ものがたり / 伝播紀行

発酵生地の姉妹 ―― 蒸し餅イドリーと薄焼きドーサ、着せられた古の由緒

伝播紀行 登場する料理 2品

南インドの朝を代表する蒸し餅イドリーと薄焼きクレープのドーサは、発酵させた米と豆の生地を分け合う姉妹である。どちらも「二千年の歴史」や「古代の宮廷生まれ」といった古めかしい由緒をまとってきたが、食物史がたどり直すと、いまの姿はいずれも中世から近代にかけて整った、思いのほか若い料理だった。

南インドの食卓で、イドリーとドーサはたいてい隣り合っている。ふっくらと蒸し上げた白い円盤がイドリー、鉄板で薄く焼き広げてぱりっとさせたのがドーサ。姿はまるで違うのに、どちらもひとつの同じ生地から生まれる。米とウラドダル(ケツルアズキ)を水に浸して石臼で挽き、ひと晩おいて自然に発酵させた、あの酸味のある生地である。米もウラドダルも南インドに古くからある作物で、生地の材料はもとから土地の手のうちにあった。同じ発酵生地を、蒸せばイドリーになり、焼けばドーサになる。この二皿は、どちらかが本家でどちらかが分家という関係ではなく、共通の生地の伝統から分かれた対等な姉妹(同祖姉妹)として結ばれている。

その生地の伝統は、たしかに古い。中世の南インドには、イドリーの祖先とみられる料理の記録が点々と残っている。カンナダ語の説話集ヴァッダーラーダネ(920年頃)に iddalige、農事書ローコーパカーラ(1025年頃)、そしてチャールキヤ朝の王ソーメーシュヴァラ三世が編ませた百科事典マーナソーッラーサ(1130年頃)に iddarika——名前も綴りも少しずつ違うこれらは、いずれもウラドダルの団子を指していた。ただしこの古層は、今日のイドリーとは似て非なるものだった。黒緑豆(ウラドダル)が主体で、米を併せることも、長時間発酵させることも、蒸し器で蒸すこともまだしていない。米を加え、じっくり発酵させ、蒸し上げる——この三つがそろって現行のイドリーの形が定まるのは、文献の上ではおよそ1250年以降のこととされる。中世文献に名前が現れることと、いまのイドリーが生まれることは、別の出来事なのである。

だから「イドリーは古代からの料理」という言い回しは、少し急ぎすぎている。920年に書き留められたのは黒緑豆の団子であって、蒸した米の餅ではない。食物史家コリーン・テイラー・センは、発酵という技はほとんどの食文化で別々に見いだされるものだとして、イドリーは南インドで独自に育ったと考える。一方、K.T.アチャヤはこれに異を唱えた。初期の記録に米・長時間発酵・蒸しが欠けていること、七世紀にインドを訪れた玄奘が現地に蒸し器を見なかったと記していることを根拠に、800年から1200年のあいだに東南アジアの宮廷に仕えた料理人が蒸しと発酵の技を南インドへ持ち帰った、と推論し、その原型として「ケドリ(kedli)」という料理名を挙げた。だが、このインドネシア由来説は決め手を欠く。ジャナキ・レニンら後の書き手が指摘するように、アチャヤが原型としたケドリという料理名そのものが、インドネシア側で存在を確かめられないのである。よりどころの固有名が宙に浮いている以上、伝来説は魅力的な仮説の域を出ない。イドリーの由来は、在来独立説と外来伝来説のあいだで、いまも決着していない。

姉妹のドーサにも、似たかたちの誇張がまとわりついている。よく耳にする「ドーサには二千年の歴史がある」「サンガム時代(紀元一世紀)から食べられていた」という物言いがそれだ。しかしこれは、アチャヤが「古いだろう」と推測した年代を、そのまま最古の文献記録の年へと繰り上げてしまった誤りだとされる。語源をたどれば、tōcai / dosai はドラヴィダ語の tōy(発酵する・浸す)に連なり、カンナダ語の dōse、トゥル語の doṣe も同じ根から来ていて、この料理が南インドで生まれたことをよく物語る。だが、レシピらしいレシピが確かにたどれる最も古い記録は、やはり1130年頃のマーナソーッラーサに載る dosaka——米とウラドダルの生地を熱した鉄板で薄く焼いたもの——である。タミル起源説とカルナータカ(ウドゥピ)起源説はどちらも独立した文献に支えられ、どちらが先とも決められないまま並んでいる。

もうひとつ、具入りのマサラドーサには「十二世紀の王ソーメーシュヴァラ三世の宮廷料理人が、残り物のカレーをドーサに包んだのが始まり」という言い伝えがある。宮廷の由緒はいかにも古雅だが、ここには動かせない時間の壁がある。マサラの具に欠かせないジャガイモは新大陸の作物で、16世紀にポルトガル人が携えてくるまで、南インドの畑のどこにもなかった。畑にない芋を、十二世紀の料理人が煮て巻けたはずはない。食物史はこの言い伝えを退け、マサラドーサの実像を、1930年代のマドラスでウドゥピ系の料理人K.クリシュナ・ラオらが広めた近代の派生とみている。宮廷起源譚は、後から料理に着せられた古い衣装だったわけである。

こうして並べてみると、イドリーとドーサは、古い発酵生地の伝統から枝分かれした二つの姿でありながら、いまの形はそれぞれ中世の終わりと、さらに後の時代に整えられた、意外に若い料理だとわかる。着せられた「古の由緒」は、土地の誇りや語り口の綾であって、史料そのものではない。姉妹を本当に結んでいるのは二千年の神話ではなく、米と豆を挽いてひと晩おく——あの静かな発酵の一夜のほうなのである。

← ものがたり一覧へ戻る