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寒天以前の蒸羊羹 時期 C起源説 B検証済

確度は2軸: 時期=成立時期の固さ/起源説=発祥譚(説)の固さ(A〜Dの4段階・別々に持つ)。確度とは?→

日本 ・ 成立年は未確定。日本の羊羹の文献初出は『庭訓往来』(14世紀後半)十月十三日状の点心の条で、猪羹・驢膓羹・鼈羹と並ぶ列に『羊羹』『笋羊羹』『砂糖羊羹』が現れる=upper=1400 はこの保守的な上限。蒸し固める製法そのものを明記する史料は『和漢三才図会』(1712)まで下るが、『守貞漫稿』は蒸して作る『羊羹ノ古製』を『今製ノ蒸羊羹ノ類ニテ、古ノ砂糖羊羹也』と同定し、14世紀の砂糖羊羹と近世の蒸羊羹を同じ系統に結ぶ。下限は不明。寒天を使う煉羊羹が現れるのは18世紀後期(『太梁公日記』1773年・『逾好日記』1787年の「ねりやうかん」、『嬉遊笑覧』の寛政年間・紅粉屋志津磨説)で、それ以後も蒸羊羹は値の違う別商品として併存した ・ 成立年代 〜1400 ・ 主役食材 小豆

記章(DB由来の作図・装飾/監修・認証ではない)|起源説確度B・検証済B記章(DB由来の作図・装飾)

これは羊羹の前史(古層)です。現行型を成立させた律速食材「寒天」を欠く時代の祖型で、現行型とは別の時計で測ります。

現行型「羊羹」を見る →

3ゲート

食材入手ゲート
小豆・小麦粉・葛はいずれも在来。砂糖は外来だが、日本への到来は食材ゲート台帳で825年(交易路)とされ、14世紀後半の文献初出よりはるかに早い=禅寺・茶席という上層の場ではすでに使えた。寒天は要らない。よって律速食材は無い。寒天が律速になるのは、それを使って煮詰め練り固める子(煉羊羹=現行の羊羹)の側である
調理技術ゲート
小豆の漉し餡に小麦粉や葛を混ぜ、蒸籠で蒸して固める。『和漢三才図会』(1712)は『煮赤豆去皮絞水、用粉和麪粉、以沙糖煎汁洩之蒸』とし、黒い色を出すには玉砂糖を用いるか鍋底の炭を入れると書く。『菓子話船橋』(1841)は赤小豆一升・唐雪白砂糖八百目・小麦御膳粉七十目・久助葛廿匁の割で、砂糖を煮詰めて小豆の漉し粉を練り合わせ、小麦粉と葛を混ぜて蒸籠で一時ほど蒸すとする。特別な設備も外来の材料も要らない
場ゲート
禅宗の点心として入り、室町期には茶席の菓子となった。『庭訓往来』(14世紀後半)は点心の品目として挙げ、『松屋会記』天文11年(1542)は茶席の菓子とする。近世には菓子屋の商品となり、『守貞漫稿』は三都で煉羊羹一棹 銀二匁に対し蒸羊羹一棹 銀一匁と、値の安い方の商品として売られていたことを記す

成立年代と食材入手ゲート

食材入手(825年・在地/到来)が律速=物理的な下限。成立年代の帯はそれ以降にある(場ゲートは年に乗らない構造ゲート)。

成立年代と成立ゲート成立 〜1400食材入手・律速 825(在地/到来/砂糖)7091458
  • 食材入手(流通/在地/加工の経路を内包)
  • 太線=律速(最も遅い=成立を縛る)
  • 細線=既に充足
  • 場ゲートは年に乗らない構造ゲート(図外)

検証メモ: 2026年8月の検証(1回目)。前史にあたる古い層として、成立時期の確からしさ・三つのゲート・出典を確定した。『古事類苑』飲食部九 菓子(NDL全文API)の羊羹の条から、寒天以前の製法を書く3史料(和漢三才図会1712・守貞漫稿・菓子話船橋1841)の逐語を得た=古層の要件は小豆・砂糖・小麦粉/葛と蒸籠で、寒天を要さない。守貞漫稿は古い製法を『今製ノ蒸羊羹ノ類ニテ、古ノ砂糖羊羹也』と同定し、煉羊羹(乾天を用いる)と値段まで別立てにする。成立を縛る条件は特に無い(砂糖の到来825年は文献に現れる14世紀後半よりはるかに早い)。

起源説

定説

★主 寒天以前の羊羹は、小豆餡に小麦粉・葛を加えて蒸し固めた『蒸羊羹』である B

寒天を使う煉羊羹が18世紀後期に現れるまで、羊羹の標準形は、小豆の漉し餡に小麦粉や葛を加え、蒸籠で蒸して固めた菓子だった。製法を書いた史料が3つの時代にわたって一致する。(1)『和漢三才図会』(1712)は『羊羹造法、煮赤豆去皮絞水、用粉和麪粉、以沙糖煎汁洩之…続きを読む

寒天を使う煉羊羹が18世紀後期に現れるまで、羊羹の標準形は、小豆の漉し餡に小麦粉や葛を加え、蒸籠で蒸して固めた菓子だった。製法を書いた史料が3つの時代にわたって一致する。(1)『和漢三才図会』(1712)は『羊羹造法、煮赤豆去皮絞水、用粉和麪粉、以沙糖煎汁洩之蒸』=赤小豆を煮て皮を去り水を絞り、粉を麪粉と合わせ、砂糖の煎じ汁で湿らせて蒸す、と記し、黒い色を出すには玉砂糖を使うか鍋底の炭を入れるとし、竹の皮に包むとする。(2)『守貞漫稿』は『羊羹ノ古製 小豆一升 砂糖准之 小麦粉五勺 鍋墨少々加ヘユルク煉リ合セ、蒸籠ニ掛ケ、サマシテ後ニ細長ク四角ニ切ル 色黒シ』とし、続けて『古製ハ此ゴトク甚粗製也、今製ノ蒸羊羹ノ類ニテ、古ノ砂糖羊羹也』=古い製法は粗いもので、いまの蒸羊羹の類であり、昔の『砂糖羊羹』がこれである、と古層と現行の蒸羊羹を同定する。(3)『菓子話船橋』(1841)は『蒸羊羹 赤小豆一升 唐雪白砂糖八百目 小麦御膳粉七十目 久助葛廿匁』と分量を挙げ、砂糖を煮詰めて小豆の漉し粉を練り合わせ、小麦粉と葛を混ぜて蒸籠で一時ほど蒸すと書く。すなわち古層の要件は、小豆・砂糖・小麦粉/葛と蒸籠であって、寒天はいっさい要らない。この形は『庭訓往来』(14世紀後半)の点心の条に『羊羹』『笋羊羹』『砂糖羊羹』が並ぶ段階まで遡り、18世紀末に煉羊羹が現れたのちも併存した(『守貞漫稿』は煉羊羹一棹 銀二匁に対し蒸羊羹一棹 銀一匁と、値の違う別の商品として並べる)

諸説併記

『庭訓往来』が『羊羹』と『砂糖羊羹』を別立てにしていることの解釈 C

日本の羊羹の文献初出である『庭訓往来』(14世紀後半)十月十三日状の点心の条は、猪羹・驢膓羹・鼈羹といった動物名を冠した羹の列の中に『羊羹』『笋羊羹』『砂糖羊羹』を別々の品目として並べる。この書き分けをどう読むかで、古層の姿が変わる。(1)『守貞漫稿』は古製の…続きを読む

日本の羊羹の文献初出である『庭訓往来』(14世紀後半)十月十三日状の点心の条は、猪羹・驢膓羹・鼈羹といった動物名を冠した羹の列の中に『羊羹』『笋羊羹』『砂糖羊羹』を別々の品目として並べる。この書き分けをどう読むかで、古層の姿が変わる。(1)『守貞漫稿』は古製の羊羹(小豆・砂糖・小麦粉を練って蒸したもの)を『古ノ砂糖羊羹也』と同定する。この読みに従えば、砂糖を入れない『羊羹』は別の、より汁物に近い品だったことになる。(2)他方、砂糖の有無を単なる仕様の違い(甘味の強弱)とみて、両者を同じ菓子の系統とみることもできる。『日葡辞書』(1603)は『羊羹=豆に粗糖をまぜ、こねたもので作った食物』『砂糖羊羹=豆と砂糖とで作る。甘い板菓子(羊羹)の一種』と、前者にも粗糖を認めつつ後者を『一種』として区別しており、この読みを支える。決着していない。留保: 『庭訓往来』の本文は翻刻(三次市立図書館の往来本デジタルアーカイブ)で、『日葡辞書』『松屋会記』は並松2021の引用を通じて読んだもので、いずれも原本に当たっていない

検証ログ 追記専用の監査証跡

日付結果確度主張 / 出典更新者
2026-08-15 None —→— — adder-1
2026-08-20 支持 —→B
寒天以前の羊羹は、小豆の漉し餡に小麦粉や葛を加えて蒸籠で蒸し固めた菓子である
polisher-1
2026-08-20 支持 B→B
近世の史料は、蒸して作る古い羊羹と寒天を用いる煉羊羹を、製法も値段も違う別の商品として区別している
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2026-08-20 不明 —→C
『庭訓往来』が『羊羹』と『砂糖羊羹』を別立てにしている理由は決まらない
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2026-08-24 支持 B→B
『庭訓往来』と同系の点心の羹は、小豆のこし粉・小麦粉・砂糖を煉り合わせて蒸し固める製法だった。『嬉遊笑覧』巻十上 飲食コマ253は伊勢貞丈(安斎)の説として「鼈羹ハ摺立の山の芋一升に砂糖一斤、赤小豆のこし粉一升、小麦の粉五勺、煉合せ蒸て龜甲の形に切なり」と記す
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2026-08-24 支持 C→C
『庭訓往来』が「羊羹」と「沙糖羊羹」を別立てにするのは砂糖の有無の別である、という読み(守貞漫稿と同じ側)を、『嬉遊笑覧』巻十上 飲食コマ252も採る=「〔庭訓〕に羊羹と沙糖羊羹と二種出たり、唯羊羹ハ沙糖ハ入らざるなり」
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2026-08-24 支持 B→B
寒天を用いる煉羊羹が現れるのは18世紀末であり、それ以前の羊羹は煉羊羹ではない。『嬉遊笑覧』巻十上 飲食コマ263は「茶の湯の口取に煉羊羹うばたまなどハ紅粉や志津磨始て製す、寛政の頃よりなり」と、煉羊羹の初製を寛政年間(1789-1801)に置く
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2026-09-06 支持 B→B
寒天以前の蒸羊羹の製法根拠となる古事類苑の逐語は、飲食部四 コマ77-78の羊羹の条に在る
polisher-1

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構成素材

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