一覧 / 東アジア / 日本料理

佃煮 時期 C起源説 C検証済

確度は2軸: 時期=成立時期の固さ/起源説=発祥譚(説)の固さ(A〜Dの4段階・別々に持つ)。確度とは?→

日本・東京 ・ 幕末から明治初め(1873年までに語が出る) ・ 成立年代 〜1873 ・ 食材 醤油(日本) ・ この地域の料理を見る

記章(DB由来の作図・装飾/監修・認証ではない)|起源説確度C・検証済C記章(DB由来の作図・装飾)

小魚や貝を醤油と甘味で煮詰める佃煮は、江戸時代の初めに佃島の漁民が作り、参勤交代の土産で全国に広まったとよく紹介される。一方、明治21年(1888年)の水産会の会報の記事は、佃島の漁民が佃煮を始めたのを、それより後の幕末のころとしている。

検証ハイライト 俗説 → 判定 → 根拠

主な説
明治6年(1873年)の単語集に佃煮の語があり、明治10年(1877年)の地誌の注釈は三重の産物を「東京で佃煮と呼ぶものの類」と書く。明治21年…
判定
諸説あり(対立説を併記)
主な根拠
支持小室樵山・萩原乙彦『皇朝単語字類』一(万青堂、明治6年6月)国立国会図書館デジタルコレクション重み5 支持橋爪貫一『日本地誌略便蒙』1(玉山堂、明治10年5月)国立国会図書館デジタルコレクション重み5

検証ログをすべて見る ↓

有名なのに諸説ある起源・創られた伝統の一覧へ →

3ゲート

食材入手ゲート
小魚や貝などを醤油と甘味で煮る。明治21年(1888年)の水産会の会報の記事は、東京の作り方に醤油と糖蜜を、茨城の糠蝦の佃煮に醤油と水飴を使うと書き、ほかに蛤・鮎・ワカサギ・トコブシの佃煮を挙げる。具の魚介は一つに決まらない
調理技術ゲート
汁気がなくなるまで甘辛く煮詰め、日持ちさせる
場ゲート
明治10年(1877年)の地誌は佃煮を東京での呼び名として書く。明治21年の水産会の記事は、東京佃島の漁民が始め、その後東京の市中で売る者が増えたと書く。いまも東京都中央区佃に佃煮を売る店がある

成立年代と成立ゲート

食材入手と調理技術の各ゲートを同じ時間軸に並べた(流通は独立ゲートでなく食材入手の経路として内包し、場ゲートは年に乗らない構造ゲートなので図には出さない)。最も遅い食材入手ゲート(1536年・在地/到来・醤油(日本))が最後に揃った条件で、成り立ちうる最も早い年はこの条件が揃った年になる。この条件を太線で示す。それより早い要因はその時点で既に充足していた(細線)。成立年代の帯は、その条件が揃った年以降にある。

成立年代と成立ゲート成立 〜1873食材入手 756(在地/到来/砂糖)食材入手・最後に揃った 1536(在地/到来/醤油(日本))5321985
  • 食材入手(流通/在地/加工の経路を内包)
  • 太線=最後に揃った条件(最も遅い=成立を縛る)
  • 細線=既に充足
  • 場ゲートは年に乗らない構造ゲート(図外)

検証メモ: 小魚や貝などを醤油と甘味で汁気がなくなるまで煮詰めた、日持ちのする煮物。明治6年(1873年)の単語集に語があり、明治10年(1877年)の地誌は東京での呼び名として書く。明治21年(1888年)の水産会の会報の記事は、およそ25年前に東京佃島の漁民が始めたもので、それより前から島の住吉神社の祭りで雑魚を煮て供えていたと伝える。江戸時代の初めに始まり参勤交代の土産で広まったという話は、江戸時代の記録では確かめていない。

起源説

未確定

★主 佃島の漁民が雑魚を煮たものに始まり、明治初めまでに東京の名で通るようになった C

明治6年(1873年)の単語集に佃煮の語があり、明治10年(1877年)の地誌の注釈は三重の産物を「東京で佃煮と呼ぶものの類」と書く。明治21年(1888年)の水産会の会報の記事は、佃煮はおよそ25年前に東京佃島の漁民が始めたもので、それより前から島の住吉神社の祭りで雑魚を煮て神前に供えていたと書く。いつ誰が始めたかを、作られた当時の記録で確かめてはいない。

江戸時代の初めに佃島の漁民が保存食として作り、参勤交代の土産で全国に広まった D

佃島の漁民が献上に回らない小魚を塩で煮て保存食にし、のちに醤油で煮るようになって佃煮と呼ばれ、江戸に来た武士が土産に持ち帰って広まったという、よく紹介される話。佃の店は創業を天保年間(1837年・1843年)と伝える。江戸時代の記録でこの話を確かめてはおらず、明治21年の記事は始まりを幕末ごろとしている。

解説

佃煮は、小魚や貝などを醤油と甘味で汁気がなくなるまで甘辛く煮詰めた、日持ちのする煮物である。煮る魚介は一つに決まっておらず、明治21年(1888年)の水産会の会報の記事は、蛤・鮎・ワカサギ・トコブシの佃煮を挙げている。同じ記事によると、東京では醤油と糖蜜で煮て、茨城の糠蝦の佃煮には醤油と水飴を使った。

佃煮という名の食べ物が形をとったのは、幕末から明治の初めにかけてとみられる。明治21年の記事は、佃煮は東京の佃島の漁民が始めたもので、その後東京の市中で売る者が増えたと書いている。明治6年(1873年)の単語集にはすでに佃煮の語が載り、明治10年(1877年)の地誌は、三重の産物を、東京で佃煮と呼ぶものの類だと説明している。明治の初めには、佃煮は東京の名で通る食べ物だった。

いまも東京都中央区佃には佃煮を売る店があり、天安本店は小魚や貝を甘辛く煮た佃煮を売っている。

検証ストーリー

佃煮の始まりとしてよく紹介されるのは、江戸時代の初めにさかのぼる話である。佃島の漁民が、献上に回らない小魚を塩で煮て保存食にし、のちに醤油で煮るようになって佃煮と呼ばれた。江戸に来た武士がそれを土産に持ち帰り、全国に広まった、というものだ。佃には、天保年間(1837年、1843年)の創業を伝える佃煮の店がある。

明治21年(1888年)、大日本水産会の会報に大塚右八郎の「佃煮の説」という記事が載った。記事は、佃煮は記事の出たときからおよそ25年前に東京佃島の漁民が考え出したものだと書く。明治21年から25年さかのぼれば、幕末のころになる。そのうえで記事は、それより前から島の住吉神社の祭りで、雑魚を煮たものを佃煑と呼んで神前に供える慣わしがあり、これが佃煮のもとだと言われている、とも書き添えている。

明治の初めの書物には、佃煮の語がすでに出てくる。明治6年(1873年)の単語集『皇朝単語字類』は、飲み食いの語を並べたなかに「煮豆」と並べて「佃煮」を載せる。明治10年(1877年)の地誌『日本地誌略便蒙』は、三重の産物を「東京で佃煮と称するものの類」と注し、同じ年の内国勧業博覧会の出品目録にも、天麩羅などと並んで佃煮の名がある。

明治21年の記事が書く始まりと、明治の初めに佃煮が東京の名で通っていたことは、時期のうえで食い違わない。だが、江戸時代の初めに始まり参勤交代で広まったという話とは、始まりの時期が大きく離れている。佃島で佃煮が始まったのが江戸時代の初めなのか、明治21年の記事が書くように幕末のころなのか、いつ誰が始めたのかは定かでない。

検証ログ 追記専用の監査証跡

日付結果確度主張 / 出典更新者
2026-10-31 支持 C→C
いま食べられていることの確認: 三菱地所ハウスネットの街案内の頁が、東京都中央区佃1-3-14の天安本店を営業時間つきで載せ、小魚や貝類を甘辛く煮た佃煮を売ると書く
研磨係
2026-10-31 支持 C→C
明治6年(1873年)の単語集の飲食の語の並びに、煮豆と並んで佃煮の語がある
研磨係
2026-10-31 支持 C→C
明治10年(1877年)の地誌の注釈が、三重の産物を東京で佃煮と呼ぶものの類だと書く
研磨係
2026-10-31 支持 C→C

🚫 この行の文は、後の行で書き直した(→ 該当行へ)

研磨係
2026-10-31 支持 C→C

🚫 この行の文は、後の行で書き直した(→ 該当行へ)

研磨係
2026-10-31 支持 C→C
明治10年の内国勧業博覧会の出品目録に、甘露煮・天麩羅などと並んで佃煮がある
研磨係
2026-10-31 支持 C→C
明治21年(1888年)の水産会の会報の記事が、佃煮はおよそ25年前に東京佃島の漁民が始めたもので、それより前から島の住吉神社の祭りで雑魚を煮て神前に供えていたと書く
研磨係
2026-10-31 不明 D→D
江戸時代の初めに佃島の漁民が保存食として作り、参勤交代の土産で全国に広まったという話
研磨係

このページの誤り・修正を報告

構成素材

この料理を構成する素材の成立史へ。「成立史は準備中」の素材はまだページがありません。

関連する料理

近い料理 食材・年代・地域の重なり