食文化圏 / 中東・北アフリカ
レバント料理の成立史
中東・北アフリカの食文化圏「レバント」に属する料理 11 品の成立史。 いつ・どこで成立したかを、3ゲート(食材入手/調理技術/場)・確度2軸・検証ログで根拠まで辿れます。
この食文化圏の指紋 DB由来のデータ集計(装飾でなく事実)
律速になりがちな食材成立を決めた律速食材として現れた回数(料理数)。
食材が届いた経路律速食材の到来経路(channel)の傾向。在来=もとから現地にあった食材。
成立年代の分布成立年代の分布(最古 900 年〜最新 1900 年)。
起源説の確度起源説の固さ(A=構造的必然〜D=要検証)の内訳。C/D は諸説・反証ありの料理。
所属する料理 11
-
定番 フムス
レバント(シリア・レバノン) 1200–1500
時B説C
ヒヨコ豆をなめらかに磨り潰し、胡麻ペースト(タヒニ)で和えたレバントの冷製料理。どの国が生んだかを巡って国々が所有権を争うが、料理史がたどり着いた答えは「発祥の地も年も史料では特定できない」——勝者のいない論争である。
-
定番 シャワルマ
レバント 1850–1900
時B説B
シャワルマは、肉を縦軸の串に積み回しながら表面を削いで供するレバントの焼肉料理である。その来歴をたどると、ブルサの肉屋イスケンデルが発明したという広く知られた逸話は一次史料の裏付けを欠き、確実に言えるのはオスマンの縦型回転串がレバントに根づいたことだけだと分かる。
-
定番 タッブーレ
レバント(シリア・レバノン) 1860–1900
時C説C
パセリとブルグル、レモンとオリーブ油で和えるレバントのサラダ。「何千年も昔から食べられてきた古代の料理」と語られることがあるが、トマトの入った今日の姿は、もっと新しい近代の標準形である。
-
ファットゥーシュ
レバント 900–1900
時C説C
ファットゥーシュは、固くなった平焼きパンを捨てずに使い切るレバントの倹約料理だ。今の定番にはトマトが欠かせないが、それは十九世紀後半に新大陸のトマトが届いてからの新しい姿で、料理そのものはもっと古い「残りパンのサラダ」に連なっている。
-
キベ
シリア(レバント) 1100–1500
時B説C
キベは、挽き割り小麦(ブルグル)と羊肉を臼で搗き合わせて成形する、レバントの料理である。搗き肉団子の祖型は十世紀の料理書にまでさかのぼるが、殻に挽肉を詰める今の様式が定まったのは十八〜十九世紀のこと。古代の料理がそのまま現代に伝わったわけでも、どこか一国が発祥地というわけでもない。
-
マクルーバ
パレスチナ/レバント 1200–1500
時C説C
パレスチナをはじめレバントの食卓を彩る、鍋ごとひっくり返して供する一皿。「マクルーバ」は「逆さま」を意味する。だが、この名が13世紀の料理書に最初に現れたとき、それが指していたのは米でも肉でもなく、卵の料理だった。名は古く、いまの姿は新しい。
-
ムジャダラ
レバント(シリア・レバノン・パレスチナ) 1200–1400
時B説C
米とレンズ豆を炒め玉ねぎで仕上げるムジャダラを、聖書のエサウが長子権と引き換えに得た『一杯のレンズ豆の煮物』に直結させる語りがある。だがそれは現代の象徴的連想であって、米入りのこの料理への歴史的な道筋を示す史料はない。
-
ムハンマラ
シリア・アレッポ 1600–1900
時B説C
シリアのアレッポ発祥とされる赤いメゼ、ムハンマラ。その赤を生む唐辛子はアメリカ大陸の産で、地中海の東岸へ届くのは十六世紀以降である。だから、それ以前にこの料理はありえない。ただし近世の確かな記録を欠くため、アレッポ一都市の発明なのか、レバント一帯で共に育った料理なのかは、いまも決まらない。
- クナーファ レバント(ナーブルス) 1800–1900 時B説C
-
ファラフェル
レバント・エジプト 1850–1950
時B説C
豆をすりつぶして揚げる中東の定番、ファラフェル。「コプト教徒が断食のために考え出した」という有名な由来話には、じつは何の裏づけもない。
-
マンサフ
ヨルダン(レバント) 1900–1950
時B説C
「前9世紀のモアブ王メシャがマンサフを作らせた」というヨルダンの起源伝承には、史料の裏づけがない。羊肉に発酵乳のソースと米を合わせた今日のマンサフが国を代表する料理になったのは、はるか後、20世紀半ばのことである。