食材から辿る / 在来
マカロニ 素材 時期 C検証済
マカロニが、いつ・どこで食べ物として成立し、各地へどう伝わったかをまとめています。 原産地での成立を3ゲート(食材入手・調理技術・場)で示し、その後の各地への到来を記録でたどります。
3ゲート
- 食材入手ゲート
- デュラム小麦(硬質小麦)の栽培・製粉でセモリナを得る(地中海)
- 調理技術ゲート
- セモリナを練り成形し乾燥させる乾麺製法(アラビア語 itriyya 由来の乾燥パスタ技術がシチリアに定着)
- 場ゲート
- シチリアの製麺業=輸出産業として成立(在来・加工成立と同年)
マカロニはどこから広がったか
マカロニは、デュラム小麦のセモリナを練って成形し、乾かした麺である。乾かした麺は水分をほとんど失っているので常温で年を越し、船に積んでも傷まない。この保存が利くという性質が、麺を台所の産物から商品に変えた。
材料の側にも条件がある。粒の硬いデュラム小麦を粗く挽いたセモリナは、水だけで練っても腰が出て、乾かしても割れにくい。地中海の乾いた気候はこの小麦に適し、同時に、成形した麺を屋外で干すのにも向いていた。
シチリアの製麺業
乾麺の技術がヨーロッパの記録に確かな姿で現れるのは、12世紀のシチリアである。1154年、地理学者アル=イドリーシーは、島の北岸トラビアの一帯でイトリーヤ——アラビア語で紐状の乾麺を指す語——が大量に作られ、カラブリアをはじめムスリムとキリスト教徒の双方の土地へ船で送り出されていると書きとめた。この記述の時点で、製麺はすでに輸出をまかなう産業として動いている。書きとめられたのは始まりの年ではなく、確立した姿のほうだった。
港を越えて
乾麺は港づたいに運ばれていった。北アメリカには18世紀の後半、イタリアからの輸入品として届き、1769年ごろにはすでに知られていた。当時のマカロニは海を渡ってくる高価な品で、現地で作る型が持ち込まれるのはその後になる。エジプトなど中東・北アフリカの都市に工業製品としてのマカロニが入るのは19世紀の後半、1850年から1900年ごろのことである。この地では、輸入されたマカロニが米と豆を組み合わせる在来の食べ方のなかに取り込まれていった。乾かして硬くするという一手間が、小麦の麺を海を渡る積荷にしたのである。
各地への伝来 3
各地で食べ物として定着した時期の記録です。地域によっては、それに先立つ物理的な到来(観賞用など、食用より前の前史)が含まれることがあります。
- 1154頃 シチリア 在来加工
- 1769〜1789頃 米国 植民地交易
- 1850〜1900頃 中東・北アフリカ 植民地交易流通
マカロニの到来が成立を縛った料理 2
マカロニが届く前には成り立たなかった料理です。到来年が、その料理の物理的な下限になります。
- マカロニアンドチーズ 米国1769年ごろ
- コシャリ エジプト1850年ごろ
マカロニを使う料理 1
- パスティチオ ギリシャ1910年ごろ