ものがたり / 食材前夜
搗き和えは古く、青パパイヤは新しい ―― ソムタムとタムマークフン、対等な姉妹に着せられた太古の由緒
イサーンとラオスを代表する青パパイヤ和え、ソムタムとタムマークフンは、太古から続く土地の味と思われがちだ。だが主役の青パパイヤは新大陸生まれで、この和え物が今の姿になったのは交易でパパイヤが渡ってきた後のこと。古いのは臼で搗き和えるという作法のほうで、料理そのものは思うほど古くない。
ラオスと、隣接するタイ東北部イサーンの食卓には、臼(クロック)で素材を搗き和える和え物の伝統が古くからある。ラオ語ではこの搗き和え全般をタムソムと呼び、青マンゴーを和えたタム・マーク・ムアング、キュウリのタム・マーク・テーング、未熟のサントルを使うタム・クラトンなど、青パパイヤを使わない品目が今も各地に残る。酸味のある未熟の果実や野菜を、魚醤や唐辛子とともに臼で搗いて和える――この作法そのものは、土地に根づいた古い日々の惣菜だった。
その臼に、あるとき新しい青い実が加わる。パパイヤは中南米原産で、大航海時代の交易網に乗って東南アジアへ渡ってきた。フランス王ルイ十四世がシャムに送った使節シモン・ド・ラ・ルベールは、『シャム王国誌』(A New Historical Relation of the Kingdom of Siam, 1693年)に、パパイヤがシャムで広く栽培されていたと書き残している。十七世紀の末には、この果実はすでに現地の畑になじんでいた。硬い未熟の青パパイヤを細く削り、臼で搗いて酸味と辛みをまとわせる――古くからの搗き和えの作法に外来の実が収まって、今日ソムタム/タムマークフンと呼ぶ姿ができあがっていく。
タイ側では青パパイヤ和えをソムタム(『搗いた酸味』の意)、ラオス側ではタムマークフン(『搗いたパパイヤ』の意)と呼ぶ。二つは、ともに青パパイヤを臼で搗き和える、事実上同じ料理である。イサーンの住民の多くはラオ系で、両者の間に文化の境目はほとんどない。文献に姿を見せるのも近代に入ってからで、ラオ側では戦争の人質としてバンコクに暮らしたラオ王族の食として一八六九年の紀行詩『ニラート・ワング・バーン・イー・カン』に、タイ側では一九二九年の印刷本『タムラー・クラープ・ローク』のソムタム・ママラコー(som tam mamalakor)にそれぞれ現れる。もっとも、文献に初めて載った年は、その料理が生まれた年ではない。
ソムタムやタムマークフンには、『太古から変わらぬ土地の料理』という由緒が語られがちだ。屋台に並ぶありふれた惣菜でありながら、どこか土着の古さをまとって見える。だがこの『太古の由緒』は、料理の歴史と食材の歴史を取り違えている。
食物史の研究――スプリンガー社の学術誌『Journal of Ethnic Foods』(2023) や歴史家スチット・ウォンテートの論考――は、この一皿を二つの層に分けて読む。臼で未熟の果実や野菜を搗き和えるタムソムというジャンルは確かに古い。だが主役の青パパイヤは新大陸の作物で、ラ・ルベールが書き留めた十七世紀末より前に、東南アジアの畑にはなかった。だから青パパイヤを使う今日の形は、それより後にしかありえない。古くからある搗き和えの伝統に、後から外来の実を当てはめたものだ、というのが定説である。この古くからの搗き和え(タムソム)は、青パパイヤを使う現行の形とは別の、より古い層として区別される。
もう一つ、決着しない論点がある。青パパイヤ和えの本家はラオスか、それともタイ中部か、という問いだ。ラオ族が国民食タムマークフンとして生み出し、ラオ系住民の多いイサーン経由でタイへ広まったとする説が有力視される一方、タイ中部で成立したとみる説もある。欧州探検家の記録を分析したカリスの研究(ノースカロライナ州立大学、2005)も、パパイヤと唐辛子がこの地域に根づいた時期を裏づけるが、どちらが先かまでは決めない。史料は先後を確定せず、二つは祖と派生ではなく、先後の定まらない対等な姉妹として並ぶ。太古の由緒でも、どちらかの本家争いでもなく、新大陸の実を迎え入れた一つの搗き和えが、国境の両側で兄弟の名を持った――それがこの料理の素直な来歴である。