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枝豆豆腐 時期 C起源説 B検証済

確度は2軸: 時期=成立時期の固さ/起源説=発祥譚(説)の固さ(A〜Dの4段階・別々に持つ)。確度とは?→

日本 ・ 遅くとも文政5年(1822)までに日本で(始まりは未特定) ・ 成立年代 〜1822 ・ 主役食材 枝豆

記章(DB由来の作図・装飾/監修・認証ではない)|起源説確度B・検証済B記章(DB由来の作図・装飾)

枝豆をすりつぶし、葛と煮て固める枝豆豆腐は、遅くとも文政5年(1822)には、江戸の料理屋八百善の主人による料理書『料理通』初編に、胡麻豆腐と同じ作り方の一品として名が載っていた。誰が始めたのかは分からないが、およそ百年後の大正・昭和の家庭料理書には、薄い葛あんをかけた椀物や茶碗物として作り方が書かれている。

3ゲート

食材入手ゲート
枝豆と葛(1822年『料理通』初編は胡麻豆腐と同じ仕方とし、その胡麻豆腐は胡麻一升に葛五合・水二升の割合。1914年『新式和洋家庭料理』は摺った枝豆一合ほどに葛六勺・水一合と、あとから水一合)
調理技術ゲート
枝豆を摺り、葛と水を加えて鍋で煮詰め、型に流したり布巾に包んだりして冷まして固め、切る(胡麻豆腐と同じ仕方)
場ゲート
江戸の料理屋八百善の主人の料理書『料理通』初編(1822年)に載り、大正・昭和の家庭料理書では薄葛をかけた椀物や茶碗物として作り方が載る

成立年代と成立ゲート

主役食材は在来で、到来による制約がない。下限の縦線は無く、帯は成立年代を示す。

成立年代と成立ゲート成立 〜182218061830

検証メモ: 枝豆をすりつぶし、葛と煮て固めた、胡麻豆腐と同じ仕立ての豆腐。遅くとも文政5年(1822)刊の八百善『料理通』初編に、胡麻豆腐の作り方に続けて「枝豆とうふ仕様同断」と載る。大正・昭和の家庭料理書には、薄葛をかけた椀物や茶碗物として作り方が載る。

起源説

未確定

★主 遅くとも文政5年(1822)刊の八百善『料理通』初編に、胡麻豆腐と同じ仕方の「枝豆とうふ」として載っていた(始まりは未特定) B

江戸の料理屋八百善の主人による『料理通』初編は、刊記に文政5年(1822)2月とある。その「胡麻豆腐の傳」は、煎って摺った白胡麻一升に葛五合・水二升ほどを加えて鍋でよく煮詰め、布を敷いた切溜の蓋に流して冷まして切ると書き、続けて「胡桃豆腐仕様同断」「枝豆とうふ仕様同断」と記す。枝豆豆腐は胡麻豆腐と同じ仕方で作るものとして、名前だけが挙がる。頁の画像で確かめた最も古い例はこれで、誰がいつ作り始めたかは分からない。大正3年(1914)の赤堀峯吉・菊子『新式和洋家庭料理』は目次に「枝豆豆腐落くず」を挙げ、本文「枝豆とうふ薄葛」で、茹でた枝豆を摺って葛と水を加え、裏漉しして火にかけ、葛に火が通るまで煮て布巾に包み水で冷やす作り方を書く。

解説

葛と煮て冷やし固める

枝豆豆腐は、茹でた枝豆をすりつぶし、葛粉と水を加えて鍋で煮詰め、冷まして固めたものを切り分ける一品である。大正14年(1925)の惣菜料理の本は、煮上がったものを流し箱や角形の器に流し入れておけば「豆腐の樣に固まります」と書いている。

江戸の料理書では、枝豆豆腐は胡麻豆腐と同じ仕方で作るものとされた。文政5年(1822)の『料理通』初編が書く胡麻豆腐は、皮をむいて焙烙で煎り、すり鉢でよくすった白胡麻一升に、葛五合と水二升ほどを加えて鍋でよく煮詰め、布を敷いた切溜(きりだめ)という箱の蓋に流し、しばらく冷ましてから切る。火加減は口伝とある。枝豆で作るときの分量は書かれていない。

大正3年(1914)の赤堀峯吉・菊子『新式和洋家庭料理』になると、枝豆での手順が細かく書かれる。茹でて莢から出した枝豆を一合ほどすり鉢でよくすり、葛六勺と水一合を加えてすり混ぜ、裏漉しを通して鍋へ移す。そこへさらに水一合を足して火にかけ、杓子で絶えずかき混ぜながら葛に火が通るまで煮る。煮えたものは濡れ布巾に取って四角に包み、そのまま水に入れて冷やす。箱に流すか布巾に包むかの違いはあっても、すって、葛と煮て、冷やして固める順序は江戸の胡麻豆腐の仕方と同じである。

料理屋の本から家庭の献立へ

江戸の料理屋の本に胡麻豆腐の仲間として載った枝豆豆腐は、大正から昭和の初めの家庭向けの料理書では、薄い葛あんをかけた椀物や、茶碗で固める茶碗物として出てくる。赤堀の本は「枝豆とうふ薄葛」と題し、大正14年の惣菜料理の本は「枝豆豆腐、薄あんかけ、わさび」として、材料に味醂・醬油・煮出汁を並べる。昭和2年(1927)に日本放送協会東海支部が編んだ『季節のお料理』は、六月の部に「枝豆豆腐の茶碗物と薄葛すり山葵」を置く。こちらは寒天を煮溶かして漉した鍋に、水で溶いた葛粉を入れて一度煮立て、裏漉しした枝豆を混ぜてから、茶呑み茶碗五つに分けて冷やし固める。寒天が加わるところが、赤堀の本の作り方とは違っている。

検証ストーリー

江戸の料理屋八百善の主人による料理書『料理通』初編は、刊記に文政5年(1822)2月とある。その「胡麻豆腐の傳」は、胡麻豆腐の作り方を書き終えたところに、短い条を二つ添えている。「一胡桃豆腐仕様同断」「一枝豆とうふ仕様同断」。胡桃の豆腐も枝豆の豆腐も、胡麻豆腐と同じ仕方で作る、という意味である。胡麻豆腐の条のなかで、枝豆豆腐に触れるのはこの一行だけである。

一行から読み取れることは限られる。文政5年の江戸の料理書に枝豆とうふという名の料理が載っていたこと、そしてそれが胡麻豆腐と同じく、すって葛と煮詰め、流して冷まし、切るものとされていたことである。枝豆豆腐の名を記録としてさかのぼれるのは、いまのところこの一行までで、いつ、誰の手で枝豆がこの仕方で固められるようになったのかは分かっていない。

この条は、大正2年(1913)に神宮司庁が刊行した『古事類苑』の飲食部にも、『江戸流行料理通大全』初編の名で活字になって収められている。豆腐を扱う項のなかで、胡麻豆腐の作り方とともに、枝豆とうふの一行もそのまま引かれた。

その翌年、大正3年(1914)の赤堀峯吉・菊子『新式和洋家庭料理』は、目次に「枝豆豆腐落くず」を掲げ、本文の「枝豆とうふ薄葛」で、枝豆をどれだけすり、葛と水をどれだけ合わせ、どう煮て冷やすかまでを書いた。江戸の本が胡麻豆腐の仕方に預けて省いた手順が、ここでは枝豆の料理として一つずつ書かれている。大正14年(1925)や昭和2年(1927)の料理書にも、枝豆豆腐は同じ名で載る。文政5年に胡麻豆腐の条の末尾に一行だけ名を挙げられた料理は、百年ほどのちには、献立の一品として作り方ごと家庭の料理書に収まっていた。

検証ログ 追記専用の監査証跡

日付結果確度主張 / 出典更新者
2026-10-09 支持 —→—
「枝豆豆腐・薄あんかけ・わさび」が1925年の史料に現れる
研磨係
2026-10-10 支持 C→B
文政5年(1822)刊の八百善主人『料理通』初編の「胡麻豆腐の傳」に続けて「枝豆とうふ仕様同断」とある。枝豆豆腐は、胡麻豆腐と同じく、摺った材料に葛と水を加えて煮詰め、流して冷まして切るものとして名が挙がる。頁の画像で確かめた最も古い例で、この料理の上限(遅くともこの年まで)を1822年に置く。始まりは分からない
研磨係
2026-10-10 支持 B→B
大正3年(1914)の赤堀峯吉・菊子『新式和洋家庭料理』の目次に料理名「枝豆豆腐落くず」が載り、本文に「枝豆とうふ薄葛」として作り方が書かれる。目次に料理名として載るので、名前のある料理として立てた
研磨係
2026-10-10 支持 B→B
同じ本の本文「枝豆とうふ薄葛」は、茹でた枝豆を摺って葛と水を加え、裏漉しして火にかけ、葛に火が通るまで煮て、濡れ布巾に包んで水で冷やす。1822年の『料理通』が胡麻豆腐と同じ仕方とした作り方と、摺る・葛と煮る・冷やして固めるところが重なる
研磨係
2026-10-10 支持 B→B

🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ)

昭和2年(1927)の日本放送協会東海支部編『季節のお料理』六月の部に「枝豆豆腐の茶碗物と薄葛すり山葵」がある。摺って裏漉しした枝豆を、寒天を煮溶かして葛粉を溶き入れた鍋に入れて煮、茶碗に分けて冷やし固める。寒天が加わる点は1914年の作り方と違うが、同じ呼び名で枝豆と葛を煮て固める
研磨係
2026-10-10 支持 B→B
昭和2年(1927)の日本放送協会東海支部編『季節のお料理』六月の部に「枝豆豆腐の茶碗物と薄葛すり山葵」がある。寒天を煮溶かして漉した鍋に、水で溶いた葛粉を入れて一度煮立て、裏漉しにかけた枝豆を入れてかき回し、茶碗に分けて冷やし固める。寒天が加わる点は1914年の作り方と違うが、同じ呼び名で枝豆と葛を煮て固める。前の記録の逐語は、途中の文を省いたのに省略の印を付けていなかったので、頁の画像で読み直して全文で引き直した
研磨係

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構成素材

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