ものがたり / 伝播紀行

双子の修道女伝説 ―― メキシコのモレに着せられた創られた由緒と、その底に眠る先住民ソースの古層

伝播紀行 登場する料理 2品

メキシコの祝祭を彩るモレ。その濃厚なソースは、プエブラの修道院で修道女がとっさに考え出したと語り継がれてきた。だが食物史家は、その発明譚を史料の裏づけを欠く後世の作り話とみている。本当に古いのは先住民の唐辛子ソース(モリ)のほうで、シナモンやアーモンドを溶かし込んだ複合的なモレは、旧大陸の香辛料が届いてはじめて姿をとった植民地期の料理だった。そしてモレ・ポブラーノとマンチャマンテレスという二つの姉妹には、驚くほどよく似た『修道女発明譚』が別々に貼りついている。

先スペイン期のメソアメリカに、molli(モリ)と呼ばれる濃厚なソースがあった。ナワトル語で「ソース」を意味するこの言葉は、唐辛子やカボチャの種、トマティーヨをメタテ(石の擂り板)で磨りつぶしてとろりと仕立てた一群の料理を指す。16世紀にフランシスコ会士サアグンが編んだ『フィレンツェ文書』は、chiltecpinmulli や huauhquilmolli といった molli の名を書き留めている。唐辛子もカボチャの種もトマティーヨも七面鳥もカカオも、みなメソアメリカに古くからある土地の食材で、この擂りソースはコンキスタのはるか前から祭祀と宮廷の食卓にのぼっていた。モレの名も、その底に眠るソースそのものも、確かに古い。

だが、いまメキシコの祝祭を彩る複合的なモレ――シナモンや胡椒、アーモンド、ゴマを溶かし込み、幾層もの香りを重ねたあの濃厚なソース――は、別の時計で測らねばならない。シナモンも胡椒もアーモンドもゴマも、豚肉もプランテンも、旧大陸の産である。これらがメキシコの厨房に並ぶのは、1521年のスペインによる征服とコロンブスの交換を経てからのことだ。在来の唐辛子ソースという古い土台の上で、海を渡ってきた香辛料が磨り合わされ、幾層もの香りを重ねた複合的なモレが育っていった。文献にその複合形が最初に現れるのは18世紀末で、Recetario Novohispano(1791年の写本)の clemole、印刷では El Cocinero Mexicano と Novisimo Arte de Cocina(ともに1831年)のモレ・ポブラーノである。成立の時期は、香辛料が到来した1521年から、文献に現れる1791/1831年の間に収まる。

面白いことに、1831年に印刷されたモレ・ポブラーノには、いま名物とされるチョコレートが入っていない。カカオを溶かし込む今日の姿は、さらに後から加わった装いである。古い名を継ぎながら、中身は幾度も塗り替えられてきた。

この植民地期プエブラのモレには、対等な姉妹がいる。マンチャマンテレス(「テーブルクロスを汚すもの」)である。七面鳥に旧大陸の香辛料を重ねたモレ・ポブラーノに対し、マンチャマンテレスは唐辛子にパイナップルやプランテンの果実を合わせた甘辛のモレだ。主役の食材も味の設計も異なるが、どちらも在来の唐辛子を基層に旧大陸の食材を接いだ植民地期の複合モレで、molli の古層を分け持っている。どちらが他方を生んだのでもない。祖と派生ではなく、同じ根から分かれた対等な姉妹(同祖姉妹)である。マンチャマンテレスが文献に最初に現れるのは、詩人ソル・フアナ・イネス・デ・ラ・クルスに帰される修道院の写本『Libro de cocina』(17世紀の原本)で、そこに記された初期の姿には鶏・バナナ・サツマイモ・リンゴが並び、現行の豚肉やパイナップルはまだ無い。モレ・ポブラーノのチョコレートと同じく、名物の顔ぶれは後から整えられていった。

そして二つの姉妹には、驚くほどよく似た物語が着せられている。どちらも「修道院の修道女がとっさに考え出した」という発明譚である。モレ・ポブラーノには、プエブラのサンタ・ロサ修道院で、大司教の来訪に慌てた修道女ソル・アンドレアが手近な材料をありあわせで鍋に放り込んだところ好評を博した、という筋書きが伝わる。マンチャマンテレスにも、修道院で耳の不自由な修道女が誤って材料を足したのが評判になった、というよく似た物語がある。土地の誇りに彩られた美しい逸話だが、食物史家はこれらを史料の裏づけを欠く後世の作り話とみている。料理史家レイチェル・ラウダンは、モレの発祥を一人の修道女や一つの出来事に帰す語りを退け、地中海からイスラム、アンダルス、スペインを経てメキシコへ連なる擂りソースの長い系譜と、征服後の段階的な混淆として描く。UTSA図書館特別コレクションも、モレ・ポブラーノの史料の痕跡は19世紀以前では極めて薄い、と記している。修道院発明譚は、二つの料理に別々に貼りつけられた同じ型の「創られた伝統」だった。

残る謎もある。マンチャマンテレスをめぐっては、オアハカとプエブラのどちらを発祥とするかが定まらない。オアハカは自州の「7つのモレ」の一つに数え、プエブラは自らの修道院料理の伝統を誇る。初出のソル・フアナ写本はどちらの州でもないメキシコ市の修道院のもので、地域帰属は史料の上では今も決着していない。先住民の擂りソースがどこまで現行の複合モレに直接つながるのか――古層がそのまま育ったのか、植民地期のプエブラで旧大陸の食材と技術を取り込んで実質的に組み直され、名だけを継いだのか――も、まだ研究者の間で意見が分かれている。

古いのはソースで、若いのは料理だった。メキシコのモレは、先住民の擂りソースという確かに古い土台の上に、植民地の厨房が幾世代もかけて織り上げた比較的新しい一皿である。そこに二重写しになった修道女の物語は、料理そのものより、その料理に古い由緒を求めた人々の心のほうを映している。

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