食材から辿る / その他・調査中

醤油(ケチャップマニス) 素材 時期 C検証済

成立年代 1895–1960

醤油(ケチャップマニス)が、いつ・どこで食べ物として成立し、各地へどう伝わったかをまとめています。 原産地での成立を3ゲート(食材入手・調理技術・場)で示し、その後の各地への到来を記録でたどります。

3ゲート

食材入手ゲート
原料は黒大豆・小麦(麹用)・塩・アレンヤシの砂糖(gula aren/椰子砂糖)で、いずれもジャワで在地に得られる。律速は入手の経路=加工、すなわち中国系移民がもたらした大豆の醤油醸造がジャワに定着し、それを椰子砂糖と香辛料で甘く煮詰める在地の型が確立した時期。食材ゲート台帳では 醤油(ケチャップマニス)@ジャワ=1895年(幅1824–1960・技術発明・加工)
調理技術ゲート
黒大豆を煮て乾かし、Aspergillus oryzae の麹をつける(ジャワでは湿った大豆を戸外に置けば自然に生えるとPrinsen Geerligsは記す)。麹が緑に胞子を吹いたら天日で乾かし、冷ました濃い塩水に漬けて8日日光に当て、煮出して塩水を採る操作を残渣が尽きるまで繰り返す。濾した抽出液を再び煮て、アレンヤシの砂糖・八角・華人薬種商が『醤油の薬味』として売る数種の香草を加え、塩の結晶が表面に現れる(=塩で飽和した)まで煮詰める。塩味の醤油(ケチャップアシン)との分岐点は、この最後の加糖と煮詰めによる甘み・粘度・色の獲得にある
場ゲート
venue=ジャワの華人が営む醤油工房(19世紀末には品質の等級づけと廉価品の廃糖蜜による代用が行われる商品生産・20世紀にはタンゲランのケチャップ・ベンテン、バンゴ(1928)、ABC(1975)等の商標メーカーへ) / stratum=大衆 / access=華人業者による製造と市中流通(のち工場生産・輸出) / community=ジャワの華人(プラナカン)と、それを受け入れたジャワ人および在留ヨーロッパ人の家庭(Prinsen Geerligs 1895 は『華人・ジャワ人・ヨーロッパ人いずれの台所でも欠かせない』と記す)

各地への伝来 1

各地で食べ物として定着した時期の記録です。地域によっては、それに先立つ物理的な到来(観賞用など、食用より前の前史)が含まれることがあります。

  • 1824〜1960頃 ジャワ 技術発明加工

醤油(ケチャップマニス)を使う料理 1

← ほかの食材を見る