食文化圏 / 南アジア
南インド料理の成立史
南アジアの食文化圏「南インド」に属する料理 8 品の成立史。 いつ・どこで成立したかを、3ゲート(食材入手/調理技術/場)・確度2軸・検証ログで根拠まで辿れます。
この食文化圏の指紋 DB由来のデータ集計(装飾でなく事実)
成立年代の分布成立年代の分布(最古 900 年〜最新 1965 年)。
食材は在来か外来か律速食材が在来(もとから現地にあった)か、外来(交易・開国・植民地交易などで届いた)かの比率。
在来 3 外来 2
所属する料理 8
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イドリー
南インド 900–1200
時C説C
南インドのイドリーは、米とウラドダル(ケツルアズキ)を発酵させた生地を蒸した、白くふくらんだ餅である。いつ・どこでいまの姿になったのかには複数の見方があり、しかも最も古い記録に出てくる同じ名の食べものは、今日のイドリーとはずいぶん違う姿をしていた。
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ドーサ
南インド(タミル・カルナータカ) 1000–1600
時B説C
黄金に焼けたマサラドーサを「12世紀の宮廷で残り物カレーから生まれた」と語る話は、史実とかみ合わない。ジャガイモを詰めたあの一皿は、ずっと新しい時代のものだ。
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ラサム
南インド(タミル地方) 1500–1900
時C説C
南インドの料理人が病んだ王子を一杯のスープで救った——ラサムの始まりとして語られるこの美談には、それを支える古い記録がない。この酸辛いスープの本当の芯は、伝説ではなく、南インドの土に古くから根ざしたタマリンドと黒胡椒の酸味にある。
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ハリーム
ハイデラバード(デカン) 1600–1900
時C説C
ハイデラバードがラマダンの夜に味わう、小麦と肉を練り崩した濃厚な煮込み。起源を7世紀のカリフにまで遡らせる物語が語られてきたが、確かな文献にたどれる祖型は10世紀のアラブ世界にある。
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ビシ・ベレ・バート
南インド(タミル・カルナータカ) 1700–1900
時C説C
ビシ・ベレ・バートは、南インドの米と豆を特製マサラで炊き合わせた一鍋料理。マイソールの宮廷厨房で秘伝として生まれたという話が知られるが、赤いマサラを特徴とする現行の姿はさほど古くはさかのぼれず、その前史をめぐっては諸説が入り乱れて定まっていない。
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ハイデラバードビリヤニ
ハイデラバード(デカン) 1724–1800
時B説B
ハイデラバードのビリヤニといえば、生の肉と生の米を交互に重ねて密封し、蒸気だけでじっくり火を通す「カッチ・ダム」という独特の調理法で知られる。この様式は一人の名料理人が思いつきで編み出したという地元の語り草があるが、実際には18世紀、ニザーム宮廷という場でムガルとデカンの料理文化が融合していく中で形づくられていったものである。
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ウプマ
南インド 1900–1950
時B説C
南インドの定番軽食ウプマ。いまの主流であるセモリナのウプマは、第二次大戦期の米不足のなかで小麦が米の代わりに勧められた結果として20世紀に広まった、比較的新しい形である。
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チキン65
南インド(タミル地方) 1965–1965
時B説B
「唐辛子を65個使うから」「生後65日の若鶏だから」——南インド発の鶏の揚げ物チキン65の名前には、もっともらしい由来がいくつも語られる。だが最も確からしいのはずっと素朴な話で、1965年に生まれた料理だから、というものである。