食材から辿る / 旧大陸
バゲット 素材 時期 B検証済
バゲットが、いつ・どこで食べ物として成立し、各地へどう伝わったかをまとめています。 原産地での成立を3ゲート(食材入手・調理技術・場)で示し、その後の各地への到来を記録でたどります。
3ゲート
- 食材入手ゲート
- 軟質小麦(パン小麦)の栽培化(入手)+細かい白い小麦粉(19世紀ハンガリー式gruau製粉)の流通
- 調理技術ゲート
- イースト発酵+蒸気窯(steam oven)による薄い皮と軽い白パンの製法
- 場ゲート
- フランス(特にパリ)のパン食での成立
バゲットはどこから広がったか
バゲットは細長い一本の白パンである。材料は小麦粉と水と塩と酵母だけで、目新しいものは何もない。それでも、この形と歯ざわりが成り立つには二つの条件がそろう必要があった。ひとつは白くきめの細かい小麦粉である。パン小麦(軟質小麦)をそのまま挽けば、外皮や胚芽の混じった粉になる。19世紀のハンガリーで磨かれたグリュオ製粉——ロールで段階的に挽き分け、胚乳の中心部だけを取り出す方法——が広まって、パン屋の手もとに真っ白な細かい粉が届くようになった。もうひとつは、窯に蒸気を吹き込む仕組みである。焼きはじめに湿った空気を送ると、表面が固まりきる前に生地が伸び、乾いたあとの皮は薄く割れやすくなる。中の気泡は粗く軽く、皮はぱりぱりと鳴る。
パリのパン屋で形が定まる
この二つが結びついたのはフランス、とりわけパリのパン屋だった。細長い白パンが店先に現れるのは19世紀のうちで、バゲットという名で今の姿に定まるのは1920年ごろのことである。丸い大型のパンを何日か食べつなぐのではなく、細長い一本をその日の分だけ買って食べる——都市のパン食の暮らしが、この形を支えた。皮の割合が大きく、中身の軽いパンは、焼きたてが最もうまく、翌日には硬くなる。日に何度も窯を焚き、客が一日に一度は店に来るという都市の商いのなかで、この性質は欠点にならなかった。
植民地の港へ
フランスのパンは、フランス人が運んだ。仏領インドシナのベトナムには1860年ごろ、カンボジアには1863年から1900年ごろにかけて、パン屋とともにバゲットが持ち込まれる。カンボジアのヌンパン——num(菓子)に、フランス語の pain が付いた名——は、この時期の来歴をそのまま名に残している。
西アフリカのセネガルにバゲットが入るのは、二十世紀に入るころである。三世紀近いフランスの統治のあいだに、この細長いパンはセネガルの土地のパンになった。ササゲを煮込んだンダンベをバゲットに挟んだものは、いまも朝の食べものである。在来のササゲの料理と、フランス渡りの白パンが一つになったのである。細かい粉と蒸気の窯という条件から生まれた一本のパンは、こうしてフランスの外へ出て、それぞれの土地の朝食になった。
各地への伝来 4
各地で食べ物として定着した時期の記録です。地域によっては、それに先立つ物理的な到来(観賞用など、食用より前の前史)が含まれることがあります。
- 1830〜1920頃 フランス 在来加工
- 1850〜1960頃 セネガル 植民地交易
- 1860頃 ベトナム 仏植民地交易
- 1863〜1900頃 カンボジア 仏植民地交易
バゲットの到来が成立を縛った料理 3
バゲットが届く前には成り立たなかった料理です。到来年が、その料理の物理的な下限になります。