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燒鴨 時期 C起源説 C検証済

確度は2軸: 時期=成立時期の固さ/起源説=発祥譚(説)の固さ(A〜Dの4段階・別々に持つ)。確度とは?→

暴かれた通説あり出典で反証された通説を抱える料理です(真の起源は未確定のことが多い)。

中国(広東・香港) ・ 鴨の炙り物は唐『寒山子詩集』の『炙鴨』に遡り、南宋『夢粱錄』(1274)には擬製の『小雞假炙鴨』まで現れる。『燒鴨』のレシピ初出級は明『竹嶼山房雜部』養生部(16世紀初)、明末『型世言』第26回に店売り惣菜として登場。広東での燒鴨を示す一次記録は『清稗類鈔』(1917)の『粵人製粥…燒鴨粥』。燒臘(焼味)店という商業業態としての成熟は清末民初の広州〜戦後香港 ・ 成立年代 1500–1917 ・ 主役食材 鴨肉

記章(DB由来の作図・装飾/監修・認証ではない)|起源説確度C・検証済C記章(DB由来の作図・装飾)

明清の文献に「燒鴨」の二文字は繰り返し現れる。だがその語は、北京の填鴨(いまの北京ダック)、江南の店売り惣菜、広東の吊るし焼きと別々の一皿に掛かっており、古い用例をそのまま広東の燒鴨の記録と読むことはできない。

検証ハイライト 俗説 → 判定 → 根拠

主な説
燒鴨(シウアップ)=アヒルを丸ごと吊るし炭火で炙り、麦芽糖の掛け汁で皮を飴色に仕上げる広東の焼き物。鴨の焼き物の系譜は中国で非常に長く、次の多層…
判定
諸説あり(対立説を併記)
主な根拠
支持宋詡『竹嶼山房雜部』養生部卷三(明・16世紀初/四庫全書本・維基文庫全文)「燒鵝〔三制、即鵝炙〕一用全體遍挼鹽酒縮砂仁花椒葱,架鍋中燒之,稍熟以香油漸澆,復燒黄香,一塗醬葱椒澆油燒,一塗之以蜜燒」/「燒鴨〔二制〕一用全體以熟油鹽少許遍沃之,腹填花椒葱,架鍋中燒熟…」/「炙鴨」=丸ごと架して焼き、油を掛け、蜜を塗って仕上げる現行の燒鵝・燒鴨技法を記す最古級のレシピ重み5 支持陸人龍『型世言』第二十六回(=『三刻拍案驚奇』第二十六回・明崇禎期/維基文庫全文)「姨娘因我是同來熟人,叫我到裡面,與我酒吃,現成下飯燒鴨、熩蹄子、湖頭鯽魚,倒也齊整」=明末の白話小説に見える『燒鴨』の用例。舞台は杭州(錢塘門外・湖頭)で、店で買える出来合いの惣菜として描かれる重み5

史料が示すこと: 複数の史料が、この通説支持しない(俗説として退けられる)。 なお「宮廷烤鴨南伝説と『燒鴨=北京ダック』の同名異物の混同(古文献の燒鴨をそのまま広東燒鴨の記録と読む誤り)」という通説一次史料・学術文献で退けられている。

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3ゲート

食材入手ゲート
鴨(アヒル)は中国在来の家禽、麦芽糖・醤油も在来。外来の律速食材はなく食材ゲートは成立年を縛らない
調理技術ゲート
叉や鉤で丸ごと吊るし炭火の炉(挂炉/明炉)で炙り、麦芽糖の掛け汁で皮を飴色に仕上げる。明『竹嶼山房雜部』養生部卷三に『燒鴨〔二制〕…全體を架鍋中に燒く』、清『隨園食單』(1792)に『燒鴨:用雛鴨上叉燒之』=叉焼きの技法が記録され、技術は近代を待たない
場ゲート
広州・香港の燒臘(焼味)店という商業業態。『清稗類鈔』(1917)が広東の燒鴨粥を挙げ、清末〜民国初の広東で燒鴨が日常的に流通していたことが分かる。律速はこの場(業態)

成立年代と食材入手ゲート

食材入手(544年・在地/到来)が律速=物理的な下限。成立年代の帯はそれ以降にある(場ゲートは年に乗らない構造ゲート)。

成立年代と成立ゲート成立 1500–1917食材入手・律速 544(在地/到来/醤油)4072054
  • 食材入手(流通/在地/加工の経路を内包)
  • 太線=律速(最も遅い=成立を縛る)
  • 細線=既に充足
  • 場ゲートは年に乗らない構造ゲート(図外)

起源説

諸説併記

唐代以来の炙鴨・明代の燒鴨レシピを受け継ぎ、広州の燒臘店業態に載って広東料理として定着した説 C

燒鴨(シウアップ)=アヒルを丸ごと吊るし炭火で炙り、麦芽糖の掛け汁で皮を飴色に仕上げる広東の焼き物。鴨の焼き物の系譜は中国で非常に長く、次の多層の文献初出が年代窓を締める。(1)唐『寒山子詩集』に『蒸豚揾蒜醬,炙鴨㸃椒鹽』=炙鴨が日常の食としてうたわれる。(2…続きを読む

燒鴨(シウアップ)=アヒルを丸ごと吊るし炭火で炙り、麦芽糖の掛け汁で皮を飴色に仕上げる広東の焼き物。鴨の焼き物の系譜は中国で非常に長く、次の多層の文献初出が年代窓を締める。(1)唐『寒山子詩集』に『蒸豚揾蒜醬,炙鴨㸃椒鹽』=炙鴨が日常の食としてうたわれる。(2)南宋『夢粱錄』卷十六(1274)は臨安の街売り食品に『熝鴨』『八糙鵝鴨』を挙げ、さらに『小雞假炙鴨』(鶏で作る炙鴨もどき)を載せる=擬製料理が作られるほど炙鴨が標準的な商品だった。(3)『燒鴨』の語のレシピ初出級は明・宋詡『竹嶼山房雜部』養生部卷三(16世紀初)の『燒鴨〔二制〕一用全體以熟油鹽少許遍沃之,腹填花椒葱,架鍋中燒熟…』で、同書は『炙鴨』も別項で立てる。(4)明末の白話小説『型世言』第26回(=『三刻拍案驚奇』第26回)に『現成下飯燒鴨』=店で買える出来合いの惣菜として登場する(舞台は杭州)。(5)清・袁枚『隨園食單』(1792)『燒鴨:用雛鴨上叉燒之』=叉に刺して焼く技法の明示。(6)広東での燒鴨を示す一次記録としては、民国初の『清稗類鈔』(1917)が『粵人製粥尤精,有曰滑肉雞粥、燒鴨粥、魚生肉粥者』と記し、燒鴨が広東で粥の具になるほど日常流通していたことが分かる。食材(鴨・麦芽糖・醤油)はすべて中国在来で外来食材の到来に縛られず、律速は店頭で吊るし焼きを回す商業業態=場ゲート。広東の料理としての成立は、親の焼味#1778と同じく順德→広州→香港と担い手が移った燒臘店業態の成熟(清末民初〜戦後香港)に置かれる。単一の発祥点を示す一次史料は無い。

反証

宮廷烤鴨南伝説と『燒鴨=北京ダック』の同名異物の混同(古文献の燒鴨をそのまま広東燒鴨の記録と読む誤り) D

『広東の燒鴨(および燒鵝)は南宋末に宮廷の御廚が南下して持ち込んだ烤鴨の技法に発する』とする通俗説と、その系として『明清の文献に燒鴨とあるのは広東燒鴨の記録だ』と読む扱い。だが史料はこれを支えない。(1)清代の文献に頻出する『燒鴨』の多くは京師(北京)・金陵(…続きを読む

『広東の燒鴨(および燒鵝)は南宋末に宮廷の御廚が南下して持ち込んだ烤鴨の技法に発する』とする通俗説と、その系として『明清の文献に燒鴨とあるのは広東燒鴨の記録だ』と読む扱い。だが史料はこれを支えない。(1)清代の文献に頻出する『燒鴨』の多くは京師(北京)・金陵(南京)の填鴨=現在の北京烤鴨を指す。『清稗類鈔』(1917)巻105「京師食品」条は『填鴨之法,南中不傳。其製法有湯鴨、爬鴨之別,而尤以燒鴨為最,以利刃割其皮,小如錢,而絕不黏肉』と京師の燒鴨を描く=北京ダック(DB内 #64)は清代には『燒鴨』と呼ばれていた。この填鴨の条に店名は出ない。便宜坊の名が現れるのは同条の次項=桶子雞(鶏)の記載『金陵有便宜坊桶子雞,京師米市胡同亦有之,雖與燒鴨並稱,而鴨則不如他肆,惟雞獨勝』であり、ここで称えられているのは便宜坊の鴨ではなく鶏である(鴨はむしろ他肆に及ばないと評される)。便宜坊の燒鴨そのものは同じ巻105の別条「京師宴會之肴饌」(光緒己丑・庚寅=1889〜90年頃の京官の宴)に『…致美齋之紅燒魚頭…,便宜坊之燒鴨,某回教館之羊肉,皆適口之品也』として挙がる。=填鴨(燒鴨)の描写・便宜坊の桶子雞・便宜坊の燒鴨は同巻の別々の条であり、ひとつづきの記載として読んではならない。同じ語が別系統の料理を指す同名異物であり、文献の『燒鴨』を無条件に広東燒鴨の記録と読むことはできない。(2)明末『型世言』第26回の『現成下飯燒鴨』も舞台は杭州(錢塘門外・湖頭)で江南の惣菜、袁枚『隨園食單』(1792)の『燒鴨』も江南の記述であって、いずれも広東の記録ではない。(3)南宋宮廷起源という筋立て自体、古井燒鵝の崖門御廚伝説(#2259 theory 参照)と同型の起源譚で、同時代史料の裏づけが確認できない。しかも鴨の焼き物は唐『寒山子詩集』の『炙鴨』以来、宮廷を経由せずとも中国各地に広く分布しており、広東の燒鴨を宮廷烤鴨の直系とみなす必然性がない。よって『宮廷烤鴨南伝=広東燒鴨の起源』はD=出典不明・単独説として隔離する。否定されるのは『広東燒鴨が北京・南京の烤鴨から直接派生した』という系譜主張であって、両者が吊るし焼き+皮を張らせる技法群を共有する近縁の別系統であること自体は否定しない(#64 北京ダックとは同名異物の関係)。

解説

鉤に掛かった一羽

広東や香港の燒臘店では、丸ごとの鴨が鉤に掛かって並んでいる。注文が入ると板前が一羽を下ろし、骨ごと叩き切って白飯の上に載せる。皮は飴色に張ってぱりぱりと薄く、その下の脂が甘辛い汁を吸う。これが燒鴨(シウアップ)で、同じ炉でガチョウを焼けば燒鵝、豚なら燒肉になる。

主役の鴨は中国で古くから飼われてきた家禽で、皮を飴色にする麦芽糖も、下味の醤油も、広東の市場に日々並ぶ素材である。腹に花椒や葱といった香りのものを詰め、叉や鉤で吊るし、炭火の炉で丸ごと炙り、麦芽糖を溶いた掛け汁を浴びせて皮を張らせる。

明代に書きとめられた焼き方

この焼き方は、広東の店が考え出したものではない。明の宋詡が編んだ『竹嶼山房雜部』養生部卷三(16世紀初)は「燒鴨〔二制〕」の項を立て、熱した油と塩を少しずつ全体にかけ、腹に花椒と葱を詰め、丸ごと架けて焼くやり方を記す。同じ書には別項で「炙鴨」も並ぶ。清・袁枚の『隨園食單』羽族單(1792)はさらに短く、「燒鴨:用雛鴨上叉燒之」——若い鴨を叉に刺して焼く、と書く。丸ごと架けて炙り、油や蜜を掛けて仕上げるという骨格は、この頃までに中国の料理書に収まっていた。

炉を構えた店の商品として

丸ごと一羽を吊るして炙るのは、炭火の炉を据えた店の仕事である。広東の燒鴨は、その炉を回す商いに載って広まった。清末から民国にかけての広州には、肉を吊るした店構えが並ぶ。同じ頃に嶺南の人々が香港へ渡り、そこでも店先で肉を吊るす商いが根づいて、戦後の香港では港式燒味と呼ばれる形に洗練されていく。

広東の燒鴨がはっきり姿を見せるのは、民国初の『清稗類鈔』飲食類(1917)である。「粵人製粥尤精,有曰滑肉雞粥、燒鴨粥、魚生肉粥者」——広東の人は粥がとりわけ上手で、滑肉雞粥、燒鴨粥、魚生肉粥がある。焼いた鴨が粥の具に落ちてくるのは、街のどこでも買える日常の惣菜になっていたということだ。同じ書は広州の酒楼の消夜(夜食)についても、「廣州酒樓之肴,有所謂消夜者,宜於小酌,一碗二碟……冷者為香腸、叉燒、白雞、燒鴨之類」と書き留める。冷たい皿として香腸・叉燒・白雞と並んで燒鴨が出てくる。一羽単位の焼き物が、叉燒などと組んで一揃いの品書きをなし、酒楼の卓にも上がっていた。

ただし、広州のどの店がこれを商いに仕立てたのか、いつ燒鴨が燒臘店の定番に加わったのかを記した記録には行き着かない。分かるのは、清末から戦後にかけての百年ほどのあいだに、この一羽が広東の日々の食になったということである。

検証ストーリー

広東の焼き物の由緒として、こんな筋がよく語られる。南宋の末、崖門の海戦に敗れて宮廷が崩れたとき、御廚(宮廷の料理人)が烤鴨の技を抱えて南へ落ち延び、その技が広東の燒鵝・燒鴨になった——広東省の公的な紹介ページにも、宮廷の料理人が娘を連れて銀洲湖の西岸へ逃れ、秘伝の焼き物で店を開いたという古井燒鵝の起源譚が載る。この筋立てには、もう一段の補強がつく。明清の文献を開けば「燒鴨」の二文字が繰り返し出てくる、それが広東の燒鴨の古さの証しだ、と。

ところが、その明清の「燒鴨」が指しているものを読むと、話は逆の方向へ行く。徐珂『清稗類鈔』飲食類(1917)巻105の「京師食品」の条は言う。「填鴨之法,南中不傳。其製法有湯鴨、爬鴨之別,而尤以燒鴨為最,以利刃割其皮,小如錢,而絕不黏肉」——アヒルに餌を詰めて太らせる填鴨の法は南方には伝わっていない、その調理には湯鴨・爬鴨の別があるが、なかでも燒鴨が最上で、鋭い刃で皮を銭ほどの大きさに削ぎ、肉はまったく付いてこない。皮だけを薄く削いで食べるこの一皿は、いまの北京ダックそのものである。つまり清代の「燒鴨」は、まず北京のこの一皿を指す語だった。しかも同じ本が、その填鴨の法は南に伝わらないと書いている。

北京の店の名も、同じ巻の別の条に出てくる。光緒己丑・庚寅(1889〜90年頃)の京官の宴で口に合った品を並べた「京師宴會之肴饌」の条は、「致美齋之紅燒魚頭……便宜坊之燒鴨,某回教館之羊肉,皆適口之品也」と記す。便宜坊の燒鴨も、やはり北京の店の品である。

北京だけではない。明末の白話小説『型世言』第二十六回に見える「現成下飯燒鴨」——酒の肴に出来合いの燒鴨が出てくる場面の舞台は杭州の錢塘門外であり、江南の惣菜である。『隨園食單』の燒鴨も江南の記述で、袁枚は杭州の燒鵝は生焼けで人に笑われると伝え、家の厨で焼いたほうがよいと続ける。同じ二文字が、北の填鴨と、江南の店売り惣菜と、広東の吊るし焼きの三方に掛かっていた。その語がどの一皿を指すかは、書かれた土地と場面で変わる。

宮廷から南へという筋のほうも、同時代の記録は見当たらない。加えて、鴨の炙り物が宮廷を通らずに広く行き渡っていたことは、はるかに古い時代から見てとれる。唐の『寒山子詩集』は「蒸豚揾蒜醬,炙鴨㸃椒鹽」とうたい、蒸した豚に大蒜の醬、炙った鴨に山椒塩という食べ方を日常の光景として詠む。南宋の臨安を店種ごとに書き並べた吳自牧『夢粱錄』卷十六(1274)には、街売りの品に「熝鴨」「八糙鵝鴨」が並び、さらに「小雞假炙鴨」——鶏で作る炙鴨もどき——まで載る。もどきが商品になるほど、炙鴨は都市の標準的な品だった。

残るのはこういう姿である。広東の燒鴨と北京ダックは、丸ごと吊るして炙り皮を張らせるという技の一族に属し、清代には同じ「燒鴨」の名で呼ばれていた。それでも、広東の燒鴨が北京や南京の烤鴨から直接分かれたと記す史料は無く、両者は同じ名を持つ別系統である。広東の燒鴨自身の足跡としてさかのぼれる最も古いものは、1917年の粥や消夜の卓に並ぶ姿にとどまり、誰がいつ最初の一羽を炉に吊るしたのかは分かっていない。

検証ログ 追記専用の監査証跡

日付結果確度主張 / 出典更新者
2026-08-01 支持 未入力→C polisher-1
2026-08-01 支持 C→C
親#1778の進捗メモに未達として残っていた明『型世言』第26回(燒鴨)の原文照合を解消: 同書の再編版『三刻拍案驚奇』第二十六回の維基文庫全文に『現成下飯燒鴨、熩蹄子、湖頭鯽魚』を確認。ただし舞台は杭州(錢塘門外・湖頭)で、広東の記録ではなく江南の店売り惣菜としての用例である
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2026-08-01 支持 C→C polisher-1
2026-08-01 反証 未入力→D
『燒鴨』は同名異物である: 清代の文献の『燒鴨』の多くは京師・金陵の填鴨=現在の北京ダック(#64)を指す。『清稗類鈔』巻105『填鴨之法,南中不傳…尤以燒鴨為最,以利刃割其皮,小如錢,而絕不黏肉』『金陵有便宜坊桶子雞,京師米市胡同亦有之,雖與燒鴨並稱…』。よって明清文献の『燒鴨』を無条件に広東燒鴨の記録と読むことはできず、『広東燒鴨=南宋宮廷烤鴨の南伝』という系譜主張も同名を根拠にする限り成立しない
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2026-08-01 支持 C→C
鴨の炙り物の系譜は宮廷を経由せず広く分布していた: 唐『寒山子詩集』『蒸豚揾蒜醬,炙鴨㸃椒鹽』、南宋『夢粱錄』卷十六(1274)の臨安の街売り食品に『熝鴨』『八糙鵝鴨』および擬製の『小雞假炙鴨』=もどき料理が作られるほど炙鴨が標準的な商品だった
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2026-08-06 反証 D→D
清代文献の『燒鴨』は京師の填鴨(現・北京ダック#64)を指す同名異物である。ただしその典拠は『清稗類鈔』巻105「京師食品」条の填鴨の記載であって、便宜坊の名が出る次項の桶子雞の記載ではない
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2026-08-06 支持 C→C
『清稗類鈔』巻105「小酌之消夜」条『廣州酒樓之肴,有所謂消夜者,宜於小酌,一碗二碟…冷者為香腸、叉燒、白雞、燒鴨之類』=清末〜民国初の広州の酒楼で燒鴨が消夜(夜食)の冷盤として日常的に供されていた
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構成素材

この料理を構成する素材の成立史へ。

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