もつ煮は、豚のもつを味噌や醤油で長く煮込んだ居酒屋や食堂の定番である。いま見つかっている早い記録は、明治の東京で夜の屋台が労働者に売った牛の臓物の煮込みで、豚のもつに替わり、味噌で煮るようになった時期はまだ分かっていない。
3ゲート
- 食材入手ゲート
- 獣の臓物(明治の東京の記録では屠牛場から買い出した牛の臓物、1958年の献立書では豚のもつ)と、味噌や醤油
- 調理技術ゲート
- 臓物を長く煮込む(特別な道具は要らない)
- 場ゲート
- 明治・大正の東京では夜の屋台と一膳飯屋。いまは居酒屋の定番で、家庭でも作り、レトルトや缶詰でも売られる
成立年代と成立ゲート
主役食材(豚モツ)は在来で、到来による制約がない。下限の縦線は無く、帯は成立年代を示す。
検証メモ: 記録に残る早い姿は、明治の東京で夜の屋台が売った『煮込』で、1893年の松原岩五郎『最暗黒之東京』は、屠牛場から買い出した牛の臓腑・肝・膀胱・舌筋などを煮込んだ労働者の滋養食だと書く。1913年の雑誌『サンデー』も夜の屋台に『牛煮込み屋』を数え、1936年の随筆『一昔二昔前』は、樽の腰掛を並べた一膳飯屋の肴として『牛肉のもつの煮込』を回想している。『もつ煮込』の名は1934年の学校給食の献立に『牛もつ煮込』として見え、豚のもつの煮込みは1958年の家庭向け献立書に出る。牛から豚へ、また味噌で煮る形へ、いつ移ったかはまだ分からない。いまも食べられている根拠として、株式会社丸善は2023年の発表で『もつ煮込』などのレトルト煮込類を40年以上製造してきたと書いている。
起源説
未確定
★主 明治の東京で労働者に売られた臓物の煮込みにさかのぼる B
1893年刊の松原岩五郎『最暗黒之東京』が、東京の夜の屋台の品として『煮込』を挙げ、屠牛場の臓腑・肝・膀胱・舌筋などを買い出して煮込んだ労働者の滋養食だと記す。1913年の雑誌『サンデー』も夜の屋台に『牛煮込み屋』を数え、1936年の随筆『一昔二昔前』は一膳飯屋の肴として『牛肉のもつの煮込』を回想する。記録に残る早い姿は牛の臓物で、豚のもつの煮込みの名が見えるのは1958年の家庭向け献立書。牛から豚へいつ移ったか、味噌で煮る形がいつ定まったかは、この記録からは決められない。明治より前に臓物を煮込んで売っていたかどうかも調べが届いていない。
- 支持 松原岩五郎(乾坤一布衣)『最暗黒之東京』民友社、1893年(明治26年)11月刊(国立国会図書館デジタルコレクション、インターネット公開、コマ73) 重み5
- 支持 笹岡末吉『一昔二昔前 随筆』古今書院、1936年(昭和11年)刊(国立国会図書館デジタルコレクション、図書館・個人送信、コマ26) 重み5
- 支持 日原仁六『学校給食の実際 附・一年間の献立カロリー換算表』日本社会医学社、1934年(昭和9年)刊(国立国会図書館デジタルコレクション、図書館・個人送信、コマ88) 重み5
- 支持 森本喜代『家庭栄養献立365日』第一出版、1958年刊(国立国会図書館デジタルコレクション、図書館・個人送信、コマ181) 重み5
- 支持 『サンデー』サンデー社、1913年12月(国立国会図書館デジタルコレクション、館内限定、コマ48) 重み5
- 言及 篠田鉱造 編『明治百話』四條書房、1931年(昭和6年)刊(国立国会図書館デジタルコレクション、図書館・個人送信、コマ232) 重み5
- 言及 坪井正五郎『工商技芸看板考』1887年(明治20年)刊(国立国会図書館デジタルコレクション、インターネット公開、コマ8) 重み5
- 言及 株式会社丸善「旨みとろける牛すじ煮込み こってり味噌」新発売の発表(PR TIMES 配信、リセマム掲載、2023年8月4日) 重み2
安い豚の白もの(腸や胃)を味噌や醤油で煮て、下町の大衆酒場のつまみとして定着した C
2019年の PRESIDENT Online の記事で、筆者が、消化器系の白ものは比較的安く手に入り、みそやしょうゆで煮込んだ品が安くて栄養価の高いつまみとしてヒットしたのではないかと推測している。記事は推測として書いており、史料を挙げていない。酒場の肴として煮込みが出ていたことは1936年の随筆にも見えるが、そこで煮ていたのは牛のもつで、豚の白ものを味噌で煮る形がいつ酒場に広まったかを示す記録はまだ見つかっていない。
解説
もつ煮は、豚の腸や胃などの臓物(もつ)を、味噌や醤油で長く煮込んだ料理で、もつ煮込みとも呼ばれる。臓物を鍋でじっくり煮込めばよく、特別な道具は要らない。いまも各地の店や家庭で食べられている。食品会社の丸善は2023年の発表で、「もつ煮込」などのレトルトの煮込みを40年以上つくってきたと書いている。
臓物の煮込みが記録に早く現れるのは、明治半ばの東京の夜の屋台である。1893年に出た松原岩五郎の『最暗黒之東京』は、東京の下層の暮らしを見て回った記録で、屋台の品に「煮込」を挙げ、これは労働者の滋養食で、種は屠牛場から買い出した牛の臓腑や肝、膀胱、舌の筋などだと書いている。牛を解体する屠牛場から出る臓物を屋台が買って煮込み、夜の町で売る商いが、明治半ばの東京にはできていた。
大正から昭和の初めにかけても、牛の臓物の煮込みは庶民の外食の品だった。1913年の雑誌『サンデー』は、夜の屋台の商売として牛めし屋と並べて「牛煮込み屋」を数え、同じ記事に浅草の停車場の車溜まりの男が客として出てくる。1936年の随筆『一昔二昔前』は、樽の腰掛を並べた一膳飯屋の肴として「牛肉のもつの煮込」を思い出し、今のバーの前身と見ればよいと書いている。安い店で酒と一緒に出る品になっていたことがうかがえる。「もつ煮込」という呼び名も、1934年の学校給食の献立に「牛もつ煮込」として見える。
豚のもつの煮込みの名は、1958年の家庭向けの献立書『家庭栄養献立365日』に、夕食の献立の「豚もつ煮込み」として見える。国立国会図書館のデジタルコレクションで本文を検索できる範囲では、これが豚のもつの煮込みの早い用例である。ここまでの記録からは、煮る臓物が牛から豚へ替わった時期も、味噌で煮る形が定まった時期も決められない。1893年と1913年の記録は東京の暮らしを書いたものだが、東京で始まったとも、ほかの土地に無かったとも言っていない。献立書のほうは土地を書いていない。そのため、生まれた土地は日本とまでしか言えない。
検証ストーリー
下町の酒場には、なぜどこにももつ煮があるのか。2019年にウェブの雑誌に載った記事はそう問い、腸や胃のような白もの(消化器の臓物)は比較的安く手に入り、それを味噌や醤油で煮込んだ品が、安くて栄養のあるつまみとして受けたのではないか、と書いた。筆者自身が推測として述べたもので、史料は挙げていない。
酒場の肴としての煮込みは、たしかに戦前の随筆にも出てくる。1936年の『一昔二昔前』が思い出す一膳飯屋では、樽に腰掛けて「牛肉のもつの煮込」を肴に飲んでいた。ただ、そこで煮ていたのは牛のもつで、豚の白ものを味噌で煮る形がいつ酒場に広まったかを示す記録は、まだ見つかっていない。安い白ものを味噌で煮て酒場のつまみになったという話は、いまのところ推測の域を出ない。
時代をさかのぼると、「牛の煮込」という品の名は、1881年の本にすでに出てくる。1887年の坪井正五郎『工商技芸看板考』は、東京の牛肉店の元祖が明治維新のころに品川で牛の煮込を始めたという話を雑誌から引いているが、これは牛鍋を出す牛肉店の系譜の話で、臓物とは書いていない。国立国会図書館のデジタルコレクションで本文を検索できる範囲では、臓物を煮込んだとはっきり書く記録は、1893年の『最暗黒之東京』が早い。屠牛場の臓腑や肝を買い出して煮込み、夜の屋台で労働者に売ったという記述である。
明治より前、江戸のころに獣の臓物を煮込んで売る店があったかどうかは、まだ分かっていない。もつ煮の姿をいまたどれるのは、明治の東京の夜の屋台で労働者が食べた牛の臓物の煮込みまでである。
検証ログ 追記専用の監査証跡
| 日付 | 結果 | 確度 | 主張 / 出典 | 更新者 |
|---|---|---|---|---|
| 2026-10-31 | 支持 | D→B |
1893年刊の『最暗黒之東京』に、東京の夜の屋台の品として『煮込』が出て、屠牛場の臓物を煮込んだ労働者の滋養食と説明されている。臓物の煮込みが明治中期の東京で屋台の売り物だったことの、いま見つけている最も早い記録(文献初出の上限=遅くとも1893年)
|
研磨係 |
| 2026-10-31 | 支持 | B→B |
1913年の雑誌『サンデー』が、夜の屋台の食べ物商売として牛めし屋と並べて『牛煮込み屋』を挙げる=大正初めの東京でも牛の煮込みの屋台が続いていた
|
研磨係 |
| 2026-10-31 | 支持 | B→B |
1936年の随筆『一昔二昔前』が、樽の腰掛を並べた一膳飯屋の肴として『牛肉のもつの煮込』を回想し、今のバーの前身と見ればよいと書く=もつの煮込みが酒を飲ませる安い店の肴だった
|
研磨係 |
| 2026-10-31 | 支持 | B→B |
1934年の学校給食の献立表に『牛もつ煮込』が出る=『もつ煮込』の名で呼ばれる品が昭和初めにあった(名の早い用例)
|
研磨係 |
| 2026-10-31 | 支持 | B→B |
1958年の家庭向け献立書に『豚もつ煮込み』が出る=豚のもつを煮込む品が戦後の家庭献立に入っていた。いま見つけている豚の用例で最も早い
|
研磨係 |
| 2026-10-31 | 不明 | C→C |
大衆酒場で安い豚の白ものを味噌や醤油で煮たつまみが受けたという説明は、2019年の雑誌記事で筆者自身が推測として書いたもので、史料の裏づけを伴わない。酒場の肴としての煮込みは1936年の随筆にも見えるが、そこで煮ていたのは牛のもつで、豚の白ものの味噌煮が酒場に広まった時期を示す記録は見つかっていない
|
研磨係 |
| 2026-10-31 | 不明 | B→B |
地域の確認: 日本のまま。いま見つけている早い記録(1893年『最暗黒之東京』・1913年『サンデー』)は東京の屋台を書いているが、どちらも東京の下層の暮らしを見て回った記録で、ほかの土地に無かったことも、東京で始まったことも言っていない。1934年・1958年の献立書は土地を言っていない。今は群馬など各地で食べられており、成立の土地を東京と言える出典は無い
|
研磨係 |
| 2026-10-31 | 支持 | B→B |
1913年『サンデー』の牛煮込み屋の記事が東京の話である根拠: 同じコマに、屋台に来る客として浅草停車場の車溜りの男が出てくる
|
研磨係 |
| 2026-10-31 | 不明 | B→B |
『牛の煮込』という品は1893年より前の明治の本にも出るが、どれも臓物とは書いていない。1887年の坪井正五郎『工商技芸看板考』は、東京の牛肉店の元祖が御一新のころ品川で牛の煮込を始めたという話を雑誌から引いており、これは牛肉店(牛鍋)の系譜の話である。臓物を煮込んだ品だと書く記録は、いま見つけている範囲では1893年の『最暗黒之東京』まで下る
|
研磨係 |
構成素材
この料理を構成する素材の成立史へ。「成立史は準備中」の素材はまだページがありません。
- 素材豚モツ成立史は準備中
- 素材味噌成立史は準備中