柳川鍋 時期 B起源説 B検証済
確度は2軸: 時期=成立時期の固さ/起源説=発祥譚(説)の固さ(A〜Dの4段階・別々に持つ)。確度とは?→
暴かれた通説あり出典で反証された通説を抱える料理です(真の起源は未確定のことが多い)。
お気に入りリスト
骨を抜いたどじょうを、ささがきのごぼうと煮て卵でとじる鍋は、遅くとも幕末には江戸で「柳川の骨抜き」の名で売られていた。浅草千束の柳川屋が始めたという昭和の随筆の話は、幕末までに書かれた風俗誌『守貞謾稿』が伝える始まりとは食い違う。
史料が示すこと 起源・発祥は?
俗説「昭和15年(1940年)の食の随筆は、江戸時代に浅草千束の小料理屋柳川屋が始めたと言われる、と伝聞の形で書く。幕末までに書かれた『守貞謾稿』は、…」は、史料の検証で退けられている。
幕末までに書かれた喜田川守貞『守貞謾稿』(天保8年=1837年に起稿し、嘉永6年=1853年に本編を止め、慶応の末まで追記)は、骨抜きのどじょう鍋は文政初めごろ江戸南伝馬町の萬屋某が売り出し、天保初めごろ横山同朋町に柳川という家号の店ができて大いに流行り、同じ家号の店が諸所に開いたと書く。鍋の底にささがき牛蒡を敷き、鶏卵でとじる形も記し、別の条では『柳川の骨抜き』を一鍋三百文とする。文政初めという年は守貞が後から振り返って書いたもの。『柳川鍋』という料理の名そのものはこの本には見当たらず、見た範囲では明治26年(1893年)の国語辞書が最も早い。大正から昭和初めの料理の本は関東の料理として作り方を書き、昭和12年(1937年)の養殖の本も始まりを文政頃とする。 なお「浅草千束の柳川屋という店が始めたという話」という通説は一次史料・学術文献で退けられている。
3ゲート
- 食材入手ゲート
- どじょう(在来の淡水魚)・ごぼう・卵。いずれも江戸で手に入る
- 調理技術ゲート
- 開いて骨を抜いたどじょうを、ささがきのごぼうと鍋で煮て、卵でとじる
- 場ゲート
- 江戸・東京のどじょう料理の店と小料理屋。いまも東京のどじょう屋で出される
成立年代と成立ゲート
主役食材(どじょう)は在来で、到来による制約がない。下限の縦線は無く、帯は成立年代を示す。
検証メモ: 開いて骨を抜いたどじょうを、ささがきのごぼうと鍋で煮て卵でとじる東京の料理。幕末までに書かれた『守貞謾稿』は、骨抜きのどじょう鍋を文政初めごろ江戸の萬屋某が売り出し、天保初めごろ柳川という家号の店が始めて流行ったと書き、ささがき牛蒡を敷いて鶏卵でとじる形を記す。『柳川鍋』という名で載る記録は、見た範囲では明治26年(1893年)の国語辞書が最も早い。浅草の柳川屋が始めたという話は昭和の随筆が伝聞として書くもので、『守貞謾稿』の記述とは合わない。
起源説
反証
浅草千束の柳川屋という店が始めたという話 D
昭和15年(1940年)の食の随筆は、江戸時代に浅草千束の小料理屋柳川屋が始めたと言われる、と伝聞の形で書く。幕末までに書かれた『守貞謾稿』は、骨抜きのどじょう鍋を始めたのは文政初めごろの南伝馬町の萬屋某で、柳川という家号の店は天保初めごろ横山同朋町に開いたと書き、浅草千束の名も柳川屋の名も出さない。同じ家号の店が諸所に開いたとも書くので浅草に店があった可能性は残るが、浅草千束の柳川屋が始めたという部分はこの記録と合わない。
未確定
★主 江戸後期の江戸で、骨抜きのどじょう鍋が柳川という店の名とともに広まった B
幕末までに書かれた喜田川守貞『守貞謾稿』(天保8年=1837年に起稿し、嘉永6年=1853年に本編を止め、慶応の末まで追記)は、骨抜きのどじょう鍋は文政初めごろ江戸南伝馬町の萬屋某が売り出し、天保初めごろ横山同朋町に柳川という家号の店ができて大いに流行り、同じ家号の店が諸所に開いたと書く。鍋の底にささがき牛蒡を敷き、鶏卵でとじる形も記し、別の条では『柳川の骨抜き』を一鍋三百文とする。文政初めという年は守貞が後から振り返って書いたもの。『柳川鍋』という料理の名そのものはこの本には見当たらず、見た範囲では明治26年(1893年)の国語辞書が最も早い。大正から昭和初めの料理の本は関東の料理として作り方を書き、昭和12年(1937年)の養殖の本も始まりを文政頃とする。
- 支持 山田美妙『日本大辞書』明治26年 日本大辞書発行所(国立国会図書館デジタルコレクション) 重み5
- 支持 『食物の養生』10巻7号 1924年7月 鈴木商会出版部(国立国会図書館デジタルコレクション) 重み5
- 支持 大村清友・栗橋信『鰌と鮒 飼ひ方売り方料理法』昭和2年 文化生活研究会(国立国会図書館デジタルコレクション) 重み5
- 言及 森田茂次『鰌養殖法の研究』昭和12年 杉山書店(国立国会図書館デジタルコレクション) 重み5
- 支持 喜田川守貞 著・室松岩雄ほか編『類聚近世風俗志 原名守貞漫稿』(第一〜十六編の冊)明治41年(1908)国学院大学出版部(国立国会図書館デジタルコレクション) 重み5
- 支持 駒形どぜう 公式サイト お品書き(2026-10-31閲覧) 重み3
解説
柳川鍋は、開いて骨を抜いたどじょうを、ささがきにしたごぼうと鍋で煮て、卵でとじる東京の料理である。単に柳川とも呼ばれる。どじょうは日本在来の淡水魚で、ごぼうや卵とともに、江戸の町でふだんに手に入る素材だった。
この鍋は、遅くとも幕末には江戸の店で売られていた。幕末までに書かれた風俗誌『守貞謾稿』は、鍋の底にささがき牛蒡を敷き、鶏卵でとじる骨抜きのどじょう鍋を記し、「柳川の骨抜き」を一鍋三百文としている。売っていたのは柳川という家号の店で、著者の喜田川守貞は横山町の新道にある老店を挙げ、近年は同じ家号の店があちこちに開いていると書く。守貞はこの鍋を「柳川の骨抜き」「骨抜鰌鍋」と呼んでいて、「柳川鍋」という呼び名は使っていない。その呼び名は、明治26年(1893年)の国語辞書『日本大辞書』の「やながわ」の項に、どじょう鍋の意味で載っている。
大正から昭和の初めには、雑誌や本が作り方を書いている。大正13年(1924年)の雑誌『食物の養生』は、どじょうを裂いて骨をたたき、ごぼうと煮て玉子をかけたものを柳川煮と呼ぶ。昭和2年(1927年)の本は、柳川鍋を関東でとくに好まれる料理とし、ごぼうと卵を付き物に挙げる。いまも東京のどじょう屋で出される料理で、台東区駒形のどじょう料理店、駒形どぜうのお品書きには、柳川なべと柳川定食が載っている。
検証ストーリー
柳川鍋の始まりとして語られてきたのが、浅草の柳川屋という店の話である。昭和15年(1940年)、木下謙次郎は食の随筆『美味求真 続々』に、江戸時代に浅草千束の小料理屋柳川屋というのが始めたものといわれる、と書いた。随筆自身が伝え聞きの形をとっていて、柳川屋がいつ浅草にあった店なのかは、この一文からはわからない。
始まりの年については、昭和12年(1937年)の森田茂次『鰌養殖法の研究』が、骨抜きのどじょう鍋が始まったのは文政のころ(1818〜30年)からだと書く。この年は、幕末までに書かれた『守貞謾稿』が振り返って記す始まりの年と重なる。
『守貞謾稿』は、喜田川守貞が天保8年(1837年)に書き起こし、慶応の末まで書き足した風俗誌である。その生業を扱う編によれば、骨抜きのどじょう鍋は、文政の初めごろ江戸南伝馬町三丁目の裏店に住む萬屋某という者が、どじょうを裂いて骨と頭とはらわたを除き、鍋で煮て売り出したのに始まる。天保の初めごろには、横山同朋町の、これも裏店の四畳ばかりを客席にした店が売り始め、家号を柳川といった。この店はのちに横山町の新道へ移って評判をとり、同じ家号を掲げる店があちこちに開いて、京坂にも伝わったという。
もっとも、文政の初めという年は、守貞が後年になって振り返って書いたもので、その年のうちに書かれた記録ではない。『守貞謾稿』の記述から言えるのは、天保から幕末にかけての江戸で、柳川という家号の店が骨抜きのどじょう鍋を売り、その店の名とともに鍋が広まっていたということである。
この始まりの話には、浅草千束の名も柳川屋という店の名も出てこない。鍋を売り出したのは南伝馬町の萬屋で、柳川という家号の店は横山同朋町で開いたと守貞は書く。同じ家号の店があちこちに開いていたのだから、浅草にも柳川を名乗る店があった可能性はある。それでも、浅草千束の柳川屋がこの鍋を始めたという話は、幕末までに書かれた記録の伝える始まりとは合わない。
検証ログ 追記専用の監査証跡
| 日付 | 結果 | 確度 | 主張 / 出典 | 更新者 |
|---|---|---|---|---|
| 2026-10-31 | 支持 | C→C |
いま食べられていることの確認: 東京都台東区駒形の駒形どぜうの公式サイトのお品書きに、柳川なべと柳川定食が載っている 出典:
駒形どぜう 公式サイト お品書き(2026-10-31閲覧) 重み3
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研磨係 |
| 2026-10-31 | 支持 | C→C |
明治26年(1893年)の国語辞書が柳川を柳川鍋・どじょう鍋の意に当てる
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研磨係 |
| 2026-10-31 | 支持 | C→C |
1924年の雑誌が、骨をたたいたどじょうを牛蒡と煮て玉子をかける柳川煮を書く
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研磨係 |
| 2026-10-31 | 支持 | C→C |
昭和2年(1927年)の本が、柳川鍋を関東で特に好まれる料理とし、牛蒡と卵が付き物だと書く
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研磨係 |
| 2026-10-31 | 不明 | C→C |
昭和12年(1937年)の本が、骨抜きのどじょう鍋の始まりを文政頃とする
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研磨係 |
| 2026-10-31 | 不明 | D→D |
昭和15年(1940年)の随筆が、浅草千束の小料理屋柳川屋が始めたと言われると書く
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研磨係 |
| 2026-10-31 | 支持 | C→B |
幕末までに書かれた『守貞謾稿』が、骨抜きのどじょう鍋は文政初めごろ江戸南伝馬町の萬屋某が始め、天保初めごろ横山同朋町に柳川という家号の店ができて流行り、同じ家号の店が諸所に開いたと書く
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研磨係 |
| 2026-10-31 | 支持 | B→B |
『守貞謾稿』の別の条が、柳川の骨抜きをささがき牛蒡と鶏卵で煮つける一鍋三百文の鍋として注する
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研磨係 |
| 2026-10-31 | 反証 | D→D |
浅草千束の柳川屋が始めたという昭和15年(1940年)の伝聞は、幕末までに書かれた『守貞謾稿』の記述と合わない
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研磨係 |
| 2026-10-31 | 支持 | C→B |
成立時期: ささがき牛蒡を敷き鶏卵でとじる骨抜きのどじょう鍋は、遅くとも幕末(1868年まで)に江戸で売られていた。時期の上限を1893年(国語辞書)から1868年へ上げる
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研磨係 |
構成素材
この料理を構成する素材の成立史へ。「成立史は準備中」の素材はまだページがありません。
- 素材どじょう成立史は準備中
- 素材ゴボウ成立史は準備中
- 素材鶏卵