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くさや 時期 C起源説 C検証済

確度は2軸: 時期=成立時期の固さ/起源説=発祥譚(説)の固さ(A〜Dの4段階・別々に持つ)。確度とは?→

日本・東京 ・ 明治前期までに成立(東京で好まれていた記録は1896年) ・ 成立年代 〜1896 ・ 主役食材 ムロアジ ・ この地域の料理を見る

記章(DB由来の作図・装飾/監修・認証ではない)|起源説確度C・検証済C記章(DB由来の作図・装飾)

くさやは、開いたムロアジを独特の漬け汁に浸して干す伊豆諸島の干物である。江戸幕府に納める塩が貴重で、塩水を使い回したのが始まりという話が知られる一方、明治29年(1896年)の水産の本は、伊豆七島のくさやを東京の人が以前から好んできたムロアジの干物と書いている。

検証ハイライト 俗説 → 判定 → 根拠

主な説
明治29年(1896年)の水産の本は、伊豆七島製のくさや乾物はムロアジの干物で、東京の人が従来賞美するものと書く。刊年の分からない伊豆の島々の巡…
判定
諸説あり(対立説を併記)
主な根拠
支持室伏治郎兵衛『水産実業録』明治29年(国立国会図書館デジタルコレクション)重み5 支持竹中邦香『伊豆島巡視日録』巻1(刊年不明・国立国会図書館デジタルコレクション)重み5

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3ゲート

食材入手ゲート
ムロアジなどの青魚と塩。伊豆諸島の在来の魚
調理技術ゲート
開いた魚を、魚を漬け続けて発酵させた漬け汁(くさや汁)に浸し、日に干す
場ゲート
伊豆諸島(新島・八丈島など、いまの東京都)の水産加工の店が作り、東京へ運ばれて食べられた

成立年代と成立ゲート

主役食材(ムロアジ)の到来データが未登録(不明)のため、到来による下限(縦線)は表示していない。帯は成立年代を示す。

成立年代と成立ゲート成立 〜189618801904

検証メモ: ムロアジなどの青魚を、魚を漬け続けて発酵させた漬け汁に浸して干す伊豆諸島の干物。強いにおいで知られる。明治29年(1896年)の水産の本は、伊豆七島製のくさやはムロアジの干物で東京の人が前から好んできたと書く。塩の年貢のため塩水を使い回したのが始まりという話は、江戸時代の記録では確かめていない。

起源説

未確定

★主 伊豆諸島で作られたムロアジの干物が、明治前期までに東京でくさやの名で好まれていた C

明治29年(1896年)の水産の本は、伊豆七島製のくさや乾物はムロアジの干物で、東京の人が従来賞美するものと書く。刊年の分からない伊豆の島々の巡視の日録(東京の地名を使うので明治以後)も、島の干物を東京でいうくさやの干物と書く。いつ誰が漬け汁を使う作り方を始めたかを示す記録は見ていない。

江戸幕府が伊豆諸島に塩を年貢として納めさせ、塩が貴重だったため塩水を使い回したのが始まり D

よく紹介される始まり話で、雑誌の記事は諸説ありの形で伝える。塩の年貢と漬け汁の使い回しを結びつける同時代の記録は見ていない。

解説

くさやは、開いたムロアジをくさや汁と呼ばれる漬け汁に浸し、日に干して作る干物である。くさや汁は、魚を漬け続けるうちに発酵した汁で、できあがった干物は強いにおいで知られる。

主役のムロアジは、伊豆諸島の海にもとからいる魚である。明治29年(1896年)、室伏治郎兵衛の『水産実業録』は「伊豆七島製ノくさや乾物ハ茂呂鰺ノ乾製ナリ」と書き、伊豆七島で作られるくさやをムロアジの干物とした。同じ文は、これを東京の人が以前から好んできたものとも書いている。島で作られた干物が、海を渡って東京で食べられていた。

伊豆の島々を巡視した記録『伊豆島巡視日録』も、島で作る干物を、東京でいうクサヤの干物だと書いている。刊行の年は分からないが、東京という地名を使っているので、明治に入ってからの記録である。

伊豆諸島はいまの東京都に属する。東京都新島村の新島水産加工業協同組合は青むろあじのくさやを作っていて、焼いて瓶に詰めたものが東京の手みやげとして紹介されている。

検証ストーリー

くさやの始まりとして、よく紹介される話がある。江戸幕府は伊豆諸島に塩を年貢として納めさせたので、島では塩が貴重だった。そこで魚を漬ける塩水を捨てずに使い回したのが、くさやの始まりだという。雑誌の記事は、この話をいくつかある説の一つとして伝えている。

明治の記録に出てくるくさやは、すでに東京で好まれている干物である。けれども、明治29年の水産の本も、明治に入ってからの伊豆の島々の巡視の記録も、魚を漬け続けた汁に浸して干す作り方が、いつ、どのようにして始まったのかは書いていない。

塩の年貢の話は、明治の記録と食い違うわけではない。明治の記録は、くさやがどうやって生まれたかには触れておらず、塩の年貢と塩水の使い回しを結びつけたこの話が正しいかどうかは、そこからは決められない。

いつ、誰がくさや汁に魚を浸して干し始めたのかは定かでない。遅くとも明治29年には、伊豆七島で作られたムロアジのくさやが、東京の人に以前から好まれる干物になっていた。塩の年貢から始まったという話は、それより前の時代について語られている始まりの話である。

検証ログ 追記専用の監査証跡

日付結果確度主張 / 出典更新者
2026-10-31 支持 C→C
いま食べられていることの確認: 東京都産業労働局の『東京手みやげ』の頁が、東京都新島村の新島水産加工業協同組合が作る青むろあじのくさや(焼くさやの瓶詰)を載せている
研磨係
2026-10-31 支持 C→C
明治29年(1896年)の水産の本が、伊豆七島製のくさや乾物はムロアジの干物で東京の人が従来賞美するものと書く
研磨係
2026-10-31 支持 C→C
明治の伊豆諸島巡視の日録が、島の干物を東京でいうクサヤの干物と書く
研磨係
2026-10-31 不明 D→D
塩の年貢で塩が貴重だったため塩水を使い回したのが始まりという話
研磨係

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構成素材

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