統が別で、ロシア側の記録上の初出は1871年モロホヴェツ料理書=英国側より211年遅く、両者を結ぶ史料は無い

起源説

定説

★主 仏語 hachis の借用と英国の cold meat cookery への定着(17世紀) B

英語の hash は仏語 hacher(刻む)/hachis(刻んだ肉の料理)の借用で、17世紀半ばの英語料理書がフランス風の made-dish として取り入れ、それが英国の大きなロースト肉を焼く食習慣と結びついて『焼いて冷めた肉を薄く切り、その肉から取った…続きを読む

英語の hash は仏語 hacher(刻む)/hachis(刻んだ肉の料理)の借用で、17世紀半ばの英語料理書がフランス風の made-dish として取り入れ、それが英国の大きなロースト肉を焼く食習慣と結びついて『焼いて冷めた肉を薄く切り、その肉から取ったグレービーで煮直す』家政技法として定着した。(1) 17世紀以前の英語のレシピ文献に hash の語が無い。EEBO-TCP に逐語翻刻があり、TCP.csv の件名に cookery の字面を大小問わず持つ1617年以前の9点(Partridge 1573/1588/1591、Dawson 1587/1597、A.W. 1591、Good Huswifes Handmaid 1597、Epulario 英訳1598、Murrell 1617)を、NFKD 正規化と小文字化(空白は保つ)+語頭側の語境界 \bha[sc]h で走査して9点とも0件。同じ物差しの対照語 mutton/beef/boyl は本ごと合計5〜215件=取得は成功しており本文は読めている。件名の字面の外にある1617年以前の食関連件名29点も同じ物差しで0件で、9点と合わせて38点すべてが0件。1641年 Murrell 以降は同じ物差しで非0に転じる(1641年7件・1653年28件・1654年8件・1660年95件・1661年53件)。射程は EEBO-TCP に翻刻のある範囲であって、写本・未翻刻の刊本の不在を示すものではない。なお29点を料理書と数えない=まぎれもない料理書は Hugh Plat『Delightes for Ladies』1602 の1点だけで、残りは医薬・秘伝の受方書、雑纂、食卓談義、食養書である。言えるのは『料理書が18点になった』ではなく『件名の字面の外にある英語のレシピ文献へ広げても hash は出ない』。(2) 英語料理書での最古級の用例は1641年 John Murrell『Murrels Two Books of Cookerie and Carving』の「To hash a Legge of Mutton on the French fashion」で、料理書自身が『フランス風』と断っている。(3) 1653年に La Varenne『Le Cuisinier françois』の英訳『The French Cook』がロンドンで出て、仏語 hachis が英語 hash と訳される。(4) 1654年 Joseph Cooper の段階では対象は羊・仔羊・カポンで、半茹で/半焼きの肉を薄切りにして煮る作りであり、牛肉の項も冷肉の項も無い。(5) 牛肉のハッシュ、しかも『焼いて冷めた肉』を使う法が現れるのは1660年 Robert May『The Accomplisht Cook』初版で、「Being rosted and cold cut it into very fine thin slices, then put some gravy to it, nutmeg, salt, a little thin slict onion, and claret wine, stew it in a pipkin」=冷えたローストビーフの極薄切りをグレービー・ナツメグ・塩・薄切り玉葱・クラレットで煮直し、sippets を添える。(6) 1747年 Hannah Glasse 初版59頁「To Hash Mutton like Venison」の末尾に「Hash Beef the same Way.」があり、同じ作りで牛肉にも当てる。同頁の「To Hash Cold Mutton」は薄いパンを焼いて三角に切り皿に並べてハッシュを注ぐ(sippets)。(7) 1861年 Isabella Beeton が印刷頁292 レシピ628「HASHED BEEF (Cold Meat Cookery)」として家政書の一項目に定型化する。材料は取っておいたグレービー、トマトソース・ハーヴェイソース・マッシュルームケチャップ各小さじ1、ポートまたは強いエール、とろみ用の小麦粉、みじん玉葱1個、冷えたローストビーフの薄切りで、焼いたパン(sippets)を添える。1660年・1747年・1861年を貫く骨格は『冷えたローストビーフの薄切り+玉葱+肉の煮汁(1660年と1861年はグレービー、1747年は骨で取った出汁)+パン』で一貫している。この形が1888年(明治21)『軽便西洋料理法指南』の「ハヤシビフ」として日本語に転写され、ハヤシライスになった。

反証

最古の記述は1788年の英国料理書とする説(日本語圏で流布) D

英国のハッシュドビーフの最古の記述は1788年の英国料理書である、とする説。日本語版 Wikipedia「ハッシュドビーフ」が「1788年に発行されたイギリス料理の書籍は、残り物のローストビーフを薄く切ってエシャロットやピクルスとともに煮込む、と記している」と…続きを読む

英国のハッシュドビーフの最古の記述は1788年の英国料理書である、とする説。日本語版 Wikipedia「ハッシュドビーフ」が「1788年に発行されたイギリス料理の書籍は、残り物のローストビーフを薄く切ってエシャロットやピクルスとともに煮込む、と記している」と書き、日本語圏ではこの年がハッシュドビーフの英国側の起点として引かれる。しかし年代が合わない。1660年 Robert May『The Accomplisht Cook』初版に既に「Being rosted and cold cut it into very fine thin slices…」=冷えたローストビーフの極薄切りをグレービー・薄切り玉葱・クラレットで煮直す法があり、1747年 Hannah Glasse 初版59頁にも「Hash Beef the same Way.」がある。1788年より128年および41年早い。したがって1788年は最古の記述ではない。反証の射程は限定する=1788年の当該書にそういう記述があること自体を否定するのではなく、それを『最古』とする位置づけだけが誤りである。またこの説は日本語圏の百科記事に由来し、学術的な対立説ではない。

ヴィクトリア朝の節約家政が生んだ料理とする説 D

ハッシュドビーフはヴィクトリア朝19世紀の節約家政(残り物処理)が生んだ料理である、とする説。「Cold Meat Cookery(冷肉の料理)」という呼び名そのものが1861年 Beeton『The Book of Household Management』…続きを読む

ハッシュドビーフはヴィクトリア朝19世紀の節約家政(残り物処理)が生んだ料理である、とする説。「Cold Meat Cookery(冷肉の料理)」という呼び名そのものが1861年 Beeton『The Book of Household Management』の章分類であり、同書がこの分類に力を入れたと序文で述べているため、ハッシュドビーフを19世紀の節約家政の産物として説明する筋書きが広く流通する。だが料理は少なくとも1660年 Robert May『The Accomplisht Cook』初版まで遡り、19世紀の発明ではない。しかも1660年の姿は節約食ではなく、クラレット(赤葡萄酒)・レモン・ナツメグ・彫った sippets を添える貴顕の厨房の made-dish で、同じ書の隣の頁には葡萄・バーベリー・グーズベリーで飾る他のハッシュが並ぶ。残り肉を使うという性格は最初からあるが、それは『倹約』ではなく当時の made-dish の作法の一部だった。19世紀が加えたのは料理そのものではなく、(a)『Cold Meat Cookery』という家政書上の分類名と、(b) 中流家庭の週の回し方という位置づけである。Beeton の献立表「PLAIN FAMILY DINNERS」は、日曜=ローストビーフ、月曜=冷えたローストビーフ、火曜=ハッシュドビーフ(第1919項・第2124項)と明示し、日曜のローストの塊肉を週の前半で回す家政の中にハッシュドビーフを置いている。したがって『ヴィクトリア朝が生んだ』は誤りで、正しくは『ヴィクトリア朝が節約の意味づけと分類を与えた』である。

解説

冷めたローストビーフをもう一度仕立てる

英国の台所には、大きな塊肉を炉の前で焼き、滴る肉汁を受け皿にためておく習慣が古くからあった。ハッシュドビーフは、その焼き上がりが冷めたあとの姿から始まる。冷えたローストビーフを紙のように薄く切り、みじん切りの玉葱と、肉から取った肉汁(グレービー)を合わせて、煮立てないように温め直す。皿には焼いたパンを添える。冷えたローストビーフの薄切り、玉葱、それを煮直す汁、そしてパン——この四つの組み合わせは、1660年の記述から1861年の記述まで変わらない。煮直す汁は、1660年と1861年の料理書ではグレービーで、そのあいだの1747年の料理書は骨で取った出汁を使っている。

牛は紀元前四千年ごろの新石器時代から英国で飼われている家畜で、玉葱は西欧の菜園に800年ごろから並ぶ常備の作物である。ナツメグやメースといった香辛料も、赤葡萄酒のクラレットも、中世以来の輸入品として英国の厨房にあった。材料はどれも、17世紀の英国では手近なものばかりだった。

刻む技はフランスから来た

英語の hash は、刻むという意味のフランス語 hacher と、その料理名 hachis を借りた語である。英語の料理書にこの語が入るのは17世紀の半ばで、1641年のジョン・マレルは「羊の腿をフランス風にハッシュにする」と、自ら「フランス風」と断って書いている。1653年にはロンドンでラ・ヴァレンヌの『フランスの料理人』の英訳が出て、そこでフランス語の hachis が英語の hash と訳された。

それ以前はどうか。いま逐語の翻刻を通して読める範囲では、1617年までに出た英語の料理書に hash という語は一つも現れない。同じ本を mutton や beef で引けばその語は拾えるので、本文が読めていないわけではない。刻んで煮直すという仕立て方は、フランス料理の語彙とともに英語圏へ入ってきたものだった。

牛肉と冷めた肉へ広がる

英語に入ったばかりのころのハッシュは、羊・仔羊・カポンを相手にしていた。1654年のジョゼフ・クーパーの本でも、半茹でか半焼きにした肉を薄切りにして煮る作りで、牛肉の項も冷肉の項もない。

牛肉を、しかも焼いて冷めた肉を使う形が現れるのは、1660年に出たロバート・メイの料理書『The Accomplisht Cook』の初版である。焼いて冷めた牛肉を極薄に切り、グレービー・ナツメグ・塩・薄切りの玉葱・クラレットを加えて小鍋で煮る、と書かれている。1747年のハナ・グラスは「羊を鹿肉風にハッシュにする」の項の末尾に「牛肉も同じやり方でハッシュにせよ」と付け加え、同じ頁で、薄いパンを狐色に焼いて三角に切り、皿に並べてその上に注ぐよう指示した。

週の献立に居場所を得る

19世紀に入ると、この一品は中流家庭の一週間のなかに定まった場所を持つ。1861年のイザベラ・ビートンの家政書は、レシピ628「ハッシュト・ビーフ(冷肉の料理)」として作り方を型に落とし込んだ。取っておいたグレービーにトマトソース、ハーヴェイソース、マッシュルームケチャップを小さじ一杯ずつ、ポートか強いエール、とろみ用の小麦粉、みじん切りの玉葱一個を合わせ、粉をまぶした冷えたローストビーフの薄切りを入れて、沸かさずに温める。仕上げは焼いたパンである。ハーヴェイソースやマッシュルームケチャップといった壜詰めの調味料が材料に並ぶところが、17世紀の作りとの違いになっている。

日本へ渡ってハヤシライスになる

この形は明治の日本にも届いた。1888年(明治21)の西洋料理教本『軽便西洋料理法指南』の「ハヤシビフ」は、冷えたロースビフを薄く切り、玉葱と牛酪で煎りつけ、汁とソースで煮て、揚げたパンを載せる。英国側の骨格が、パンを添える作法まで含めてそのまま写されている。これがのちに飯にかけられてハヤシライスになった。

検証ストーリー

「冷肉の料理(Cold Meat Cookery)」という呼び名は、料理そのものの古い名ではなく、1861年のイザベラ・ビートンが家政書のなかに立てた章の名である。ビートンはこの分類に力を入れたと序文で述べており、同じ書の献立表「素朴な家庭の食事」を開けば、日曜にローストビーフ、月曜に冷えたローストビーフ、火曜にハッシュドビーフ、という週の回し方が書き込まれている。日曜に焼いた大きな塊肉を週の前半で使い切る段取りのなかに、この料理は置かれていた。ここから、ハッシュドビーフはヴィクトリア朝の倹約が生んだ残り物料理だ、という説明が広まった。

だが料理そのものは、その二百年前からある。1660年に出たロバート・メイの料理書『The Accomplisht Cook』に載る牛肉のハッシュは、倹約の一皿ではない。焼いて冷めた牛肉の極薄切りを、グレービーとナツメグと薄切りの玉葱、そしてクラレットで煮て、溶かしバターをかけ、薄切りのレモンを載せ、切り整えたパンで皿を飾る。同じ書の近くの頁には、葡萄やバーベリー、グーズベリーで飾る別のハッシュが並ぶ。冷めた肉を使うのは、貧しさの工夫ではなく、当時の手をかけた仕立て料理の作法の一部だった。

19世紀が加えたのは、料理ではなく居場所と名前のほうである。中流家庭の一週間の段取りと、「冷肉の料理」という家政書上の分類。この二つが後の世に、料理そのものまで19世紀のものに見せることになった。

日本語圏には、もう一つ別の言い伝えがある。英国のハッシュドビーフの最も古い記述は1788年の料理書にある、という説明で、残り物のローストビーフを薄く切ってエシャロットやピクルスと煮込む、と紹介されることが多い。しかし1660年のメイの本には既に冷えたローストビーフの薄切りを煮直す法があり、1747年のグラスにも牛肉のハッシュがある。それぞれ1788年より128年、41年さかのぼる。1788年の料理書にそうした記述があること自体が疑わしいわけではない。誤っているのは、それを最も古いとする位置づけのほうである。

では hash はどこまで遡れるのか。英語の hash は14世紀の英国の hache/hachy に遡る、と書かれることがある。ところが14世紀末にリチャード二世の料理長たちが編んだ料理帖を開くと、名前の近い項は「ホッチーの鶏」ただ一つで、これは丸のままの鶏にパセリとセージと大蒜と葡萄を詰めて出汁で煮る料理であり、肉を刻む工程がない。1780年にこの料理帖を校訂した編者も、これはフランスの hachis にも英語の hash にも当たらないと注をつけている。刻んで煮直すという言葉と技が英語圏に現れるのは、いまのところ17世紀の半ばまでしかさかのぼれない。

検証ログ 追記専用の監査証跡

日付結果確度主張 / 出典更新者
2026-08-21 支持 D→B
英語圏で『焼いて冷めたローストビーフを薄切りにし、その肉から取ったグレービー・薄切り玉葱・葡萄酒で煮直す』ハッシュドビーフの、現時点で確認できる最古の記述は1660年 Robert May『The Accomplisht Cook』初版である
研磨係
2026-08-21 支持 B→B
英語の hash は仏語 hachis/hacher の借用で、英語料理書に入るのは17世紀。最古級の用例は1641年 John Murrell が『on the French fashion(フランス風に)』と断って載せる羊のハッシュである。またEEBO-TCP に逐語翻刻のある16世紀英語料理書9点(Partridge 1573/1588/1591・Dawson 1587/1597・A.W. 1591・Good Huswifes Handmaid 1597・Epulario英訳1598・Murrell 1617)を全文検索して hash の語は0件(通覧範囲はこの9点=EEBO-TCP に翻刻のある英語料理書に限る)
研磨係
2026-08-21 支持 B→B
1653年にロンドンで出た La Varenne『Le Cuisinier françois』の英訳『The French Cook』が仏語 hachis を英語 hash と訳しており、語の借用経路を同時代の翻訳が示す
研磨係
2026-08-21 支持 B→B
1654年 Joseph Cooper の段階では英語のハッシュは羊・仔羊・カポンが対象で、半茹で/半焼きにした肉を薄切りにして煮る作りであり、牛肉の項も冷肉(残り肉)の項も無い=牛肉と冷肉への適用は1660年 May で確認できる
研磨係
2026-08-21 支持 B→B
1747年 Hannah Glasse 初版59頁「To Hash Mutton like Venison」の末尾に「Hash Beef the same Way.」とあり、冷肉を極薄に切り、骨で取った出汁・赤葡萄酒・みじん玉葱・レモンの皮・粉をまぶしたバターで煮直す作りを牛肉にも当てる。同頁の「To Hash Cold Mutton」は薄いパンを狐色に焼いて三角に切り皿に並べ、その上にハッシュを注ぐ(sippets)
研磨係
2026-08-21 支持 B→B
1861年 Isabella Beeton が印刷頁292 レシピ628「HASHED BEEF (Cold Meat Cookery)」として、取っておいたグレービー・トマトソース・ハーヴェイソース・マッシュルームケチャップ各小さじ1・ポートまたは強いエール・粉でとろみ・みじん玉葱1個・冷えたローストビーフの薄切り、という形を家政書の一項目に定型化した。仕上げは沸かさずに温め、焼いたパン(sippets of toasted bread)を添える
研磨係
2026-08-21 支持 B→B
場ゲートの実態=1861年 Beeton の献立表 PLAIN FAMILY DINNERS は、日曜=ローストビーフ、月曜=冷えたローストビーフ、火曜=ハッシュドビーフ(2月の第1919項、12月の第2124項)と週の回し方を明示し、ハッシュドビーフが日曜の塊肉を回す中流家庭の家政の一部だったことを示す
研磨係
2026-08-21 反証 D→D
英国のハッシュドビーフの最古の記述は1788年の英国料理書である(日本語圏で流布する説)
研磨係
2026-08-21 反証 D→D
英国のハッシュドビーフはヴィクトリア朝19世紀の節約家政(残り物処理)が生んだ料理である
研磨係
2026-08-21 不明 B→B
『英語の hash は14世紀英国の hache/hachy に遡る』という記述(英語版Wikipedia)は、14世紀英国料理書 The Forme of Cury(c.1390)では裏づけられない。名称の近い項は第34項『Chykens in Hocchee』のみで、丸のままの鶏にパセリ・セージ・大蒜・葡萄を詰めて出汁で煮る料理=肉を刻む工程が無い(通覧範囲は The Forme of Cury 1点のみで、他の中英語料理写本は未確認)
研磨係
2026-08-21 支持 B→B

🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ)

1888年(明治21)『軽便西洋料理法指南』の「ハヤシビフ」は Glasse/Beeton 型の英国式 hashed beef のレシピそのものであり、#3177(英国式ハッシュドビーフ=祖型)→#3175(ハヤシライス=派生)の伝播関係が成り立つ
研磨係
2026-08-21 不明 B→B
英国式ハッシュドビーフとビーフストロガノフ(#25)を系譜で結ぶ史料は無く、dish_relations を張らない。英語のハッシュは1641年に英語料理書へ入り1660年には牛肉・冷肉に及んでいるのに対し、ストロガノフのロシア側の記録上の初出は1871年モロホヴェツ料理書で211年遅い
研磨係
2026-08-21 支持 B→B
EEBO-TCP に逐語翻刻があり TCP.csv の件名に Cookery の字面を持つ1617年以前の9点(Partridge 1573/1588/1591・Dawson 1587/1597・A.W. 1591・Good Huswifes Handmaid 1597・Epulario英訳1598・Murrell 1617)に hash/hach 系の語は無い(物差しを明記して2026-08-21に引き直した結果)
研磨係
2026-08-21 支持 B→B
1617年以前は0件だった hash 系の語は、1641年 Murrell 以降の英語料理書では非0に転じる(同一の物差しで引き直した件数)
研磨係
2026-08-21 不明 B→B
不在の証拠の母集団は『16世紀英語料理書9点』ではなく『EEBO-TCP に翻刻があり TCP.csv の件名に Cookery の字面を持つ1617年以前の9点』である(絞り方の言葉での言い直し)
研磨係
2026-08-21 支持 B→B
EEBO-TCPに逐語翻刻があり、TCP.csvの件名にcookeryの字面を大小問わず持つ1617年以前の9点(Partridge 1573/1588/1591・Dawson 1587/1597・A.W. 1591・Good Huswifes Handmaid 1597・Epulario英訳1598・Murrell 1617)を、NFKD正規化と小文字化(空白を保つ)+語頭側の語境界\bha[sc]hで走査し、9点とも0件。対照語mutton/beef/boylは同じ物差しで本ごと合計5〜215件(=取得は成功しており本文は読めている)。件名の字面の外にある1617年以前の食関連件名29点も同じ物差しで0件。1641年Murrell以降は非0に転じる。射程: TCPに翻刻のある範囲であって、写本・未翻刻の刊本を否定するものではない。なお29点を料理書と数えないこと。まぎれもない料理書はHugh Plat 1602の1点だけで、残りは医薬・秘伝の受方書、雑纂、食卓談義、食養書。言えるのは『料理書が18点になった』ではなく『件名の字面の外にある英語のレシピ文献に広げても出ない』。
研磨係
2026-10-02 支持 B→B
1888年(明治21)『軽便西洋料理法指南』の「ハヤシビフ」は、冷えたローストビーフの薄切りを玉葱とともに肉から取っておいた煮汁で温め直し、パンを添える英国式ハッシュドビーフの作りを写しており、英国式ハッシュドビーフを祖型、ハヤシライスを派生とする伝播の関係が成り立つ
研磨係

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