ものがたり / 伝播紀行

縦に回る炙り肉 ―― アナトリアの垂直グリルから分かれたドネルとシャワルマ

伝播紀行 登場する料理 2品

トルコのドネルケバブとレバントのシャワルマは、縦に立てた串に肉を積み上げ、回しながら表面を薄く削ぐ、同じ技から分かれた兄弟である。古代から続く伝統のように見えるこの縦型グリルは、じつは19世紀のオスマンで生まれた、比較的新しい工夫だった。

串に肉を刺して火にかざす料理は、アナトリアでもレバントでもずいぶん古くからある。羊も牛も、そして鶏も、この地方の食卓に長く根づいた肉だった。串を回しながら炙る工夫も新しいものではない。15世紀の写本には「回す串焼き」を意味するチェヴィルメ・ケバブという語が見え、1616年から1620年ごろのイスタンブルを描いた細密画には、横に寝かせた串で肉を炙る野外料理の情景が残っている。

決定的な転換は、その串を横から縦へ立て直したことにあった。薄切りの肉を何枚も積み重ねて円柱状の塊にし、縦軸のまわりで回転させながら、焼けた表面を外側から順に削いでいく。この垂直式のロースターが、19世紀の半ば、ブルサやイスタンブルといったオスマンの都市に現れた。店先の限られた場所に炭火を立てて据えるための、いわば省スペースの工夫だったと食物史家メアリー・イシュンは記している。この縦型のグリルが整ってはじめて、今日のドネルケバブやシャワルマの姿が可能になった。

縦に立てて炙る炙り肉は、オスマンの版図を通じて各地へ広がった。アナトリアでは「回る」を意味するドネルの名で呼ばれ、南のシリア・レバノン・ヨルダンといったレバントでは、同じくトルコ語で「回転」を指すチェヴィルメに由来するシャワルマ(アラビア語でシャーウィルマ)と呼ばれた。1895年にカイロで出たエジプト口語アラビア語の辞書には、すでにこの語が項目として載っている。19世紀のうちに、縦型の炙り肉がレバント一帯に定着していたことがわかる。

二つの料理は、この縦型グリルという一つの技を分かち合う兄弟であって、どちらが親でどちらが子というわけではない。羊も牛も鶏も、両方の土地に古くからある肉である。削いだ肉に土地それぞれの取り合わせが加わって、トルコでは溶かしバターとトマトソースをまとわせるイスケンデル風になり、レバントではタヒニやニンニクのソースとともに薄いパンに巻き込む一皿になった。同じ回転する炙り肉から、東と西で別々の食べ方が育っていった。

この炙り肉には、実際よりずっと古い由緒がまとわりついている。悠久の伝統のように語られることも多いが、串を縦に立てて削ぐ現行の形は近代のものだ。串焼きそのものや横串の回転焼きには古い層があるとはいえ、垂直のロースターが現れるのは19世紀半ばである。料理名としての「ドネルケバブ」が文字の記録に現れるのも1908年まで下る。ある食材や技法の古い層と、その料理が今の姿で生まれた時期とは、別の時計で測らなければならない。

もう一つ根深いのが、縦型化を特定の人物の発明とする逸話である。ブルサのイスケンデル・エフェンディという肉屋が、1850年代から1867年ごろに横焼きを縦焼きへ変えて近代のドネルを完成させた、という家伝が広く流布してきた。北のカスタモヌのハムディ・ウスタが1830年ごろに先んじていた、という別説もある。だがいずれも一族の言い伝えにとどまり、同時代の確かな記録には支えられていない。ドネルの英語版百科事典でさえ、この帰属には一次史料が要ると但し書きを添えている。

決め手になるのは一枚の写真である。ジェームズ・ロバートソンが1853年から1855年ごろにイスタンブルで撮った現存最古の縦型ドネルの写真には、すでに親方と徒弟を従えた縦型回転串の露店が写っている。そこに立つ売り手は、イスケンデルでもハムディでもない。つまり縦型の技法は、誰か一人の発明とされる年より前に、すでにいくつもの都市へ広がっていた。もっとも古い物証が、二つの発明者伝説をともに掘り崩している。

だから、最初に串を縦に立てたのが誰なのかは、いまも定まらないままだ。それでも、縦に立てて回す炙り肉が19世紀のオスマンで生まれ、そこから東西へ枝分かれしたことは動かない。食物史家イシュンの研究、ロバートソンの1855年の写真、そして1895年のカイロの辞書にシャーウィルマの語が載っている事実は、いずれも同じ19世紀という時代を指している。ドネルもシャワルマも、その近代の一つの工夫から分かれた対等な兄弟なのである。

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