食材から辿る / 旧大陸
タラ 素材 時期 C検証済
タラが、いつ・どこで食べ物として成立し、各地へどう伝わったかをまとめています。 原産地での成立を3ゲート(食材入手・調理技術・場)で示し、その後の各地への到来を記録でたどります。
3ゲート
- 食材入手ゲート
- タイセイヨウダラの漁獲(採取)=北大西洋・北方海域(先史からの沿岸漁労)
- 調理技術ゲート
- 加熱調理、および風乾(干しダラ/ストックフィッシュ)・塩蔵(塩ダラ)による保存
- 場ゲート
- 北大西洋沿岸(北欧)の漁労食での成立(生鮮は食材入手=漁獲と同年=先史)
タラはどこから広がったか
タラ——タイセイヨウダラ(Gadus morhua)は、北大西洋の冷たい海に群れる魚である。育てるものでも飼うものでもなく、獲るものだった。その歴史は、そのまま北の海の漁の歴史と重なっている。
ノルウェーの沿岸では、石器時代からタラが揚がっていた。南東ノルウェーのスコクレファル、南西のスキプスヘレレンという二つの遺跡から出た中石器・新石器時代のタラの耳石を分析した研究(フフトハンマーらの2010年の報告)は、耳石のいちばん外側に残る酸素同位体比が、晩冬から早春のもっとも低い水温に対応することを示した。耳石は魚が育つあいだ年輪のように層を重ねるので、外側の層はその魚が死んだ季節を教える。人が海辺の住まいを使っていた季節と、タラが岸に寄る季節は同じだった。北欧の暮らしとタラの群れは、数千年にわたって一つの暦の上にあった。
干して塩をして、遠くへ
タラを土地の魚から交易の品に変えたのは、保存のしかたである。この魚の白身は脂がきわめて少ない。頭を落として二つに開き、寒風にさらすだけで板のように乾き、腐らない。火も塩も使わずにできあがるこの干しダラは、そのまま船に積める。のちには塩を打ってから乾かす塩ダラも加わった。どちらも水に戻せば身がほどけ、煮ものになる。
塩ダラは大西洋を横切る積荷になった。カリブ海のプエルトリコには、16世紀から18世紀にかけて塩ダラが常の食材として入ってくる。熱帯の島の台所に北の海の魚が並ぶようになったのは、乾かして塩をするという一手間が、産地と食卓のあいだの距離を消したからである。
生のまま届くようになるまで
生のタラが内陸の町のふつうの食べものになるのは、ずっと後のことだった。イギリスでタラが日常の魚として広まるのは19世紀の半ば、1840年ごろから1870年ごろにかけてで、沿岸の漁港から市場へ魚を運ぶ道が開けたことによる。揚げた白身に揚げた芋を添えて売る店が現れるのも、この時期にあたる。オランダの沿岸では、タラは古くから揚がる土地の魚として食べられてきた。乾かして運ばれる魚と、生のまま運ばれる魚——タラは、その二つの道を順に得た魚である。
各地への伝来 4
各地で食べ物として定着した時期の記録です。地域によっては、それに先立つ物理的な到来(観賞用など、食用より前の前史)が含まれることがあります。
- 前4000〜1100頃 北欧 在来
- 1500〜1765頃 プエルトリコ 植民地交易
- 1840〜1870頃 英国 在来流通
- 時期不明 オランダ 在来
タラの到来が成立を縛った料理 3
タラが届く前には成り立たなかった料理です。到来年が、その料理の物理的な下限になります。
- バカライート プエルトリコ1500年ごろ
- セレナータ プエルトリコ1700年ごろ
- フィッシュ&チップス 英国1840年ごろ
タラを使う料理 5
- カルド・サント プエルトリコ1600年ごろ
- シーフードチャウダー アイルランド1751年ごろ
- フィスケスッペ ノルウェー1835年ごろ
- フィッシュ・アンド・チップス イングランド1860年ごろ
- キベリング オランダ1900年ごろ