食材から辿る / 在来
大豆 素材 時期 C検証済
大豆が、いつ・どこで食べ物として成立し、各地へどう伝わったかをまとめています。 原産地での成立を3ゲート(食材入手・調理技術・場)で示し、その後の各地への到来を記録でたどります。
東アジア(中国)原産の在来マメ。野生種ツルマメ Glycine soja から栽培種 Glycine max へ栽培化された。食用の下限=華北新石器(賈湖ほか)で小粒の大豆遺存が 9000–8600 cal BP から広く出土=前7000年ごろにはすでに食べられていた。栽培化形質である種子の大型化は中国では二里頭〜殷期(前1900〜前1046年ごろ)までに進み、日本では中期縄文=5000 cal BP、朝鮮半島では前期無文=3000 cal BP に大型種子が現れる(Lee et al. 2011)。単一起源(中央中国・9000年前以降)か複数起源かは未収束(Sedivy et al. 2017 のレビュー)。文献初出=『詩經』大雅・生民「蓺之荏菽、荏菽旆旆」(周代・遅くとも前6世紀までに成書)で栽培作物としての大豆が記される。初出は発祥でなく年代窓の上限にすぎない
3ゲート
- 食材入手ゲート
- 在来。華北の新石器社会が野生種ツルマメ〜小粒の大豆を採集・栽培し、前7000年ごろ(9000–8600 cal BP)には食用が確認される。外来到来の律速はなく、原産地では常時入手可能。栽培化形質(種子の大型化)の完成は前2千年紀まで下る
- 調理技術ゲート
- 生の大豆は消化困難でトリプシンインヒビター等を含むため加熱(煮る・炒る)が前提。発酵(醤・豉)や豆腐などの加工技術は大豆そのものでなく派生食品側のゲート
- 場ゲート
- 集落での自家栽培・自家調理で完結し、入手=食卓。特別な場(宮廷・外食)を要さず場ゲートは退化する。後の周代には五穀の一つとして庶民の主要蛋白源となった
各地への伝来 3
各地で食べ物として定着した時期の記録です。地域によっては、それに先立つ物理的な到来(観賞用など、食用より前の前史)が含まれることがあります。
- 前7000〜前1600頃 中国 在来在地栽培
- 前3100〜前2900頃 日本 在来在地栽培
- 前1050〜前380頃 朝鮮半島 在来在地栽培