鶏を煮た汁で米を炊き、その米の中に鶏を入れて、仕上げにバターミルクと薔薇水を注ぐナシ・プリンギット。1864年にバタヴィアで出た料理書が「コジャの食べ物」と添え書きして載せたこの一皿は、いつ誰が作り始めたのかも、プリンギットが何を指す語なのかも分かっていない。
3ゲート
- 食材入手ゲート
- 米、脂ののった鶏、生姜、赤玉ねぎ・ニンニク・クミン・コリアンダー・丁子・メース・シナモン(1902年はナツメグも)、バター(1864年)、バターミルク、薔薇水(1864年『Kokki Bitja』刷り頁104-105・189-190、1902年の料理書の品番13)
- 調理技術ゲート
- 鶏を煮た汁で米を炊き、炊きかけの米の中に鶏を入れ、炊き上がる前にバターミルクと薔薇水を注いで仕上げる
- 場ゲート
- バタヴィアで出た家庭向けの料理書(1864年)と蘭領東インドの料理書(1902年・米の節)が、コジャ(南インド系ムスリム)の食べ物と添え書きして載せる
成立年代と成立ゲート
最後に揃った食材(米)は在来で、到来による制約がない。下限の縦線は無く、帯は成立年代を示す。
検証メモ: 鶏を煮た汁で米を炊き、香辛料を混ぜ、鶏を米の中に入れて、仕上げにバターミルクと薔薇水を注ぐご飯料理。1864年にバタヴィアで出た料理書『Kokki Bitja』が『Nasi Pringit makanan Kodja』(コジャの食べ物)として2か所に載せ、1902年の蘭領東インドの料理書もほぼ同じ作り方を載せる。1902年の本はコジャを南インド出身のムスリムの意で使う。ただ、その人々のあいだでいつ作られ始めたのか、Pringit が何の語なのかは分かっていない。
起源説
未確定
★主 遅くとも1864年のバタヴィアの料理書に、コジャの食べ物『Nasi Pringit』として載っていた(始まりは未特定) B
1864年にバタヴィアで出た料理書『Kokki Bitja』(第6版)は、刷り頁104と刷り頁189の2か所に『Nasi Pringit makanan Kodja』(コジャの食べ物)を載せる。脂ののった鶏を生姜と煮て、その煮汁で米を炊き、クミン・コリアンダー…続きを読む
1864年にバタヴィアで出た料理書『Kokki Bitja』(第6版)は、刷り頁104と刷り頁189の2か所に『Nasi Pringit makanan Kodja』(コジャの食べ物)を載せる。脂ののった鶏を生姜と煮て、その煮汁で米を炊き、クミン・コリアンダー・丁子・メース・シナモンなどをすりつぶして炒めて混ぜ、鶏を米の中に入れ、炊き上がる前にバターミルク(karnemelk)を大きなグラスに1杯入れ、薔薇水を少し加える。1902年の蘭領東インドの料理書の品番13『Nasi Pringit (Makanan kodja)』もほぼ同じ作り方で、同じ本の語彙表は kodja を klingalees(南インド出身の人)・moor(ムスリム)と訳す。料理書はコジャの人々の料理と添え書きするが、その人々のあいだでいつ・どこで作られ始めたのか、Pringit が何の語なのかを示す史料は見つかっていない。1864年の第6版より前の版は開いていない。
- 支持 J. M. J. Catenius-van der Meijden『Nieuw volledig Oost-Indisch kookboek』G. C. T. van Dorp & Co.(Semarang・Soerabaia)、序文の日付 1902年1月。Project Gutenberg 電子書籍 #64339(HTML 版・原本の頁番号つき) 重み5
- 支持 Nonna Cornelia『Kokki Bitja atau Kitab masak-masakan India, jang baharoe dan samporna』(第6版・Batavia: Lange & Co., 1864)— インドネシア語版ウィキソースの翻刻 刷り頁104-105 重み5
解説
ナシ・プリンギットは、鶏の煮汁で米を炊き、香辛料と鶏を合わせて、バターミルクと薔薇水で仕上げる米料理である。作り方は、1864年にバタヴィアで出たマレー語の料理書『Kokki Bitja』に載っている。脂ののった鶏を小さく切り、すりつぶした生姜のかけらと一緒に煮る。煮えたら鶏と生姜を引き上げ、洗って1時間水に浸しておいた米を、その煮汁で炊く。少しの赤玉ねぎとニンニクひとかけ、クミン、コリアンダー、丁子、メース、シナモンをすりつぶしてバターで炒め、米に混ぜ、鶏を米の中に入れる。そこへ大きなグラスに1杯のバターミルクを入れてよく混ぜ、水気がなくなるまで炊き、好みで薔薇水を少し加える。
1902年にスマランとスラバヤで出た蘭領東インドの料理書も、米料理の節にこの品を載せている。香辛料の顔ぶれは1864年の本とほぼ重なり、玉ねぎ(1864年の本では赤玉ねぎ)、ニンニク、クミン、コリアンダー、丁子、シナモン、メースが並ぶ。ナツメグはこの本で加わる。香辛料の扱いは違い、1902年の本はバターで炒めない。メースを除いた香辛料をすりつぶして鶏の煮汁で煮てから汁を漉し、その汁でメースと一緒に米を炊く。米が半ば炊けたら半分を取り出して鶏を入れ、取り出した米をかぶせる。仕上げの手順も少し違い、米が炊き上がる直前に、薔薇水を混ぜたバターミルクを上から注ぎ、蓋をしてそのまま炊き上げる。
二冊のあいだには40年近い隔たりがあるが、鶏の煮汁で米を炊くこと、鶏を米の中に入れること、最後にバターミルクと薔薇水を加えることは変わっていない。
検証ストーリー
1864年にバタヴィアで出た『Kokki Bitja』の第6版には、ナシ・プリンギットの条が2か所ある。どちらにも「Nasi Pringit makanan Kodja」、つまり「コジャの食べ物」という添え書きが付き、巻末の索引もこの2か所を拾っている。この本は版を重ねた料理書だが、それより前の版にこの名があるかどうかはまだ分かっていない。
コジャがどんな人々を指すのかは、1902年に出た蘭領東インドの料理書から読み取れる。この本は米料理の節の13番目に「Nasi Pringit (Makanan kodja)」を立て、巻末に置いたマレー語の語彙表で、kodja を南インド出身の人を指す klingalees と、ムスリムを指す moor の語で訳している。この訳に従えば、二冊の料理書はどちらも、この米料理を南インド系のムスリムの人々の食べ物として載せていたことになる。
ただ、料理書が語るのはそこまでである。コジャの人々のあいだで、この料理がいつ、どこで作られ始めたのかを書いた記録は見つかっていない。この名の料理を載せる記録そのものも、いまのところこの二冊のほかに見つかっていない。
名前もまた手がかりにならない。ナシは米の飯を指すが、プリンギットが料理の呼び名なのか、土地や人の名なのか、あるいは別の語が書き崩れたものなのかを示す資料は無い。確かなのは、遅くとも1864年のバタヴィアで、鶏の煮汁で炊いてバターミルクと薔薇水で仕上げるこの米料理が、コジャの食べ物として料理書に載っていたことである。
検証ログ 追記専用の監査証跡
| 日付 | 結果 | 確度 | 主張 / 出典 | 更新者 |
|---|---|---|---|---|
| 2026-10-21 | 支持 | —→— |
「ナシ・プリンギット」が1902年の史料に現れる
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研磨係 |
| 2026-10-21 | None | —→— |
「ナシ・プリンギット」を料理として扱うことにした(読者に見せるページを切り替え) |
研磨係 |
| 2026-10-21 | 支持 | —→B |
1864年にバタヴィアで出た料理書『Kokki Bitja』(第6版)の刷り頁104-105に『Nasi Pringit makanan Kodja』(コジャの食べ物)が載る。鶏を生姜と煮た汁で米を炊き、香辛料を炒めて混ぜ、鶏を米に入れ、炊き上がる前にバターミルクを大きなグラスに1杯入れ、薔薇水を少し加える作り方で、1902年の料理書の品番13とほぼ同じ。同じ本の刷り頁189-190にも同じ名の条がある。名が料理書に出るのは遅くとも1864年
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研磨係 |
| 2026-10-21 | 支持 | —→B |
1902年の蘭領東インドの料理書は、巻末のマレー語の語彙表で kodja を klingalees(南インド出身の人)・moor(ムスリム)と訳す。品番13の添え書き『Makanan kodja』は、本がこの品を南インド系ムスリムの人々の料理として題を立てていることを示す。ただし、その人々のあいだでいつ・どこで作られ始めたかは書かない
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研磨係 |
構成素材
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