ものがたり / 伝播紀行
巻いて包む一族 ―― 立春の春の巻き物が海を渡り、揚げと生に分かれたベトナムの兄弟
中国の春巻きは、もとをたどれば立春に春の若菜を包んで食べる古い習俗に行き着く。この「巻いて食べる」作法が海路でベトナムへ渡り、そこで在来の米粉の皮に受け止められて、油で揚げるチャーゾーと、生のまま巻くゴイクオンという二つの兄弟に枝分かれした。どちらのベトナム春巻にも英雄王が戦場で発明したという物語がまとわりつくが、その逸話を支える同時代の記録は見当たらない。
立春の巻き物という古層
中国の春巻きの根には、立春に春の到来を食べる古い習わしがある。晋の周處『風土記』が記す五辛盤は、辛みのある若菜を盛り合わせた春の膳で、唐代にはこれが春盤と呼ばれ、詩人・杜甫もその名に触れている。生の若菜を薄い皮で巻いて食べる形が整い、元代の家庭百科『居家必用事類全集』には、巻いたものを油で揚げる卷煎餅の製法が料理書として書きとめられた。「春卷」という名前そのものが定着するのは、さらに下って清代のことである。
だから、特定の王朝や特定の一年に「春巻きが発明された」と言い切る話は成り立たない。文献にその料理名が最初に現れる年は、「遅くともその頃には存在した」ことを示すだけで、その年に生まれたという意味ではない。晋の五辛盤から唐の春盤、元の揚げる製法へと、生野菜の巻き物は何世紀もかけて姿を変え続けた。単一の発祥地・発祥年に縮められるものではなく、後の広東式(揚げて点心とする系統)と上海式のように、土地ごとに具と皮と火の入れ方が分かれていく多系統の食べ物である。
米の皮に置き換わったベトナム
東南アジアへ渡った揚げ春巻きの直接の母型は、主に南方(広東系)の油で揚げる系統だった。それがベトナムに根づくとき、小麦の薄皮はベトナム在来の米粉のライスペーパー(バインチャン)に置き換わった。バインチャンは中部のビンディン省を発祥地とし、住民の南下とともに南方へ広まったと伝えられる。中国由来の「具を皮で巻く」という発想が、この土地で挽いて漉した米の皮と出会ったことが、ベトナム固有の春巻を生んだ。呼び名も土地で分かれ、北部でネムザン、中部でチャーラム、南部でチャーゾーと呼ばれる。
同じ米の皮を土台にしながら、ベトナムの巻き物は火の入れ方で二つに分かれた。ひとつは、皮で巻いてこんがりと油で揚げるチャーゾー。もうひとつは、水で戻したライスペーパーで、エビや豚肉、生野菜、米麺を生のまま巻くゴイクオンである。南部の温暖な気候のもと、火を通さずに新鮮な素材を巻く軽食としてゴイクオンは定着した。揚げるチャーゾーと生のゴイクオンは、どちらが先でどちらが親ということはなく、調理法の一点で袂を分かった対等な姉妹にあたる。
英雄王の発明譚をめぐって
この二つのベトナム春巻には、勇ましい起源伝説が繰り返し着せられてきた。西山朝の英雄クアンチュン帝(阮惠)が行軍のさなか、兵が交代で休む合間に食べられる冷たい携行食として考案した――という筋書きが、観光サイトやブログで広く語られる。一方で、阮朝の宮廷が王室の宴のために生み出した珍味だ、という筋書きもある。だが二つの物語は、大衆の行軍食と宮廷の珍味という正反対の出自を主張して互いに食い違い、どちらも独立した同時代の記録や学術的な裏づけを欠く。食物史の側から見れば、特定の英雄や特定の王朝に発明を帰す、後付けの起源譚の典型である。ライスペーパーの皮づくりが南へ広まった時期がたまたま18世紀の西山期と重なることが、行軍食の逸話を後から呼び込んだのかもしれないが、それは皮が広まった話であって、料理そのものの発明を語る証しにはならない。
文献の上で、揚げ春巻きのチャーゾー(chả giò)が最初に確かな姿で現れるのは、1914年にサイゴンで刊行されたクオックグー(ローマ字表記ベトナム語)の料理書『Sách dạy nấu ăn theo phép An Nam』(レー・フー・コン著)である。ここには「豚の揚げ春巻き(chả giò heo)」がはっきり記されている。名を持つ料理としての確かな出発点はこの一冊にあり、それより古い発明伝説を裏づける同時代の史料は、いまのところ見つかっていない。生春巻ゴイクオンにいたっては、料理名を最初に書きとめた一次史料そのものが未発見で、いつ生まれたかは史料の上ではなお開かれたままである。
一本の習俗から分かれた兄弟
立春に春を包んで食べるという一本の古い習俗から、皮の素材と火の入れ方が土地ごとに変わって、この一族は広がっていった。中国で生野菜の巻き物が揚げ物へと育ち、それが海を渡って米の皮に受け止められ、ベトナムで揚げと生の兄弟に分かれる。英雄の発明譚ではなく、皮と火をめぐる小さな選択の積み重ねが、この巻き物の一族をかたちづくってきた。