ものがたり / 伝播紀行

アラビア半島の炊き込み米 ―― 交易の米が育て、太古の由緒を着せられた四つの兄弟

伝播紀行 登場する料理 4品

アラビア半島の炊き込み米飯——サウジのカブサ、湾岸のマチブース、イエメンのマンディとマズビー——は、砂漠と港のあいだで、それぞれの火の技によって別々の顔になった兄弟である。どれも「古代から、イスラム以前から続く」と誇られてきた。だが主役の米はこの半島の在来ではなく、インド洋の帆船が運んできた外来の穀物だった。米が海を渡って届いたあとにしか、この一族は生まれようがない。

アラビア半島には、羊や鶏を米とともに大皿で炊き上げ、香辛料で染めた炊き込み米飯が、土地ごとに別々の名で並んでいる。サウジのカブサ、湾岸のマチブース、イエメンのマンディとマズビー——輪郭はよく似ているのに、炊き方も呼び名も違う。どれが本家でもなく、それぞれの土地の火の使い方が、同じ材料から別々の一皿を育てた。

南の端、イエメン南部のハドラマウトでは、火は地の底にある。マンディは、地面に掘った土窯(タンヌール)に薪炭を熾し、香辛料をまとった肉を吊るして、その真下で米を炊き込む。上から滴る肉の脂と煙が米に移り、しっとりと仕上がる。料理名は「露」を意味するアラビア語 nada に結びつけられ、この湿った食感を映すという。地中に肉を吊るして蒸し焼きにする技法は古く、十三世紀のアレッポの料理書『Kitab al-Wusla ila l-habib』(チャールズ・ペリー英訳、二〇一七年)には、地下窯で羊を焼く調理がすでに記されている。この地下窯の火加減こそが、マンディという一皿の背骨になっている。同じハドラマウトには、その姉妹にあたるマズビーがいる。こちらは灼熱の平石の上で若鶏を焼き、香ばしい燻香をまとわせる。地中で蒸すマンディと、石の上で焼くマズビー——同じ土地の兄弟が、蒸しと焼きの一点で枝分かれした。

半島の東、ペルシア湾に面した砂漠と港町では、火は一つの鍋に集まる。サウジのカブサは、米と肉、混合香辛料(バハラート)を一つの鍋に詰めて一気に炊き上げる。料理名は「押し込む・圧縮する」を意味するアラビア語の語根 k-b-s に由来し、一鍋に材料を詰めて炊く調理そのものを指している。湾岸のバーレーンやクウェートでは、これをマチブースと呼ぶ。名は別物に見えて、じつはカブサと同じ k-b-s の語根で、受動分詞 makbūs が湾岸方言の音変化(kaf→ch)を経て mačbūs になったものだ。湾岸版らしさは、ローミと呼ばれる乾燥黒ライムの酸味にある。ペルシア湾やオマーンで採れるこの保存食材が、同じ炊き込み米飯を湾岸の味へと染め分けた。真珠採りで栄えた港の富がインド洋の香辛料交易を支え、米とスパイスが船で運び込まれたことが、この鍋料理の背景にある。

この一族には、どこの土地でも同じ誇りの物語がまとわりついている。飲食店やレシピサイトは、カブサもマンディもマズビーも「古代から、イスラム以前の太古から続く」と語る。だが、その物語は米の来歴と噛み合わない。米はアラビア半島の在来作物ではなく、インド洋の交易でもたらされた外来の穀物だった。イエメンでの稲作を最初に書き留めたのは、十世紀の地理学者アル=ハムダーニーの『Sifat jazirat al-Arab(アラビア半島の記述)』で、その栽培の始まりは早くても西暦九五〇年ごろ(幅をとっても六〇〇〜一〇〇〇年)にすぎない。しかも現存する最古のアラビア語料理書——十世紀イブン・サイヤール・アル=ワッラークの『Kitab al-Tabikh』、一二二六年アル=バグダーディー、十三世紀アンダルシアの料理書——のどこにも、カブサやマチブース、マンディの名を持つレシピは見当たらない。食物史の研究に照らせば、米を欠かせないこれらの料理が文献に姿を現すのはずっと後のことで、「古代」や「イスラム以前」に遡らせる根拠はない。地中や石の上で肉を焼くという技法のジャンルそのものが古いことは否定されない。それでも、米入りの現行の一皿は、米が海を渡って半島に根づいたあとにしか成り立たない。

もう一つ、カブサには由緒をめぐる別の作り話がある。「カブサはスペインのパエリアに着想を得た料理だ」という俗説だ。しかしこれは二重に成り立たない。まず時代が合わない。料理としての「パエリア」という名が現れるのは十八世紀前半のカタルーニャ語写本(ジュゼップ・オリの記録)で、現行の形はさらに新しい十九世紀半ばのアルブフェラ湖畔の農民食であり、名は鍋を意味するラテン語 patella に由来する。カブサの古層より数世紀も新しく、その源になりようがない。そして伝わった向きが逆である。米も米料理も、アラブ世界からイベリア半島(アル=アンダルス)へ渡った側であって、イベリアからアラビア半島へ戻った連続性を示す史料はない。パエリアの語源をたどった食物史の研究(コロミネスら)に照らせば、この着想説は成り立たない。

四つの米飯は、証明された一本の祖から枝分かれした、とまでは言えない。湾岸のカブサがイエメンのマンディに着想を得たという見方はあるが、それは系統的な近さを思わせるだけで、確かな史料に裏づけられてはいない。確実に言えるのは、カブサとマチブースが同じ語根と鍋を分け合う姉妹であり、マンディとマズビーが蒸しと焼きで分かれた姉妹だということ、そして四つがともに、インド洋の交易が運んできた同じ穀物の上に立っているということだ。「古代」や「イスラム以前」という古びた衣を脱がせても、この一族の値打ちは減らない。海を渡ってきた一粒の米が、砂漠と港のそれぞれの火に出会って、別々の名の一皿になった——それがこの炊き込み米飯たちの、本当の年齢の物語である。

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