ものがたり / 伝播紀行
カツレツ姉妹 ―― ウィーンとミラノ、薄叩き仔牛の衣揚げが分かれた二つの都
ウィーンのウィンナーシュニッツェルとミラノのコトレッタ・アッラ・ミラネーゼは、どちらが本家かを長く争ってきた。だが薄く叩いた仔牛肉をパン粉の衣で揚げるこの型は、アルプスの南と北で対等に育ったきょうだいであり、片方が片方を生んだと決められる史料はない。
薄く切った仔牛肉を叩いて広げ、小麦粉と卵、パン粉をまとわせてバターや油で揚げ焼きにする。きつね色の衣に包まれた大ぶりの一枚は、いまオーストリアのウィーンでも北イタリアのミラノでも、その土地を代表する料理として食卓に上る。仔牛も小麦も、アルプスの南北どちらの土地にも古くからあった素材で、パン粉の衣を付けて揚げる調理もまた両地に根づいていた。ウィーンのシュニッツェルとミラノのコトレッタは、この共通の作り方でつながる近縁の料理である。
ミラノのコトレッタ・アッラ・ミラネーゼは、ロンバルディアの都市の料理として、富裕な食卓からやがて市井へと広がった。この土地には、衣揚げカツの古さを誇る言い伝えがある。12世紀、ミラノのサンタンブロージョ聖堂の宴の献立に、パンを伴う仔牛の肋肉を指すらしいラテン語の一節が記されていた、というものだ。この記録は18世紀の歴史家ピエトロ・ヴェッリの著作を通じて知られ、原本の史料もいまは聖堂に伝わる。ただし、その一節がパン粉の衣をまとった仔牛を指すのか、それともパンを添えただけの肉を指すのかは、いまも学者の見方が分かれたままである。現在の姿のコトレッタが印刷物ではっきり姿を見せるのは、統一イタリア初の家庭料理書が編まれた19世紀末になってからだ。
一方ウィーンのウィンナーシュニッツェルは、名前としては19世紀に定着した。衣を付けた仔牛のシュニッツェルは1831年の料理書に現れ、その背後には、パン粉の衣を付けて揚げる鶏料理バックヘンドルの伝統がある。バックヘンドルは18世紀初め、1719年の料理書にすでに記録されていた。ウィーンの衣揚げは、鶏から仔牛へと素材を替えながら、この地の作法として受け継がれてきたのである。
二つの料理は、同じ作り方を共有する対等なきょうだいである。片方が祖で、もう片方が写しなのではない。薄叩きの仔牛をパン粉で揚げるという型が、アルプスを挟んだ二つの都で、それぞれの土地の伝統に根を張って育った。だからこの二皿は、本家と分家ではなく、共通の親を持つきょうだいとして並ぶ。
それでも、二つを一本の線で結ぼうとする有名な物語がある。オーストリアの将軍ラデツキーが1857年、当時オーストリア領だったミラノからコトレッタをウィーンへ持ち帰り、それがシュニッツェルになった、という伝来話だ。将軍の名を冠したこの逸話は長く語り継がれてきたが、年代が合わない。衣を付けた仔牛のシュニッツェルは、持ち帰ったとされる1857年より四半世紀も早い1831年の料理書にすでに載っている。ウィーンにはその前から衣揚げの仔牛があったことになる。しかも伝来話そのものが古いものではなく、20世紀後半、1969年のイタリアの美食案内に初めて現れた新しい作り話で、ラデツキー本人にまつわる記録のどこにも見当たらない。ウィーンの衣揚げは、はるか以前からこの地にあった鶏のバックヘンドルの延長線上に育ったものだ。
ミラノの側にも、12世紀の記録を発祥の証しとして掲げ、この料理の古さを誇る気持ちがある。市による原産地の呼称認定も、そうした土地の誇りを映したものだ。だが、それは文化としての承認であって、現在のコトレッタが12世紀に遡ると決まったわけではない。最も古い記録に名前が出ることと、いまの料理がそこで生まれたことは、別に考えなければならない。
アルプスの南でも北でも、人々は仔牛を薄く叩き、パン粉をまとわせて揚げてきた。どちらが先でも元祖でもない。誰が本家かを競う物語よりも、同じ作り方が二つの土地でそれぞれに育ち、片方はミラノの、片方はウィーンの名物になったという道筋のほうが、ずっと確かである。