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醤油 時期 C起源説 C検証済

確度は2軸: 時期=成立時期の固さ/起源説=発祥譚(説)の固さ(A〜Dの4段階・別々に持つ)。確度とは?→

暴かれた通説あり出典で反証された通説を抱える料理です(真の起源は未確定のことが多い)。

中国 ・ 大豆を醸した醬(豆醬)から採る液体を調味に使う実体は、遅くとも6世紀中頃の『齊民要術』卷第八に現れる(「作醬法第七十」の豆醬の製法と、豆醬清・醬清を用いる5つの料理法、同巻36箇所の豉汁)。ただし当時の名は「醬清(豆醬清)」であって「醬油」ではない。「醬油」の語が現れるのは南宋・林洪『山家清供』(13世紀半ば)の4条=山海羮・山家三脆・柳葉韭・忘憂虀で、すでに油や酢と並ぶ卓上調味料として扱われている。文献初出は存在の上限であって発明年ではないため、成立は6世紀(実体の確実な下限)〜13世紀(名の定着)の幅を持つ。さらに遡る説として後漢『四民月令』(2世紀)の「清醬」を祖とみる見方があるが、原書は散逸し『齊民要術』の引用でしか伝わらない(諸説併記)。日本の醤油(#2067・16世紀成立)とは別行。 ・ 成立年代 544–1279 ・ 主役食材 大豆

記章(DB由来の作図・装飾/監修・認証ではない)|起源説確度C・検証済C記章(DB由来の作図・装飾)

醤油は南宋(12〜13世紀)に生まれた、という話がある。「醬油」という語が文献に現れる最初の例が南宋の料理書だからだが、大豆を醸した醬から液を採って味つけに使う実体は、その700年ほど前の華北の台所にすでにあった。

検証ハイライト 俗説 → 判定 → 根拠

主な説
中国の大豆醤油には発明者も発明年も特定できず、肉醬(醢)・魚醬・穀醬と並んで大豆を仕込む豆醬が分かれ、その豆醬から採る液体=醬清(豆醬清)と、豆…
判定
諸説あり(対立説を併記)
主な根拠
支持賈思勰『齊民要術』卷第八(北魏・6世紀中頃=534-544頃)全文(中文ウィキソース)=現存最古級の系統的農書・食品加工書。当方が全文を機械検索し逐語確認: (1)「作醬法第七十」=大豆(烏豆)を蒸して皮を去り、白鹽・黃蒸・草𦺖・麥麴を合わせて甕で仕込む豆醬の詳細製法(=大豆の醬が6世紀に確立した加工技術であること)。(2)豆醬から採る液体を名指しで調味に使う用例が6箇所=作燥脠法「生羊肉一斤,豆醬清五合…醬清、薑、橘和之」/生脠法「羊肉一斤,豬肉白四兩,豆醬清漬之」/作羊盤腸法「豆醬清一升,豉汁五合」/缹豚法「豉汁涑饙,作糝,令用醬清調味」/缹鵝法「和以豉汁、橘皮、蔥白、醬清、生薑」。(3)「豉汁」=豆豉から採る液体調味料が同巻に36箇所。(4)後漢の崔寔『四民月令』(2世紀)を引用して「崔寔曰:正月,可作諸醬,肉醬、清醬。四月,立夏後,鮦魚醬」=「清醬」の語を伝える(原書は散逸し本書の引用で伝わる孫引き)。本巻に「醬油」の語は現れない=液体大豆調味料の実体は6世紀に存在するが、その名は「醬清/豆醬清」であって「醬油」ではない重み5 反証林洪『山家清供』(南宋・13世紀)全文(中文ウィキソース)=「醬油」の語の文献初出とされる料理書。当方が全文を機械検索し「醬油」の4箇所を逐語確認: (1)山海羮「春採笋蕨之嫩者,以湯瀹之,取魚蝦之鮮者,同切作塊子,用湯泡裹蒸熟,入醬油、蔴油、鹽,研胡椒同菉豆粉皮拌勻加滴醋」(2)山家三脆「嫩笋、小簟、枸杞頭入鹽湯焯熟,同香熟油、胡椒、鹽、少許醬油、滴醋拌食」(3)柳葉韭「韮菜嫩者用薑絲醬油滴醋拌食」(4)忘憂虀「春採苗湯焯過,以醬油滴醋作為虀」。いずれも加熱調味でなく和え物の卓上調味=すでに常用の液体調味料として扱われている。なお同書中に「豉油」の語は無く、「豉」は元脩菜条の蘇軾詩引用「點酒下鹽豉」1箇所のみ(=豆豉であって液体ではない)。伝本は『說郛』等を経た後代の刊本で、字句は伝写の影響を受けうる重み5

史料が示すこと: 複数の史料が、この通説支持しない(俗説として退けられる)。 なお「段階的成立説=醢/豆醬(漢)→醬清・豉汁(6世紀)→「醬油」の語(南宋)」という通説一次史料・学術文献で退けられている。

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3ゲート

食材入手ゲート
原料の大豆・小麦・塩はいずれも中国在来。大豆は中国が原産地で食材ゲート台帳の 大豆@中国=前3000年(幅 前7000〜前1600・Lee et al. 2011)が示すとおり潤沢であり、外来食材による律速はない。律速は入手の経路=加工、すなわち大豆を醸して豆醬とし、その液を採り分ける製法の確立時期である。年代窓は544年頃(『齊民要術』が豆醬清・醬清を用いる料理法を記す)〜1279年(南宋『山家清供』に「醬油」の語)。
調理技術ゲート
蒸して皮を去った大豆(烏豆)に麥麴・黃蒸(麦の麹)・白鹽・草𦺖を合わせ甕で仕込む豆醬の製麹・発酵(『齊民要術』卷第八「作醬法第七十」)。ただし同法の本文に、熟した醬から液を採り分ける工程は書かれていない=当方が卷第八全文を機械検索して逐語確認した結果、作醬法節の「澄取清汁」は仕込みに使う鹽水を澄ませて上澄みを取る工程(「日未出前汲井花水,於盆中以燥鹽和之,率一石水,用鹽三斗,澄取清汁」)、「漉去滓」は黃蒸を浸した汁の滓を漉す工程(「又取黃蒸於小盆內減鹽汁浸之,挼取黃瀋,漉去滓」)で、いずれも仕込み前の材料調製であって完成した醬からの採液ではなく、濾・榨・壓・絞・瀝の字は同節に1つも現れない。完成状態は「醬如薄粥便止」と記され、解後二十日堪食・百日始熟で結ぶ。したがって6世紀の液体調味料の存在は、製法の側ではなく料理法の側から遡って分かる=豆醬清・醬清を材料に名指しする料理法が卷第八に6箇所・卷第九に2箇所(計8箇所)ある一方、書中に醬清の作り方を説く条は皆無である。対照的に液を得る工程が明記されるのは豉の側で、作豉法第七十二の作麥豉法が「用時,全餅著湯中煮之,色足漉出。削去皮粕,還舉。一餅得數遍煮用…打破,湯浸研用亦得;然汁濁,不如全煮汁清也」=餅状の豉を湯で煮出して漉し取り、砕かず丸のまま煮て清い汁を得よと説く。豉汁は卷第八に36箇所現れる並行する別系統の液体調味料である。技術上の分岐点は、固形の醬から副次的に液を採る型(醬清=日本のたまりに相当)と、はじめから液体を得ることを目的に仕込む一次加工品としての醤油醸造の別で、中国の史料で確実に追えるのは6世紀の前者であり、後者への移行時期は当方が当たった史料では特定できない(次の研磨課題)。
場ゲート
華北の農家・士大夫家の自家醸造(『齊民要術』は自給的な家政・農事の書として醬の仕込みを暦にのせる)から、南宋江南の文人の食卓(『山家清供』は山居の素食を記し、醬油を和え物の卓上調味に使う)まで。商業醸造への移行時期・担い手は未検証。

成立年代と食材入手ゲート

食材入手(-2000年・在地/到来)が律速=物理的な下限。成立年代の帯はそれ以降にある(場ゲートは年に乗らない構造ゲート)。

成立年代と成立ゲート成立 544–1279食材入手・律速 -2000(在地/到来/小麦)-23281607
  • 食材入手(流通/在地/加工の経路を内包)
  • 太線=律速(最も遅い=成立を縛る)
  • 細線=既に充足
  • 場ゲートは年に乗らない構造ゲート(図外)

検証メモ: 素材ノード(調味料)。品質バーは発祥譚でなく在来素材としての成立(arrival)の裏取り=食材ゲート台帳 醤油@中国 を 1240年(幅1100–1279)から 544年(幅544–1279)へ是正した(『齊民要術』卷第八の一次確認による。従来値は「醬油」の語の初出年をそのまま到来年としており、液体大豆調味料の実体が6世紀に存在した事実と矛盾していた)。adder の暫定記述にあった「林洪『山家清供』等に『豉油』の記述」は誤りで、同書に「豉油」の語は無く「醬油」が4箇所(当方が全文を機械検索して確認)。「豉油」は広東語圏の呼称で、その文献初出は未検証(次の研磨課題)。日本の醤油#2067(16世紀成立)とは別行・別成立で、#2321 醤油(ケチャップマニス) とともに本行が共通祖にあたる可能性は高いが、伝播関係の結線は自ロック範囲外のため申し送り。

起源説

定説

★主 段階的成立説=醢/豆醬(漢)→醬清・豉汁(6世紀)→「醬油」の語(南宋) B

中国の大豆醤油には発明者も発明年も特定できず、肉醬(醢)・魚醬・穀醬と並んで大豆を仕込む豆醬が分かれ、その豆醬から採る液体=醬清(豆醬清)と、豆豉から採る豉汁が液体調味料として使われ、南宋に「醬油」の語が現れて独立した調味料の名として定着した、という段階的成立…続きを読む

中国の大豆醤油には発明者も発明年も特定できず、肉醬(醢)・魚醬・穀醬と並んで大豆を仕込む豆醬が分かれ、その豆醬から採る液体=醬清(豆醬清)と、豆豉から採る豉汁が液体調味料として使われ、南宋に「醬油」の語が現れて独立した調味料の名として定着した、という段階的成立の見方。史料の交差で支えられる: (1)加工技術の一次史料=『齊民要術』卷第八(6世紀中頃)「作醬法第七十」が大豆(烏豆)を蒸し皮を去り白鹽・黃蒸・草𦺖・麥麴と甕で仕込む豆醬の製法を詳述する。(2)同巻の料理法が、その豆醬から採る液体を名指しで調味に使う=作燥脠法「豆醬清五合…醬清、薑、橘和之」、生脠法「豆醬清漬之」、作羊盤腸法「豆醬清一升,豉汁五合」、缹豚法「令用醬清調味」、缹鵝法「和以豉汁…醬清、生薑」。同巻に「豉汁」は36箇所現れる=6世紀の華北では液体の大豆系調味料が日常的に使われていた。(3)語の初出=南宋・林洪『山家清供』の4条(山海羮「入醬油、蔴油、鹽」/山家三脆「少許醬油、滴醋拌食」/柳葉韭「用薑絲醬油滴醋拌食」/忘憂虀「以醬油滴醋作為虀」)。いずれも和え物の卓上調味で、すでに常用の液体調味料として扱われている。同時代の『浦江吳氏中饋錄』にも「醬油」が現れる。(4)農業史研究者 李昕升は「酱油衍生于豆酱」とし、形成過程を「醢→酱→酱清→豉汁→酱油」と整理する。したがって成立は一点でなく、実体(豆醬から採る液体調味料)の確実な下限が6世紀、その名が「醬油」として定着した上限が13世紀の年代窓となる。

諸説併記

後漢『四民月令』の「清醬」=醤油の祖とみる説(実体の起点を2世紀に置く) C

後漢の崔寔『四民月令』(2世紀)の「正月,可作諸醬,肉醬、清醬」に見える「清醬」を、今日の醤油の最古の記録とみる説。李昕升はこの清醬(=醬清)を「今天我们所知的酱油」と同定し、北方中国で醤油を今も「清醬」と呼ぶ語の連続性を根拠に挙げる。これに従えば液体調味料と…続きを読む

後漢の崔寔『四民月令』(2世紀)の「正月,可作諸醬,肉醬、清醬」に見える「清醬」を、今日の醤油の最古の記録とみる説。李昕升はこの清醬(=醬清)を「今天我们所知的酱油」と同定し、北方中国で醤油を今も「清醬」と呼ぶ語の連続性を根拠に挙げる。これに従えば液体調味料としての実体の起点は6世紀ではなく2世紀まで遡る。留保(この説を主説に採らない理由): (1)『四民月令』の原書は散逸し、この条は6世紀の『齊民要術』が引用する形でしか伝わらない=孫引きで、字句の異同を検証できない。(2)「清醬」は字義どおりには「澄んだ醬」で、液体を採り分けた調味料と断定できず、同じ条が「肉醬」と並記する以上その原料が大豆とも限らない。(3)『齊民要術』が製法と用例を具体的に書く「豆醬清」と違い、用法を示す同時代の記述が無い。よって2世紀説は否定できないが確定もできず、主説(段階的成立)の年代窓の下限をさらに遡らせうる対立仮説として併記する。

反証

南宋発明説=「醬油」の文献初出(『山家清供』)をもって醤油の発祥とする見方 D

「醬油」の語が南宋・林洪『山家清供』に初めて現れることをもって、醤油という調味料そのものが南宋(12〜13世紀)に生まれたとする見方。この行の暫定記述(成立1100〜1300年)も、初出年をそのまま成立年に置き換えたものだった。しかし文献初出は「遅くともこの年…続きを読む

「醬油」の語が南宋・林洪『山家清供』に初めて現れることをもって、醤油という調味料そのものが南宋(12〜13世紀)に生まれたとする見方。この行の暫定記述(成立1100〜1300年)も、初出年をそのまま成立年に置き換えたものだった。しかし文献初出は「遅くともこの年には存在した」という存在の上限であって発明年ではない。反証: 『齊民要術』卷第八(6世紀中頃)は大豆の醬の製法(作醬法第七十)を詳述したうえで、そこから採る液体を「豆醬清」「醬清」と名指しし、作燥脠法・生脠法・作羊盤腸法・缹豚法・缹鵝法の5法で調味に使っている。豆豉から採る「豉汁」に至っては同巻に36箇所現れる。すなわち大豆・豆豉を醸してその液を調味に使う実体は、南宋の約700年前に定着していた。南宋に起きたのは実体の発明ではなく、名称が「醬清」から「醬油」へ移り、油や酢と並ぶ独立した卓上調味料として扱われるようになったことである。射程の限定: 「醬油」という語・商品名の成立が南宋であること、南宋の都市の食で液体調味料の使用が広がったこと自体は否定しない。否定するのは、初出年を発明年と読み替える推論である。

解説

醤油は、大豆を塩とともに醸し、そこから採った液を味つけに使う中国の調味料である。原料の大豆・小麦・塩は、いずれも中国の土地のもの。とりわけ大豆は中国が原産地で、はるか古くから潤沢に穫れる作物だった。

6世紀中頃に書かれた農書『齊民要術』の巻第八には、「作醬法第七十」として豆醬(大豆の醬)の作り方が手順を追って記されている。烏豆を蒸して皮を去り、白鹽・黃蒸・麥麴(麦の麹)などと合わせて甕に仕込む。日の出前に汲んだ井戸水に塩を溶かし、澄ませて上澄みを取る、といった細部まで書きこまれた仕込みは、暦にしたがう年中行事のようなもので、華北の農家から士大夫の家まで、台所ごとに醬の甕があった。ただしこの条が説くのは仕込みと熟成までである。仕上がりは「醬如薄粥便止」=薄い粥ほどになったら止めよと書かれ、二十日で食べられ百日で熟す、と結ばれる。そこから液を採る手順は、この節には出てこない。

液が姿を見せるのは、同じ書物の料理法の側である。生の羊肉に「豆醬清五合」を合わせ、さらに「醬清、薑、橘」で和える作燥脠法。羊肉と豚の脂身を「豆醬清」に漬ける生脠法。「豆醬清一升、豉汁五合」で煮る作羊盤腸法。豚と鵝をそれぞれ「醬清」で調味する缹豚法と缹鵝法。巻第九に移れば、茄子を煮る缹茄子法と、木耳を和える木耳𦵔法が「醬清」を材料に挙げる。名指しは巻第八の五つの料理法に六箇所、巻第九に二箇所、合わせて八箇所。作り方の書かれていない液が、料理の材料としてだけ並んでいる。

液を採る手つきそのものを書きとめているのは、隣り合う豉の側だった。作豉法第七十二の「作麥豉法」は、餅状に固めた豉を「全餅著湯中煮之,色足漉出」=丸ごと湯で煮て色が出たら漉し取れと説き、砕いて湯に浸して使ってもよいが「然汁濁,不如全煮汁清也」=それでは汁が濁り、丸ごと煮た清い汁には及ばない、と味の良し悪しまで書き分ける。豆豉から採るこの「豉汁」は、巻第八だけで36箇所に現れる。醸した大豆の製品から液を採ることは、6世紀の華北ではすでに文章になる技術だった。それでも醬清については、使う場面だけが書き残されている。

ただし当時の名は「醬清」「豆醬清」であって、「醬油」ではない。「醬油」の語が現れるのは南宋・林洪『山家清供』(13世紀半ば)で、山海羮に「入醬油、蔴油、鹽」、山家三脆に「少許醬油、滴醋拌食」、柳葉韭に「用薑絲醬油滴醋拌食」、忘憂虀に「以醬油滴醋作為虀」とある。いずれも煮炊きの途中ではなく、茹でた筍や韭を和えるときの味つけで、胡麻油や酢と並ぶ常用の一本として扱われている。江南の文人の食卓では、醤油はもう手元に置いておくものだった。

醬が熟したあとに滲む液を採るのと、はじめから液体を得るつもりで仕込むのとでは、作り手の構えが違う。史料をたどって確実に追えるのは6世紀の前者までで、重心がいつ後者へ移ったのかは、はっきりしない。醤油がいつ生まれたかも、一点には定まらない。液の調味料としての姿は6世紀に確かにあり、その名が「醬油」として据わるのは13世紀。そのあいだのどこかで、いまの醤油になった。

検証ストーリー

醤油の起源を南宋に置く見方は、理由が明快なぶん広く流通している。「醬油」という語が文献に現れる最初の例が、南宋・林洪『山家清供』(13世紀半ば)だからである。そこから、この調味料そのものが12〜13世紀の発明だという話になる。

だが、名が文献に初めて出る年は、遅くともその年には存在したことを示すだけで、生まれた年ではない。『齊民要術』の巻第八はいまも全文を通して読める。そこには6世紀中頃の時点で、大豆を蒸して麦の麹と塩を合わせ甕で醸す豆醬の製法が詳しく書かれ、その醬から採った液を「豆醬清」「醬清」と名指して調味に使う料理法が5つ並んでいる。豆豉から採る「豉汁」は同じ巻に36箇所。大豆や豆豉を醸してその液を味つけに使うやり方は、南宋よりおよそ700年早く、華北の日常に根を下ろしていた。南宋に起きたのは調味料の発明ではなく、呼び名が「醬清」から「醬油」へ移り、油や酢と並ぶ独立した一本として食卓に据わったことである。同じころの別の料理書にも、同じ語が見える。

もう一つ、実体の起点をさらに古く2世紀へ置く見方がある。後漢の崔寔『四民月令』が「正月,可作諸醬,肉醬、清醬」と記す、その「清醬」を今日の醤油の祖とみる読み方で、農業史の研究者・李昕升は、北方中国でいまも醤油を「清醬」と呼ぶ語の連なりをその根拠に挙げる。ただし決め手には欠ける。『四民月令』の原書は散逸していて、この条は6世紀の『齊民要術』が引用する形でしか伝わらない。字面どおりなら「清醬」は「澄んだ醬」であり、液を採り分けた調味料とも、大豆から造ったものとも決められない(同じ条は肉醬と並べて書いている)。2世紀まで遡る可能性は否定できないが、そう言い切ることもできない。

こうして醤油には、発明者も発明年もない。李昕升は醤油の成り立ちを「醢(肉の醬)→醬→醬清→豉汁→醬油」の段階として整理する。肉や魚や穀物の醬と並んで大豆の醬が分かれ、その醬から採る液と、豆豉から採る汁が調味料として使われ、やがて「醬油」という名が付いて独立した。おおよそそのような道筋で、6世紀にはその実体が確かにあり、13世紀には名前も定まっていた。

唐宋のころ航海術が伸びるにつれて醤油は朝鮮・日本・東南アジアへも伝わったと、李昕升はみている。東へ渡ったのは、大豆を醸して醬とし、その液を使う技術の系統であって、壺に詰めた液体そのものではない。日本には古代の醤(ひしお)と室町のたれみそという前史があり、醤油そのものを目的に醸す製品として立つのは16世紀(1536年『鹿苑日録』から1597年『易林本節用集』のあいだ)で、これは日本国内での成立である。南へは商人や華人の移住者が運んだが、その年代は史料に残っていない。年代を押さえられるのは着いた先の側で、ジャワの醤油は1824年に書きとめられたバタヴィアの製法にまだ砂糖が入らず、1895年の記録では椰子砂糖と八角を加えて甘く濃く煮詰めるケチャップマニスになっている。日本の醤油も、東南アジアの甘い醤油も、中国の大豆醤油から分かれた枝である。

検証ログ 追記専用の監査証跡

日付結果確度主張 / 出典更新者
2026-08-06 支持 時期=C→時期=C
大豆を醸した醬(豆醬)から採る液体を調味料として使う実体は、遅くとも6世紀中頃には成立していた(成立窓の下限=544年頃)
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2026-08-06 反証 起源説=C→起源説=C polisher-1
2026-08-06 不明 起源説=C→起源説=C
後漢『四民月令』(2世紀)の「清醬」を今日の醤油の祖とみる説は、支持反証もできない(諸説併記のまま保持)
polisher-1
2026-08-06 支持 時期=C→時期=C
素材としての在来裏取り=醤油の原料(大豆・小麦・塩)は中国在来で外来食材による律速はなく、律速は加工(豆醬を醸してその液を採る製法)である。食材ゲート台帳の 醤油@中国 を 1240年(幅1100–1279)から 544年(幅544–1279)へ是正した
polisher-1
2026-08-06 反証 C→C
『齊民要術』卷第八「作醬法第七十」の本文に、熟した醬から液を採り分ける工程(採液)が記されている
polisher-1
2026-08-06 支持 C→C
液体調味料を得る工程が『齊民要術』に明記されるのは醬でなく豉の側である
polisher-1

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