食材から辿る / 在来
粕酢(赤酢) 素材 時期 C検証済
粕酢(赤酢)が、いつ・どこで食べ物として成立し、各地へどう伝わったかをまとめています。 原産地での成立を3つの成立条件(食材・調理技術・場)で示し、その後の各地への到来を記録でたどります。
江戸後期。年代の確かな手がかりは文化元年(1804)=尾張半田の初代中野又左衛門が分家・創業して粕酢の製造を事業化し、江戸の早ずし向けに知多の廻船で送り出した年。1845年ごろに上等粕酢『三ツ判山吹』が完成して様式が固まる。ただし酒粕から酢を造る技法自体は、清酒の粕が大量に出る近世の副産物利用として先行し(ミツカン社史も創業前に『酒造業のかたわら粕酢の製造をはじめていた』と記す)、発明年は特定できない=1804は事業化・流通開始の下限であって発明年ではない
3つの成立条件
- 食材の条件
- 原料の酒粕は清酒醸造の副産物で在来(外来食材の律速なし)。律速は原料を得る経路のうち加工と原料の潤沢化で、(1)熟成させた酒粕を出発点に酢酸発酵させる粕酢醸造の確立と、(2)近世に清酒生産が大量化して酒粕が安価に大量供給されるようになったこと。尾張半田の酒造家は自家の酒粕を転用でき、1804年に中野又左衛門が事業化した(日本での粕酢の成立は1804年。在来の原料を加工して得る)
- 調理技術の条件
- 数年寝かせて褐色化した熟成酒粕に水を加えて仕込み、酢酸菌の膜(種酢)で発酵させて濾過する。米を糖化・アルコール発酵から起こす米酢と違い、発酵の済んだ酒粕を出発点にできるため原料費・工程が安く、赤褐色(『赤酢』の名の由来)と粕由来の甘み・旨みが出る
- 場の条件
- 担い手は知多半島・半田の酒造/醸造家(中野家=現ミツカン)。生産は産地の醸造蔵、消費地は江戸で、酒の海運ルート(尾州廻船)に乗せて大量に江戸へ送られ、屋台・寿司屋の酢飯として大衆に行き渡った。高価な米酢を使う上層向けだった早ずしを安価化した点が普及史の要。原産地では醸造
各地への伝来 2
各地で食べ物として定着した時期の記録です。地域によっては、それに先立つ物理的な到来(観賞用など、食用より前の前史)が含まれることがあります。
- 1804頃 日本 在来加工
- 1804頃 江戸 国内普及流通
粕酢(赤酢)の到来が成立を縛った料理 1
粕酢(赤酢)が届く前には成り立たなかった料理です。到来年が、その料理の成り立ちうる最も早い年になります。
- にぎり寿司 江戸1804年ごろ
粕酢(赤酢)を使う料理 1
- マグロの握り寿司 日本1830年ごろ