食文化圏 / 南アジア
西インド料理の成立史
南アジアの食文化圏「西インド」に属する料理 8 品の成立史。 いつ・どこで成立したかを、3ゲート(食材入手/調理技術/場)・確度2軸・検証ログで根拠まで辿れます。
この食文化圏の指紋 DB由来のデータ集計(装飾でなく事実)
この圏に特徴的な食材全圏平均より偏って多く現れる律速食材(=この圏に特徴的な素材)。汎用食材は突出しないので外れます。
成立年代の分布成立年代の分布(最古 1510 年〜最新 1970 年)。
食材は在来か外来か律速食材が在来(もとから現地にあった)か、外来(交易・開国・植民地交易などで届いた)かの比率。
在来 0 外来 5
所属する料理 8
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定番 パヴバジ
ムンバイ 1850–1900
時C説C
潰し煮にした野菜にバターで焼いたパンを添える、ムンバイを代表する屋台料理。その誕生を遠い米国の南北戦争へさかのぼる有名な話が語り継がれているが、これを示す同時代の記録は見当たらず、料理として確立したのはむしろ20世紀中葉だったとみる声が強まっている。
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ヴィンダルー
インド・ゴア 1510–1600
時C説C
激辛カレーの代名詞ヴィンダルーは、名前の「-アルー」がヒンディー語のじゃがいも(आलू)に似ているため「じゃがいも料理」と思われがちだ。だがこれは音のそら似による誤解で、語源も発祥もじゃがいもとは無関係——その正体は、ポルトガル人がインドのゴアに持ち込んだ「肉のワイン酢・ニンニク漬け」である。
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ドークラ
グジャラート(西インド) 1520–1600
時B説B
ドークラは、ヒヨコ豆の粉(ベサン)を発酵させて蒸し上げる、西インド・グジャラートのふんわりした塩味の蒸し菓子である。蒸した見た目から南インドの料理と紹介されることもあるが、その名も前身も、たどればいずれもグジャラートを指している。
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フィルニー
ムンバイ 1526–?
時C説C
フィルニーは、挽いた米を乳と砂糖で煮て冷やし固め、カルダモンやサフラン、ローズウォーターで香らせた南アジアの乳菓子である。預言者が昇天の旅で天使から乳粥を授かったのが始まり、という起源譚が語られるが、これは乳粥全般に寄り添う信仰の物語で、南アジアのフィルニーがいつ生まれたかを示すものではない。
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カチュンバル
グジャラート(西インド) 1600–1850
時B説C
玉ねぎと胡瓜を細かく刻んで酸味で和える、西インド・グジャラートの日常の副菜。その名はグジャラート語の「刻み和え」に由来し、遠く東アフリカのカチュンバリの祖にもなった。ただし、いまの一皿に欠かせないトマトは、この土地に古くからあったわけではない。
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ミサルパヴ
ムンバイ 1850–1950
時C説C
モス豆の辛い煮込みに丸パンを添えたムンバイの名物軽食。この一皿を今の姿にしたパオ(丸パン)は、ポルトガル人が西インドの海沿いにもたらしたパン食に由来する。19世紀の戦士が生み出したという地方伝説には、同じ時代の裏づけがない。
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ヴァダパオ
ムンバイ 1960–1975
時B説C
ムンバイの働き手の腹を支える街頭の軽食、ヴァダパオ。ジャガイモも唐辛子も白パンのパオも、ポルトガルが海を渡って運んできた食材の上に立つ、近代の発明である。1966年にダダル駅前のアショク・ヴァイディヤが考案したという話が広く語られるが、それを当時その場で記した記録は見当たらず、確かな足どりは1971年までしかさかのぼれない。
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バターガーリッククラブ
ムンバイ 1970–1991
時B説B
バターガーリッククラブは、ムンバイの海沿いで育った現代の海鮮料理だ。丸ごとのカニをバターとニンニク、胡椒でからめて炒めるこの一皿は、名だたる発明者や古い由緒を持たない。都市の海鮮レストランという場そのものが生んだ味である。