ものがたり / 伝播紀行

三角の包み、七つの海へ ―― サンボサグが交易路と植民地の海路で分かれた、本家なき包みパイの一族

伝播紀行 登場する料理 5品

インドのサモサ、東アフリカのサンブサ、チュニジアのブリック、南米のエンパナーダ、スリランカのパティス。生地で具を包み、揚げるか焼くかしたこの軽食は、どれも土地の顔をして、行く先々で「うちが元祖」「うちの土着料理だ」という誇らしい起源話をまとってきた。だが、この一族に本家はいない。ペルシア語で「三角の包み」を意味する sanbosag という一つの言葉から、宮廷の厨房と交易路と植民地の海路の上で分かれていった、対等な姉妹たちの物語である。

西はアルゼンチンのパンパ、東はスリランカの茶店まで。練った生地で具を包み、三角に、あるいは半月に閉じて、油で揚げるか窯で焼く。仕上げは土地ごとに違っても、手のひらで生地を折り、餡を閉じ込めるしぐさはよく似ている。サモサ、サンブサ、ブリック、エンパナーダ、パティス。名前を並べるだけで、インド洋と地中海と大西洋が一続きに見えてくる。

この一族を結ぶ糸の一本は、名前そのものにある。ペルシア語の sanbosag は「三角の包み」を意味し、それがアラビア語で sanbusaj/sanbusak となった。サモサ、サンブサ、そしてアラビア語の sanbusaj——samb-/sanb- という音が、ペルシアから各地に散っている。この包み揚げが文献に現れるのは早い。9世紀のアッバース朝の詩人イスハーク・アル=マウスィリーは、詩のなかで sanbusaj を讃えた。10世紀のバグダードで編まれた、現存最古のアラビア料理書であるイブン・サイヤール・アル=ワッラークの『料理の書(キターブ・アル=タビーフ)』には、その調理法が載っている。11世紀のベイハキ『タリーフ・ベイハキ』にも sambosa の名が見える。もっとも、これらの記録が教えてくれるのは「遅くともその頃には存在した」という下限であって、生まれた瞬間ではない。

中世のイスラム世界で親しまれたこの包み揚げは、二つの別々の道で各地へ渡った。ひとつはデリー・スルタン朝の宮廷である。13世紀から14世紀、中央アジアや中東から来た料理人が宮廷の厨房に入り、この包み揚げを南アジアへ持ち込んだ。詩人アミール・フスローは1300年ごろのデリー宮廷で愛された samosa を書き留め、モロッコからの旅人イブン・バットゥータは14世紀、トゥグルク朝の宮廷で供された sambusak を記録している。もうひとつの道は、インド洋の交易路だ。アラブとインドの商人が、この包み揚げを東アフリカのスワヒリ海岸へ運んだ。ザンジバルへの最も確かな足取りは、ポルトガルからオマーンが島を奪い、インドとの交易が活発になった1651年以降にたどれる。サモサとサンブサは、どちらかがもう一方の親なのではない。同じペルシアの祖から、別々の道で分かれた対等な姉妹である。

西と南では、少し系図が込み入る。チュニジアのブリックは、この sanbusaj の直系というより、その従兄弟にあたる。トルコのボレク——極薄の生地で包む一族——が、オスマン帝国の北アフリカ支配とともに地中海沿岸を西へ進み、マグリブで在地化したものだ。ブリックの名も、マグリブ・アラビア語の bourek を経てオスマン語の börek にさかのぼる。直接の祖は sanbusaj の本流とは別の枝でも、薄い生地で包んで火を通すという広い伝統は分かち合っている。大西洋の向こう、アルゼンチンのエンパナーダは、また違う入り方をした。empanada という名は「パンで包む」を意味するラテン語 panis に根ざす、在来のロマンス語の言葉だ。だが、折り込み生地で具を包む形そのものは、ペルシアや中東の sanbusaj に連なるムーア料理が、アル=アンダルス(イスラム治下のスペイン)を経てイベリアに定着したものだという見方がある。ガリシアはそれを整理して自分の料理にした一段、というわけだ。この包みパイが入植とともに新大陸へ渡り、ラプラタの平原で牛肉を詰める地方料理になった。旧大陸の小麦と牛が船で海を越えて、この一皿はようやく成り立った。

スリランカのパティスは、系図の末端でいちばん解きほぐしにくい。半月形に成形して揚げるこの軽食は、しばしば「魚のエンパナーダ」と呼ばれ、魚とジャガイモを詰めた姿は、ポルトガルの干鱈コロッケ、ボリーニョの面影を宿す。ポルトガルがセイロンを治めた16世紀から17世紀に持ち込まれた包み揚げの在地化とも、後にイギリスがもたらした肉入りペイストリーの系譜とも、オランダのコロッケ文化の影響とも語られ、祖をひとつに絞りきれない。詰め物のジャガイモにいたっては、新大陸の作物である。ポルトガルの船が17世紀の初めに南アジアへ運んでくるまで、この島にジャガイモは無かった。今のパティスの中身は、大西洋を越えてきた新参の芋があって、はじめて整ったものだ。

これだけ広く渡ったから、兄弟たちの顔つきは驚くほど違う。北インドのサモサは三角に折って揚げ、今ではスパイスの効いたジャガイモを詰めた菜食版が国民食の顔をしている——もっとも、そのジャガイモも新大陸から17世紀以降に伝わった新しい具で、本来の中身は挽き肉だった。東アフリカのサンブサは、ピラウの香辛料やベルベレといった土地の香りをまとい、ラマダンの定番になった。チュニジアのブリックは生地を紙のように薄く延ばし、正三角形に固く折って、真ん中に卵を丸ごと落として揚げる「ブリック・ア・ルフ」を編み出した。エンパナーダは半月に閉じて縁を編み、窯で焼くことも油で揚げることもある。スリランカのパティスは半月形の揚げ包みで、街角のショートイーツ(軽食)として茶店に並ぶ。どれかが正統で、他が崩れた変種なのではない。土地ごとの火加減と、手に入る具と香りが、それぞれの指紋を刻んだのだ。

これだけ愛された一族だから、行く先々で「これはうちの土地が生んだ」という誇らしい起源話が芽生えた。そしてその多くは、料理を土着の古い発明に結びつけようとする物語である。

インドでは、サモサをインド生まれの土着料理とみる見方が根強い。だが、その名はペルシア語の sanbosag であり、最も古い文献記録は11世紀のベイハキや10世紀のアラビア料理書に、南アジアより西で現れる。宮廷にこれを持ち込んだのも、中央アジアや中東の料理人だった。インド在来の発明を裏づける古い史料は見あたらない。同じことが東アフリカでも言われ、サンブサを土地の独立した発明とする話があるが、語源も文献初出も伝来の経路も、いずれもペルシア・中東からインド洋を越えてきたことを指している。

アルゼンチンのエンパナーダには、「7世紀の西ゴート時代のガリシアで、エンパナーダ作りの決まりが布告された」という由緒ありげな起源話がついてまわる。しかし、その根拠となる7世紀の史料は示されたためしがなく、empanada の語が文献に現れる最も古い例は、アルフォンソ10世の『聖母マリア頌歌集』(1282年ごろ)にある empãada の一語で、主張される年より600年ほども新しい。しばしば持ち出されるサンティアゴ大聖堂の12世紀の彫像も、7世紀の布告を裏づけるものではない。

一方で、俗説がまるで見あたらない兄弟もいる。チュニジアのブリックには、王や女王が発明したという類の作り話が存在しない。競い合う説はどれも、オスマンのボレクが西へ伝わったとする見方か、ジェルバ島のユダヤ系住民のもとで卵入りが育ったとする見方で、いずれも食物史の真っ当な仮説だ。「ブリックは英語の brick(煉瓦)から来た」という語呂合わせだけは俗な語源だが、この名はボレクの語根、「ねじる・折り重ねる」を意味するテュルク語にさかのぼり、煉瓦とは関わりがない。スリランカのパティスにいたっては、そもそも祖をひとつに定められない。ポルトガルか、イギリスか、オランダか——複数の植民地の包みパイが重なり合った末に、この半月形が生まれている。

こうして並べてみると、本家を一つに決めようとするほど、証拠はいくつもの土地へ散っていくのがわかる。生地で具を包んで火にかけるという一つの発想が、ペルシアの厨房から宮廷の食卓へ、インド洋と地中海の交易路へ、そして植民地の海路へと運ばれ、それぞれの土地の火と具のなかで、三角にも半月にも、揚げ物にも焼き物にも姿を変えた。sanbosag という一つの言葉を分かち合いながら、どれもが対等な姉妹である。祖の座を争う物語よりも、一つの包みのしぐさが海を越えて五つの違う顔になっていった道筋のほうが、ずっと確かで、ずっと面白い。

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