ものがたり / 伝播紀行

豚のすねを名に負う一族 ―― 塩漬けと炙りに分かれた、本家なき中欧の兄弟たち

伝播紀行 登場する料理 3品

ポーランドのゴロンカ、北ドイツのアイスバイン、南ドイツのシュヴァイネハクセ。どれも豚のすね肉を塩漬けにして、じっくり火を通した中欧の居酒屋名物だ。「ポーランドはこれをドイツから受け取った」という伝播の筋書きが語られてきたが、その一方向の伝来を支える独立した史料は見当たらない。本家をひとつに定めることはできず、これらは祖の座を争わない、対等な同祖姉妹である。

中欧の居酒屋やビアホールには、骨付きの大きな肉の塊が皿からはみ出す料理がある。ポーランドではゴロンカ、北ドイツのベルリンではアイスバイン、南ドイツのバイエルンではシュヴァイネハクセと呼ばれる。呼び名も仕上げも違うが、使う部位は同じ——豚の後脚のすね、膝の関節まわりの肉である。安くて筋が多く、そのままでは硬いこの部位を、塩と時間で食べごろに変えるという発想が、三つの土地に共通している。

豚は中欧に古くから根づいた家畜で、すね肉は一頭をさばけば必ず出る部位だった。高価な背やもも肉と違い、脚の先の硬い肉は安く手に入る。それを捨てずに塩漬けにして、長い時間をかけて煮るか焼くかすれば、こわばった筋がほどけて柔らかくなり、骨からうまみがにじむ。特別な材料は要らず、農家や居酒屋の台所にあるもので作れた。だからこの一族には、どこかの宮廷で誰かが発明したという瞬間がない。安い部位を無駄なく食べきる庶民の知恵として、あちこちで静かに育っていった。

同じすね肉が、火と水の扱いで別々の顔になる。北ドイツのアイスバインは、軽く塩漬け(ブライン)にしてから長い時間ゆでる。ほろりと崩れる柔らかな肉に、ベルリンでは豌豆を煮つぶした粥を添える。南ドイツのシュヴァイネハクセは、皮をつけたままローストして、表面をパリッと香ばしい殻(クルステ)に仕上げる。ポーランドのゴロンカは、しばしばビールで煮込んだり焼いたりして、マジョラムやキャラウェイ、ニンニクで香りをつける。ゆでるか、炙るか——分かれ道はこの一点にあり、どれかが正しくて他が崩れた形だというのではない。土地ごとの火加減と手に入る香りが、それぞれの指紋を刻んだのである。

面白いことに、三つの名はどれも、英雄でも古い王朝でもなく、脚の部位そのものを指している。ポーランドのゴロンカは goleń(脛)に小さいものを表す語尾がついた形で、スラヴ祖語の *golěnь(骨だけになった脛)に遡る。バイエルンのシュヴァイネハクセの Haxe は、古高ドイツ語の hāhsina(足の腱)から中高ドイツ語の hahse(後脚の膝関節)へと続く、やはり解剖学の言葉だ。屠った獣を後脚の腱で吊るした、その腱の名にほかならない。アイスバインだけは少し込み入っていて、狩人や医師が使った古語 īsbēn がギリシャ語の ischíon(座骨)に由来するという説と、豚の管状の骨を氷上を滑る道具=原初のスケートの刃に用いたことにちなむ「氷の骨」説とがある。ドイツ語の語源辞典はこの氷の骨説を主説に挙げるが、後から音の連想で作られた民間語源だという批判も根強い。いずれにせよ、これらの名が語るのは手柄話ではなく、脚のどのあたりの肉かということだ。

これほど似た料理が国境をまたいで並ぶと、「どこかが本家で、そこから広まった」という物語が生まれやすい。ゴロンカについては、「もともとドイツの料理で、ポーランドがそれを取り入れた」という伝播の筋書きが食の読み物に流布してきた。だが、この一方向の伝来を裏づける独立した史料は見当たらない。ゴロンカという名はポーランド在来のスラヴ語で説明がつき、ドイツ語から借りた跡はない。同じ豚すね料理が北ドイツにも南ドイツにもチェコにも並んでいるのは、どこか一国が発明して配って回ったからではなく、中欧のどこでも同じ在来の豚と同じ安い部位が手に入り、余さず食べきる同じ知恵が別々に同じ答えへたどり着いたからだと見るほうが、証拠に合っている。英語圏の百科事典も、これらをよく似た料理として並べて記すだけで、伝わった向きを主張しない。

起源をめぐる取り違えは、名前と年代の両方にまとわりつく。ゴロンカの名を「むき出しの(goła)」から来たと説く語源が食ブログに広まっているが、言語学の裏づけは部位名の goleń のほうにあり、むき出し説は音の似た言葉に引かれた民間語源にすぎない。年代についても混同が起きやすい。シュヴァイネハクセという語が印刷物に現れる確かな最古の例は、一八七一年にバイエルンで出た市民向けの料理書だが、そこでの使われ方は煮込みに一緒にゆでる材料としての言及であって、いま名物として知られる皮をパリッと焼いた姿を記したものではない。料理名が文献に載った年は、遅くともその頃には存在したという下限を教えるだけで、いまの形が生まれた瞬間ではない。ビアホールやオクトーバーフェストの見せ場としてのロースト豚すねが定着したのは、都市が大きくなり居酒屋文化が花開いた十九世紀の末のことだった。ポーランドのゴロンカが料理書に初めて現れるのも、一六八二年に出たポーランド最初の料理書で、名門の宮廷というより庶民の食卓から立ち上がってきた道筋が見える。

豚の硬いすね肉を捨てずに食べきるというひとつの知恵が、北で塩漬けのゆで肉になり、南で皮を炙ったローストになり、東でビール煮込みになった。名前はどれも脚の部位そのものを指し、誰かの手柄を語らない。祖の座を争う物語よりも、同じ在来の家畜と同じ安い部位から、火と水の扱いの違いだけで三つの顔が生まれていった道筋のほうが、ずっと確かで、この一族の姿によく似合っている。

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