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羅漢斎 時期 C起源説 C検証済

確度は2軸: 時期=成立時期の固さ/起源説=発祥譚(説)の固さ(A〜Dの4段階・別々に持つ)。確度とは?→

暴かれた通説あり出典で反証された通説を抱える料理です(真の起源は未確定のことが多い)。

中国・広東省 ・ 6世紀の僧尼菜食制度化(梁武帝『断酒肉文』c.511)から、名の初出である北宋・宣和元年(1119)成書『萍洲可談』までの間に、寺院の斎供として成立。ただし1119年の用例は『僧に供する菜食の膳』であって現行の一皿ではなく、十数種の乾物・豆製品を炒め合わせる現行形が定着したのは清代の都市素菜館以降とみられる(現行形の成立年を特定する史料は未確認)。 ・ 成立年代 511–1119 ・ 律速要因 僧尼菜食の制度化(調理技術)

記章(DB由来の作図・装飾/監修・認証ではない)|起源説確度C・検証済C記章(DB由来の作図・装飾)

材料が十八種に及ぶのは十八羅漢にちなむ——羅漢斎の名はそう説明されることが多い。だが現存する最も古い用例で羅漢齋が指していたのは、材料の数ではなく、僧に供する菜食の膳そのものだった。

検証ハイライト 俗説 → 判定 → 根拠

主な説
羅漢齋は仏教寺院の素菜(僧尼の菜食)に由来し、まず『僧に飯を供する供養膳』の名として北宋には使われていた。朱彧『萍洲可談』巻二(宣和元年=111…
判定
諸説あり(対立説を併記)
主な根拠
支持朱彧『萍洲可談』巻二(北宋・宣和元年1119成書)中国哲学書電子化計劃/维基文库 全文:「至廣州飯僧設供,謂之羅漢齋」重み5 支持Zhang, 'Emperor Wu of Liang's Reinterpretation and Elevation of the Precepts as the Bodhisattva Ideal', Religions 16(2):164 (2025)(梁武帝『断酒肉文』と東アジア仏教における僧尼菜食の制度化)重み4

史料が示すこと: 複数の史料が、この通説支持しない(俗説として退けられる)。 なお「十八羅漢命名説(材料18種=十八羅漢に因む)」という通説一次史料・学術文献で退けられている。

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3ゲート

食材入手ゲート
東アジア在来の乾物・豆製品が主体で外来の律速食材を持たない:干し椎茸・キクラゲ(木耳)・金針菜(乾燥ユリ蕾)・タケノコ・蓮の実・銀杏・髪菜・春雨、および豆腐/腐竹(湯葉)。いずれも中国在来ないし中国で成立した加工品で、食材入手は制約にならない。
調理技術ゲート
肉・魚を一切使わずに膳を組み立てる素菜(精進)の技法体系。前提条件は梁武帝『断酒肉文』(c.511)による僧尼の肉食禁止=東アジア仏教で最初の公式な僧院肉食禁令で、これにより『肉を使わない献立体系』が制度として成立した。技法としては乾物を戻して旨みを引き出し、豆腐・腐竹など大豆加工品で嵩と食感を補い、醤油ベースで一皿に炒め合わせる。
場ゲート
寺院の斎堂と、僧へ食事を供養する場(斎供)。『萍洲可談』(1119)の用例は広州で商人が僧に飯を供する供養=羅漢齋。のち都市の素菜館(清代に上海・広州などで隆盛)、さらに家庭の旧正月膳と海外の中華料理店の菜食メニューへ広がった。

成立年代と成立ゲート

調理技術の成立年(502年)が律速=物理的な下限。成立年代の帯はそれ以降にある(場ゲートは年に乗らない構造ゲート)。

成立年代と成立ゲート成立 511–1119調理技術・律速 502(僧尼菜食の制度化)4401181
  • 調理技術
  • 太線=律速(最も遅い=成立を縛る)
  • 細線=既に充足
  • 場ゲートは年に乗らない構造ゲート(図外)

起源説

定説

寺院の斎供(僧に供する菜食)起源説 B

羅漢齋は仏教寺院の素菜(僧尼の菜食)に由来し、まず『僧に飯を供する供養膳』の名として北宋には使われていた。朱彧『萍洲可談』巻二(宣和元年=1119成書)に、海路の危難を番僧に祈って無事渡った商人が「至廣州飯僧設供,謂之羅漢齋」=広州に着いて僧に食事を供養するこ…続きを読む

羅漢齋は仏教寺院の素菜(僧尼の菜食)に由来し、まず『僧に飯を供する供養膳』の名として北宋には使われていた。朱彧『萍洲可談』巻二(宣和元年=1119成書)に、海路の危難を番僧に祈って無事渡った商人が「至廣州飯僧設供,謂之羅漢齋」=広州に着いて僧に食事を供養することを羅漢齋と呼んだ、とある。すなわち最古の用例の羅漢齋は特定の一皿ではなく『羅漢(僧)に供する菜食の膳』を指す。その前提となる僧尼の菜食は、梁武帝『断酒肉文』(c.511・在位502-549)による東アジア仏教で最初の公式な僧院肉食禁令で制度化され、肉を使わない献立体系=素菜が成立した。現行の『十数種の乾物・豆製品を戻して炒め合わせる一皿』としての羅漢齋は、清代以降の都市素菜館を経て定着したとみられるが、1119年の初出と現行形を直接つなぐ史料は確認できていない(TAQ=遅くとも1119年には名が存在、という上限としてのみ使える)。

反証

十八羅漢命名説(材料18種=十八羅漢に因む) D

『羅漢齋』の名は用いる材料が18種以上に及び十八羅漢の数に擬えたことに由来する、とする説(中文版Wikipedia本文が載せる。観音誕の日に十八羅漢が化縁で得た斎菜を持ち寄って観音に捧げたのが始まり、という伝説型の尾ひれも流布する)。反証:現存最古の用例である朱彧『萍洲可談』巻二(1119)の「至廣州飯僧設供,謂之羅漢齋」は僧への供養膳を指し、材料の数とは無関係である。語構成でも羅漢=阿羅漢(僧)、齋=菜食(斎食)で『羅漢(僧)の菜食』と読むのが自然。18種という数合わせは、材料を多く盛る店の慣行に後から付けられた数秘的説明とみられ、これを支える独立した同時代史料は確認できない。観音誕伝説の側も出所が特定できる同時代記録を欠く。

解説

羅漢斎は、干し椎茸・キクラゲ・湯葉といった乾物と大豆加工品を十数種取り合わせ、戻して一皿に炒め合わせる中国の素菜(肉も魚も使わない菜食料理)である。広東語読みの lo hon jai、英語圏では Buddha's delight の名でも知られ、香港や海外の中華料理店では定番の一品になっている。もともとは特定の一地方の料理ではなく、各地の寺で作られてきた素菜で、いまも上海や江南の素菜館の品書きに並ぶ。

使う材料は、干し椎茸、キクラゲ、金針菜(乾かしたユリの蕾)、タケノコ、蓮の実、銀杏、髪菜、春雨、そして豆腐や腐竹(湯葉)である。いずれも古くから中国で得られる産物か、中国で生まれた加工品で、多くは乾かして蓄えられる。

肉と魚をまったく使わずに膳を組み立てるには、それ専用の技法の体系が要る。その体系が制度として立ち上がったのは6世紀の南朝で、梁の武帝が『断酒肉文』(およそ511年)によって僧尼の肉食を禁じた。東アジアの仏教で最初の公式な僧院肉食禁令であり、これ以後、肉を用いない献立を寺が日々まわしていくことになった。乾物を戻してその汁からうまみを引き出し、豆腐や腐竹で嵩と歯ごたえを補い、醤油で味を締めて一皿にまとめる。羅漢斎はこうして練られた素菜の技法の上に立っている。

供される場は寺の斎堂だった。僧が食べ、参詣した人々も同じ菜食の膳を囲む。その膳の名として羅漢齋が書き留められるのは北宋の広州で、朱彧『萍洲可談』巻二(宣和元年=1119年成書)に、海路の無事を僧に祈って渡った商人が広州に着いて僧に食事を供養することを羅漢齋と呼んだ、とある。菜食の体系が整った6世紀から、この名が記録に現れる12世紀初めまでのあいだに、寺の斎供としての羅漢齋は形をとった。

ただし、そこで羅漢齋と呼ばれていたのは供養の膳であって、いま卓に出る一皿とそのまま同じものではない。十数種の乾物と豆製品を戻して炒め合わせる現行の姿が定まったのは、街に素菜館が構えられるようになった清代以降のことと見られる。寺の厨房から出て店の料理になったところで、羅漢斎は膳の名から一皿の名へ移っていった。

検証ストーリー

羅漢斎の名の由来として広く流布しているのは、用いる材料が十八種以上に及び、十八羅漢の数に擬えたから、という説明である。観音誕の日に十八羅漢が托鉢で得た斎菜を持ち寄って観音に捧げたのが始まり、という伝説の形でも語られる。

だが、現存する最も古い用例に材料の数は出てこない。朱彧『萍洲可談』巻二には、海路の危難を僧に祈って無事に渡りきった商人が、広州に着いて僧に食事を供養することを羅漢齋と呼んだ、と記されている。ここでの羅漢齋は特定の一皿ではなく、羅漢すなわち僧に供する菜食の膳を指す。語のかたちも同じところを向いている。羅漢は阿羅漢=僧、齋は菜食であり、「僧の菜食」と読むのが素直である。材料十八種という数合わせは、品数を多く盛る店の慣行にあとから付いた説明とみられ、これを支える同時代の記録は見当たらない。観音誕の伝説のほうも、出どころのたどれる同時代の記録を欠いたまま伝わっている。

名そのものが遅くとも1119年に広州で使われていたことは動かない。確かなのはそこまでで、12世紀の供養膳と、十数種の乾物と豆製品を炒め合わせる現在の一皿を直接つなぐ記録はまだ見つかっていない。名の古さが、そのまま一皿の古さになるわけではない。

検証ログ 追記専用の監査証跡

日付結果確度主張 / 出典更新者
2026-07-15 None —→—
網羅リスト取り込み時の代表出典(研磨の出発点)
PDM
2026-07-30 支持 起源説=未入力→起源説theory=B/定説
羅漢齋は仏教寺院の素菜(僧に供する菜食の膳=斎供)に由来し、遅くとも北宋・宣和元年(1119)には広州でその名が使われていた
polisher-1
2026-07-30 支持 調理技術ゲート=空→調理技術ゲート記述・律速=調理技術・下限511年
肉を使わない膳=素菜の体系は、梁武帝『断酒肉文』(c.511)による僧尼肉食禁令で制度として成立した(本料理の律速調理技術ゲートの下限)
polisher-1
2026-07-30 反証 起源説=未入力→起源説theory=D/反証
『羅漢齋』の名は材料が18種=十八羅漢の数に因む(観音誕に十八羅漢が斎菜を持ち寄った伝説型を含む)
polisher-1
2026-07-30 支持 名の実在性=未検査→実在確認・別名を整理
料理名『羅漢斎』の実在性(#523型ハルシネーション検査)
polisher-1

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