ものがたり / 食材前夜

豆は古く、料理は若い ―― 古代のひよこ豆に投影された、フムスとファラフェルの創られた由緒

食材前夜 登場する料理 4品

ひよこ豆は、人類がいちばん古くから育ててきた豆のひとつである。だからだろうか、この豆で作る料理には、いつも「古代から続く一皿」という由緒がついてまわる。フムスはファラオの時代から、ファラフェルはコプト教徒が発明し、チャナマサラはムガル宮廷の味——そう語られる。だが食物史家がたどると、どれもずっと若い。古いのは豆のほうで、料理はみな後世に生まれた。どの国の料理かをめぐる争いは、いわば、誰のものでもない皿の取り合いなのである。

まず、豆のほうから見ていこう。ひよこ豆は旧世界の在来作物で、古代から地中海一帯と西アジアの食卓にあった、いちばん古い栽培豆のひとつである。南アジアでも古く、インダス文明の遺跡カリバンガンからは紀元前二千五百年ごろのひよこ豆が出ている(考古植物学者ドリアン・フラーらの調査)。古代ローマの料理書『デ・レ・コクィナリア』——アピキウスの名で伝わる本にも、キケル(cicer=ひよこ豆)を塩やクミンで煮たり揚げたりするレシピが四つ載る。つまり豆そのものは、疑いようもなく古い。問題は、その古さが料理の古さと取り違えられるところにある。豆を潰したり煮たりする素朴な手わざは、あまりに当たり前で、いつでもどこでも思いつかれた。だから豆の由緒を料理の由緒にすり替えれば、どんな一皿も好きなだけ古く、好きなだけ由緒ありげになれてしまう。

第一幕は、フムスである。すりつぶしたひよこ豆にゴマのペースト(タヒニ)を練り込んだ冷たいディップ——この現行形に近い確かな記録は、中世のレバントとエジプトに現れる。十三世紀シリアのアレッポで編まれた料理書『香りと味わい(キターブ・アル=ウスラ)』には、酢と塩漬けレモンで和えたひよこ豆料理があり、十四世紀カイロの『恵みの宝庫(カンズ・アル=ファワーイド)』には、ひよこ豆を煮て潰すタヒニ和え himmas kasa が十一種類も並ぶ。これらは、食物史家チャールズ・ペリーとナワル・ナスララーがそれぞれ校訂した一次史料である。ただし、中世の記録はどれもニンニクを欠き、いまのフムスとは味つけが違う。しかも、とナスララーは指摘する——十四世紀を最後にフムスの記録はいったん途絶え、ニンニクとレモンとタヒニのそろった現行の標準形が文献にそろって再登場するのは、一八八五年のレバノン料理書(ハリール・サルキース)なのだ。八百年、六百年をさかのぼるどころか、いまの姿はたかだか十九世紀末に確かめられる。

「フムスは古代エジプトから」「サラディンが考案した」——そんな話は今も根強い。だが、それを支える同時代の記録は見当たらない。古代ローマのアピキウスはひよこ豆を煮て食べたが、そのコーパスにはゴマもタヒニも一度も出てこず、豆を潰してタヒニと乳化させたペーストの記録は皆無である。豆は古代にあった。フムスは、なかった。近年のレバノン・イスラエル・パレスチナが「わが国の国民食」と所有権を競い、世界最大のフムス皿でギネス記録を奪い合う——けれど、どの国家の帰属主張も、発祥の史料にはならない。学者たちの合意は、そっけないほど正直だ。「冷たいすりつぶしひよこ豆とタヒニの料理は十三〜十四世紀のレバントとエジプトに現れるが、著者も発祥地も発祥年も、史料では特定できない」。俗説は退くが、真の起源は開いたまま——それがフムスの正体である。

第二幕は、ファラフェルとターメイヤ。揚げた豆団子のこの一皿にも、「コプト教徒が四旬節の肉断ちの代わりに考えた」という起源譚がついてまわる。しかしこれを支える史料はなく、言語の上でも根拠がない。オックスフォード英語辞典によれば、falafel の語はコプト語ではなく、アラビア語の filfil(胡椒)にさかのぼる。コプト語「食べもの」由来という説は、後付けの民間語源にすぎない。ではもとの姿は何か。多くの食物史家——ギル・マークスやクラウディア・ローデンら——は、エジプトのソラ豆製の揚げ団子ターメイヤが古く、それがレバントへ伝わる途中でひよこ豆に置き換わってファラフェルになった、とみる。おもしろいのはここだ。ひよこ豆料理の顔ともいえるファラフェルは、そのそもそもの姿ではひよこ豆ですらなく、ソラ豆だった。ひよこ豆版は、あとから来た新顔なのである。そして揚げ団子の現行形が文献に確かに現れるのも、やはり新しい。エジプトでは英国占領後の十九世紀、英語での初出は一九三六年の記録にとどまる。ここでもまた、イスラエルとパレスチナがファラフェルの帰属を争っているが、争われている料理そのものは、思いのほか若い。

第三幕は、はるか東の北インド、チャナマサラである。トマトと唐辛子のきいた濃いソースでひよこ豆を煮込むこの料理も、「古代インド以来」「ムガル宮廷の味」と紹介されることが多い。だが、いまのチャナマサラを決めているトマトと唐辛子は新大陸の食材で、ポルトガル船が十六世紀にインドへ運んでから後にしか、この赤い姿にはなれなかった。だから古代やムガル前期に現行形があったとするのは、時代が合わない。食物史家リジー・コリンガムらが確かめるとおり、古い料理書が記すのは、トマトも唐辛子もない別の料理——在来の香辛料でひよこ豆を煮た、もっと素朴な古層のほうである。じつはそちらは本当に古い。十五世紀末マンドゥの『歓びの書(ニーマトナーマ)』は、黒胡椒やアサフェティダでひよこ豆を煮る作り方を、十六世紀末ムガルの『アイーニ・アクバリー』も豆の調理を記録している。ひよこ豆はインダス文明以来インドの在来作物で、それを香辛料で煮る古い層は確かにさかのぼれる。けれど、その古い層と、赤いソースの現行チャナマサラは別物だ。ジャンルの古さと、いま食べる一皿の成立年を混ぜてはいけない——これが、この一族に共通する落とし穴である。

三つの幕を貫くのは、ひとつの錯覚だ。豆が古いから、料理も古いはずだ、という思い込み。ひよこ豆は確かに、人類が最も早く手なずけた豆のひとつで、古代からずっと私たちの食卓にあった。だがフムスも、ファラフェルも、チャナマサラも、その古い豆から、ずっと後の世に、それぞれの土地で生まれた。古い由緒を求める気持ちが、豆の年齢を料理の年齢に貸し与えてきた。国民食の所有権を競う声が大きいほど、証拠はいくつもの土地と時代に散っていく。確かなのは、ひよこ豆が古いこと、そしてそれを煮て潰して揚げるという素朴な手わざが古いこと、ただそれだけである。皿の上の由緒は、豆の由緒ではない。

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