ものがたり / 伝播紀行
押し出す発酵米麺の姉妹 ―― メコンのカオプンとノムバンチョックに着せられた、英雄伝説とアンコールの古さ
ラオスのカオプンとカンボジアのノムバンチョックは、発酵させた米を細い型から押し出して作る生米麺を分け合う姉妹である。この麺は東南アジア大陸部に広く分布するモン起源の一族の一員で、それぞれの土地で、ラオスはココナッツのカレー汁に、カンボジアは川魚のカレー出汁に受け止められ、別々の一皿になった。カンボジア側には英雄学者トゥンチェイが中国で売り歩いたという伝説や、アンコールの彫刻を根拠に千年の古さを説く話がまとわりつく。だが食物史がたどり直すと、そのどちらも料理の成立年代を語る証拠にはならない。
押し出す米麺という一族
メコン圏を旅すると、よく似た細い白い麺に何度も出会う。タイのカノムチーン、ベトナムのブン、ラオスのカオプン、カンボジアのノムバンチョック——名前も土地も違うのに、麺そのものはひとつの技法を分け合っている。米を水に浸して乳酸発酵させ、練った生地を穴あきの型から湯の中へじかに押し出し、そのまま茹で上げる。この押し出し式の生米麺が、一族を束ねる背骨である。
この製麺法は、東南アジア大陸部に古くから根づくモン系の加工技術に遡るとされる。ドヴァーラヴァティー期の文化圏を担ったモン人の手から広がった土着の技で、タイ名カノムチーンの「チン」はモン語の hanom cin、すなわち「茹でる・煮る」といった調理の工程を指す語に由来する。汁を支える淡水魚も、ラオス側で汁に溶かすココナッツも、麺の米も、いずれもこの地に根づいた古い素材である。そしてこの一族を束ねているのは、発酵させた米を型から押し出して麺にする、手のかかる製麺の技そのものだった。
カオプンとノムバンチョックは、どちらかが本家でどちらかが分家という間柄ではない。共通の押し出し米麺の伝統から、隣り合うメコンの二つの土地でそれぞれに育った対等な姉妹である。片方の汁はココナッツで甘くまろやかに、もう片方の汁は発酵させた川魚で濃く香り、同じ麺がまったく違う顔を見せる。
ラオス――カオプン
ラオスのカオプンは、細い米麺に、ココナッツミルクを溶いたカレー状のスープをかけ、鶏や魚、たっぷりの生野菜と香草を添えて食べる。汁をまろやかにするココナッツミルクと、そこに広がるカレー風味は、ラン・サーン王国の時代にインド化の波——十四世紀のクメール経由とも、より早い時期の仏僧の往来とも言われる——に乗って伝わった調理の系譜に連なる。在来の押し出し米麺が、この外来のカレー汁に受け止められて、いまのカオプンの形になった。
この麺料理は、フランスが到来する十九世紀より前から、すでに市場で売られる日常の食べ物だった。文献の上では、ルアンパバーンの王宮に仕えた料理人ピア・シン(一八九八年頃〜一九六七年)が自筆のノートにいくつものカオプンを書き留めており、これを食物史家アラン・デイヴィッドソンらが校訂して一九八一年に刊行している。祝祭や結婚式、寺院の行事で客をもてなす一皿から、やがて日々の食卓へと下りてきた麺である。
カンボジア――ノムバンチョック
カンボジアのノムバンチョックは、同じ押し出し米麺に、レモングラスやウコンを効かせたクメール風のカレー出汁をかける。出汁の芯にあるのは川魚で、メコン流域の淡水魚も、それを発酵させた調味料プラホックも、この土地に古くからある素材である。朝食の汁麺として親しまれ、祭礼や婚礼の席にも欠かせない。
文献に名前が確かに現れる最も古い記録は、一九六五年に編まれた王室の料理書にある num banhchok samlor makod あたりまでしか遡れない。ただしこれは「遅くともその頃には存在した」ことを示すだけで、その年に生まれたという意味ではない。押し出し米麺は書物より先に、口づてに受け継がれてきた庶民の技であり、文献の初出と料理の成立は別の出来事である。
トゥンチェイの伝説とアンコールの彫刻
ノムバンチョックには、古さと由緒を語る二つの物語がまとわりついている。ひとつは英雄学者トゥンチェイの伝説だ。王の怒りを買って中国へ追放されたトゥンチェイが、生計を立てるためにノムバンチョックを売り歩き、その評判はやがて中国皇帝の耳にまで届いた——という筋書きである。この話は料理がクメール人にとってどれほど大切かをよく物語るが、検証できる年代を何も持たない。史実の説明ではなく、料理に寄り添う民話として区別すべきものである。
もうひとつは、もっと古い時代へ料理を引き上げようとする話だ。アンコール・ワットの浮彫に米麺が描かれているとして、ノムバンチョックはアンコール期(九〜十五世紀)にまで遡る、という主張がそれである。旅行案内などで繰り返し語られるが、根拠は浮彫の不特定の食事や調理の場面を拡大解釈したものにすぎない。米麺だと同定できる図像も、浸水・製粉・発酵・押し出しという製麺の工程を示す考古遺物も見つかっていない。東南アジアの発酵食を論じたスーリャ(二〇二四年、Journal of Ethnic Foods)らの検討は、この彫刻を根拠とするアンコール期起源を退けている。押し出し米麺というジャンルそのものが古いことは誰も否定しないが、アンコール期という特定の年代に物証で結びつける主張だけは、支えを欠いたまま宙に浮いている。
「中国から来た麺」という誤解
一族の名前もまた、由来をめぐる誤解を生んできた。タイ名カノムチーンの「チン」が中国を指す語に見えることから、この麺は中国から伝わったのだ、という説が根強い。ミシュランガイドや学者ククリット・プラーモートの研究が示すように、この「チン」は中国とは関係がなく、実際にはモン語の調理工程を指す語であって、名前を手がかりに中国起源を導くのは俗な語源説である。押し出し米麺の技はモン系の在地の伝統に根ざしている。
もっとも、タイ系の諸族が華南からメコン圏へ南下してきたこと自体は史実であり、その移動の途上で製麺の技が運ばれた、あるいは交易路の中国商人が伝えた、という可能性まで消えるわけではない。名前という一番目立つ手がかりが俗語源だったというだけで、伝播経路の一つの仮説としては、在地のモン起源説と並べて残しておくべきものである。カオプンとノムバンチョックは、その残された問いを共有したまま、メコンの両岸で今日も別々の汁とともに供され続けている。